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2020年12月25日 (金)

八木雄二「ソクラテスとイエス」

11112_20201225211901  著者が教員をしている大学のゼミで学生に「ソクラテスの弁明」を読んだことがあると問うたところ、学生たちは不思議そうな顔をして首を横に振ったという。私は学生たちよりも著者の年代に近いからかもしれないが、哲学に興味を持った者に薦められる著作として、「ソクラテスの弁明」は常に、そのリストに入っていたと思う。薄い文庫本も数社からでている。だから、哲学のゼミの学生ならば、読んでいて当然と思っていた。もっとも、私の場合は、同じプラトンの著作で「饗宴」の方に惹かれたくちなので、「ソクラテスの弁明」は読んだものの、通り一遍の域を出ていない。
 著者は、ソクラテスが裁判での弁明をしなければならなくなったことで、「語り得ないこと」(ウィトゲシュタインの「語り得ぬことは語らない」を想い出してしまった)を語らざるを得ない状態に追い込まれたといい、そこで、ソクラテスは、はじめて、自らの哲学を語ろうとした。つまり、ソクラテスにとって、哲学とは語り得ぬものだったということ。そこで語られることとして、よく生きる、「善」ということは、二人称ではじめて語り得るということ、それは、彼の産婆術という対話で実践されていたわけだが、裁判の場では三人称で語るしかなかった。ここに、後のイデア論のようなプラトン以後の哲学に胚胎する矛盾を、ソクラテスは自らの死で体現することになったという。著者は、本書は、ソクラテス裁判とイエスの布教活動の共通点が、真理の語りと伝播にあると指摘する。
 哲学書の解説というよりは、裁判でのソクラテスの証言を追いかけていく叙述は、まるでギリシャ悲劇を読んでいるような感じがして、たいへん興味深かった。面白かった。

 

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