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2021年1月 4日 (月)

城定秀夫監督の映画『アルプススタンドのはしの方』の感想

11112_20210104195801 高校演劇大会でグランプリをとった原作を見て感心したことがあったので、試しに見てみた。あまりにワンショット・シチュエィションの舞台演劇的な作品だったので、これは映画にはならないだろうと、たいして期待していななかったが、その期待をいい意味で裏切られた佳品で、思わぬ収穫だった。
 舞台はタイトルの通り高校野球の応援席の端っこの目だだぬところで4人の生徒。そんなところで観戦しているような生徒だから、熱心な応援をするわけでもない。二人の演劇部女子。当然、野球に関する知識も興味もゼロ。犠牲フライも知らなければ、グラウンド整備も知らない。そこに元野球部の男子生徒が加わり、その三人を少し離れて優等生の委員長が見ている。最初は、二人の女子に男子が野球を教える頓珍漢な会話がギャグとなって笑いを誘う。そんな演劇部の女子ふたりが、はじめは興味のなかった野球に徐々に肩入れしていく様子が、高校湯球の熱さに引き込まれていく様子が、観客の感情移入を誘う。
 高校に入れば、自分より才能があって、輝いている人にいくらでも遭遇する。今まさにマウンドに立っている「園田くん」もそのひとり。でも、その「園田くん」でさえ強豪である対戦校の「松永くん」にはかなわない。そんな構図と、去年の近畿大会をインフルエンザで棄権した演劇部女子のやりきれなさが、徐々に重なり合ってくる。そして、「園田くん」に勝てない負い目から野球部を辞めた彼は、今、ここにいる。一方、どんなに才能がなくても決して諦めなかった「矢野くん」は、ついに試合の終盤で初めて出場のチャンスを掴んだ。ただし、園田くんも矢野くんも画面には登場しない。
 一方、トップであることが存在価値のように思っていた委員長は、テストで失敗し順位を下げて失意にいた。
 諦めた人と、諦めなかった人。
 スポットライトを浴びる人と、アルプススタンドのはじの方でそれをただ見ている4人。
 「矢野くん」は送りバントを指示されて…
 何者にでもなれると夢見るには、もういろんなことを知りはじめて、でも「しょうがない」とすべてを諦められるほどまだ老成してはいない。その4人の中途半端さのリアルさが、大袈裟な誇張もなく、坦々と演じられるのだが、目が離せなくなって、
 甲子園を舞台にした映画なのに野球の場面が全くなくて、観客席の端の場面だけで展開する。その限定された場面で豊かな映画的な動きや映画的空間が、感動を生んでいく。例えば、4人の登場人物の座り位置、立ち位置を彼らの感情のフェーズが変わる度に入れ替え、画面内で出し入れし、最初はバラバラで、通路を挟んで遠慮がちに座っていたりする。それが、感情がひとつひと通って近づいていくたびに、位置がひとつずつ近づいていく。それがクライマックスでは一列に並ばせ、4人が感情を爆発させ、そこで「しょうがない」というあきらめで嵌めていた箍をぶち破る。

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