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2021年2月20日 (土)

西行の歌を読む(1)

Booksaigyou  西行というと
   願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ
のようなロマンチックな和歌を詠んだ人程度のイメージしかなくて、新古今集において三夕の歌として教科書にも載っているのを比べてみても、
   寂しさはその色としもかなりけり槙立つ山の秋の夕暮        寂蓮
   心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮       西行
   見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮       定家
 これら三つの歌はたまたまた秋の夕暮で終わっているところが共通しているのでピックアップされているようなもので、寂蓮の歌は埒外としても、西行と定家の歌は全く別物で並べるのもおかしいようなきもします。白洲正子の『西行』では“この二つの歌は、詞が似ているだけで、その発想には大きな違いがある。単に老若の差ではなく、西行と定家が生涯を通じて、相容れることのなかった個性の相違といえようか。小林秀雄は『西行』の中で、それについて実に適確な批評をしている。「外見はどうあろうとも、(定家の歌は)もはや西行の詩境とは殆ど関係がない。新古今集で、この二つの歌が肩を並べているのを見ると、詩人の傍らで、美食家がああでもないこうでもないと言っている様に見える。寂蓮の歌は挙げるまでもあるまい。三夕の歌なぞと出鱈目に言い習わしたものである。」”だが、いつも世間を闊歩しているのはその出鱈目な方で、茶道では、定家の「見わたせば…」の歌がわびの極致とされている。そういわれるとそのように見えなくもないが、定家は純粋にレトリックの世界に生きた人で、この歌も源氏物語「明石」の巻その他に典拠があり、いってみれば机上で作られた作品なのである。定家の生活とも関係がない。それにひきかえ西行の歌は、肺腑の底からしぼり出たような調べで、小林秀雄が、上三句に「作者の心の疼きが隠れている」といったのは、そういう意味である。”と長い引用になりましたが、このように西行を持ち上げています。ただし、白洲も小林も、西行の歌は“肺腑の底からしぼり出たような調べ”と称していますが、それがどのようなところにどのように作られているかは具体的に何の説明もされていません。この人たちの常套手段のようなものなのですが、自分で尤もらしいコメントを言って、言いっぱなしにして、あとは読者が分からないのは、読者がバカだからと自分は孤高の人ぶっているところがあります。言ってみれば空っぽの放言居士のようなもので、それを沢山の人々がありがたがって、それによって西行なんかが、その内容に直接触れているかどうかも分からないで祀り上げられている。おそらく、白洲や小林には、そういう自身のやり方の対象として格好だったのではないでしょうか。西行の歌には、そういうもったいぶって偉そうに紹介するのに都合のいいところがあったのかもしれません。オレは定家のようなチャラチャラした飾ってばかりいるような歌に満足できず、もっとホネのある精神性が必要なのだとかいうのに西行の歌はちょうどよかった。そういうのを見ていて反発する気持ちもあって、西行の歌は食わず嫌いになっていました。
 ちなみに、この西行の歌については、“『鴫立つ』の意味が、単に『飛び立つ』のか、『佇つ』の意味が含まれているのかよくわからない。ふつうは『飛び立つ』の意にとるのが常識だろうが、鴨が細い足で立っている情景も、結構絵になると思うのだが、どうだろうか。」「鴨が佇立したまま、暮れていく沢に、身じろぎもせずにいる、その姿の孤独をいいたかったのではあるまいか。仏と同行二人、少しも寂しくないはずの法師西行が、はしなくも、秋の夕、薄暮のなかにたたずむ鴨の、ぽつねんとした姿に、忘れていた『寂しさ』をふいに身近に感じたのではなかったか。” (尾崎左永子「古今和歌集・新古今和歌集」集英社文庫)という鑑賞があり、こっちの方が具体的であるので、またましですが、白洲や小林の立っているところを無前提に受け入れて、そこから始めているように思えます。

 

 ちなみに、白洲も小林も西行に比べて、あまり評価していない定家の「見わたせば…」の歌は、全体が否定の言葉で統一されていて、そのネガティブに調子に、歌の対象であるものを片っ端から否定していこうとする懐疑的、もっというと虚無的な表現に、この人の持っている空虚さが表われているようで、西行の歌にはない深みを、むしろ想うので、私はこっちの方が好きです。
 そういう私だからこそ、小林や白洲たちのように手放しで西行を賛美して、それを当然の如く語るというのとは違う語り方で、西行を語ることができるのではないかと思います。

 

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