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2021年3月25日 (木)

斎藤幸平「人新世の『資本論』」

11112_20210325215401  現代は、人間の経済活動が地球の表面の隅々までを覆い尽くし、環境破壊・気候変動が深刻な時代で、地質学的には、いわゆる「人新世」と呼ばれる時代に突入しているという。そこで、いま国連が掲げるSDGsという包括的な運動やアメリカ合衆国の新政権の推し進めようとしているグリーン・ニューディール政策などは表面的な弥縫策にすぎず、根本的な解決には至らないという。では一体何がこのような事態を引き起こしたのかという根本的原因は行き過ぎた資本主義のせいだ、と著者は言う。というのも、資本主義というシステムは、地球環境を含めたあらゆるものを収奪し、それに伴う負担を外部に押し付けて不可視化し、無限の経済成長を続けることによって、地球環境を危機に陥れ、ひいては我々人類の生存をも脅かそうとしているものであるから。他方、ごく少数の大富豪が世界の半分以上の富を独占している事実からも分かるように、資本主義はごく一部の人々だけが潤い、後の大多数の人間が彼らに搾取され続けるという、我々一般人にとっては全く救いのないシステムでもあるという。
 そこで著者は、資本主義という概念を創出し、批判した、カール・マルクスの思想を再解釈して提示する。資本主義というシステムが人をなりふり構わぬ利潤追求に駆り立て、資本論で労働者からの搾取で資本が利潤を上げていくという従来の解釈に加えて、環境からの搾取、あるいは低開発国からの搾取ということ、そして資本家も含めて利潤追求のために、それ以外のもの、例えば人間的な感情などを犠牲にしてしまうことと不可分に結びついていると指摘する。それを晩年のマルクスは考えていたと。そこで、そういう資本主義というシステムが人や環境を歪めた根本原因であるから、資本主義をストップしなければならないと主張する。
 読んでいて、バッタバッタと切り捨てるような批判に胸のすくような気持ちよさを感じた反面、それで・・・とその先に釈然としないところもあった。マルクスは資本主義というシステムが搾取によって生まれ、そして新たな搾取を生んでいく運動のメカニズムを摘出して、そのメカニズムをどのように変えればその運動が起きないかを考えたと思う。だから、マルクスの再解釈で環境からの搾取があるとするならば、その運動のメカニズムを当然マルクスは考えたはずだと思うが、ただそういう指摘をするにとどまっている。別に、マルクスを持ち出して、解釈すればマルクスはこう言っていた、などと殊更に言わなくても。私は、こう分析して、こういう結論を提出します、でいいのではないか。そう思わせるところが、著者の論述の筋立てに感じられた。それだから、資本主義をストップし、利潤の呪縛から解放されればいいという、私には楽天的すぎるとも思える対策しか出てこないように思える。それは、ユートピア幻想の変種に思える。

 

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