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2021年3月27日 (土)

伊藤祐靖「国のために死ねるか」

 11112_20210327220101 書名だけをとってみれば、右翼が昂奮しそうですが、元自衛隊員の著者が、いざというときに軍事行動を起こせば、生命を落とすことも避けられない。それをどうして納得できるかを、机上の空論ではなく、それを実際にそういう場面に遭ったこともあり、切実な問題として考えているという内容。これはこれで説得力があるが、むしろ、その考察を進める中で、様々な事実が示されるのが、とても興味深い。それが、書名のテーマにとどまらず、もと広く使えるのだ。例えば、防衛大学で著者が教官をしていたころ、大地震を想定した災害避難訓練で、生徒たちは素早く批難して、集合し、点呼をとって全員避難を確認し、教官である著者に報告したとき。著者は整列している生徒たちに、何をしていると訊く。自衛隊というのは災害の際に緊急出動して、国民の救援に向かう任務を負う。そのためには、まず自分が助かっている必要がある。そして、次に出動に備える。そこで、整列している生徒たちに、「ただ突っ立っているだけでいいのか?」と問うのだ。そこで、「命令がないので」と答える生徒に、「指揮官が地震に遭って死んでしまったら動けないのか」と。つまり、災害とは非常時で、それに備えて訓練しているのに、平時の発想と行動しかできていないではないか、と問う。あるいは、伝令を命じられた生徒が全力疾走で走り回っているのを捕まえて、速く伝令を伝えるなら駐車場のバイクや自転車を使えばいいとというと、生徒は窃盗はできないと答える。非常時に必要な伝令というのは、通信が使えない非常時にできる限り迅速に情報や指示を伝えるもので、一刻を争う。そのために、少しでも速く伝えるための最適の行動をとっているのか、と著者は問う。平時なら窃盗は犯罪だが、自力で走っていて指示が遅れて人が死ぬのと、どっちが重要か、それを経験したりシミュレートするのが訓練であると、著者は言う。そのとき、前例とおりとか、マニュアル通りだったら、訓練にならない。そこで、生徒は困って、フリーズしてしまったというのだが。これって、自衛隊に限らず、もっと薄味にしてもいいから、仕事の現場でも、そういう姿勢はあってもいいと思う。そういう、触発される指摘がいくつもあって、面白い。

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