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2021年4月25日 (日)

西行の歌を読む(4)~鈴鹿山憂き世をよそに振り捨てて いかになりゆく我が身なるらん

   世を逃れて伊勢の方へまかりたりけるに、鈴鹿山にて
  鈴鹿山憂き世をよそに振り捨てて いかになりゆく我が身なるらん
 詞書によれば、出家遁世を果たした後に都から伊勢の地に下向する途次、鈴鹿山に至った時の灌漑で、「都を捨てて鈴鹿山を越える。なりふり構わず憂き世は振り捨ててきたが、明日の我が身はどうなるというのだろう。」と和歌文学大系では解釈されています。それで、出家遁世後の自己の感慨を表白したものということになります。
 詞書から見ると、「世を逃れて」は出家遁世してという意味で、これは時期的なものと、出家遁世をした生々しい意識、たとえば、そこに出家をした先への不安とか迷いのようなものが含まれる、そういう状態にあって、この歌を詠んだ「鈴鹿山」は、地理的には都と伊勢とを分かつところとして、ここを越えると都に引き返すことができなくなる。心情的には、出家遁世の迷いにあって引き返す(出家を止めて世俗に戻る)ことのできない一線を越えることに比喩されるという解釈もあります。
 そういう鈴鹿山の読み方の先駆として源俊頼の影響は考えられると思います。
  鈴鹿山関のこなたにとしふりてあやしくも見のなりまさるかな
  おともせでこゆるにしるし鈴鹿山ふりすててけるわが身なりとは
  ふりすててこえざらましに鈴鹿山あふぎの風のふきこましかば
 これらの「散木奇歌集」の歌では鈴鹿山を境界として捉えている点で、西行の歌と共通点が見られます。「鈴鹿山関の…」の歌では、鈴鹿山を伊勢への入り口として捉えた上で、伊勢に滞在する自身を「関のこなたにとしふりて」と表現しています。「おともせで…」の歌では、鈴鹿山は都と伊勢との中間に位置する境界点として捉えられています。俊頼にとっての鈴鹿山はかつて自分が身を置いていた都と、現在の自分が身を置いている伊勢とを隔絶する存在で、「あやしくも見のなりまさるかな」や、「ふりすててけるわが身なりとは」という感慨、つまり老いた身でありながら僻遠の地に暮らすという歎きを告白するためのものだったと言えます。同じように、西行の歌で「いかになりゆく我が身なるらん」という述懐も、鈴鹿山が旅程における分岐点であり、来し方を振り返り、行く末を思いやるのに相応しい場所で、このような感慨を表白するのに相応しい場所だったと言えます。
 和歌において「鈴鹿山」という場所は、歌枕としても捉えられており、「鈴鹿山」の「鈴」が鳴るということから「なる」、あるいは鈴を振るということから「ふる」という言葉が縁語として歌作りに利用されています。この歌でも、「いかになりゆく」には「鳴る」がかかり、「振り捨てて」とともに「鈴」の縁語となっています。そこで、境界という鈴鹿山という現実の場所に、和歌的な気持ちの移ろいという異質な世界が重なって同時的に存在しているといえます。「憂き世をよそに振り捨てて」には、自分の持っているすべてを振り切ろうという切迫感を読み取ることができる一方で、軽やかな鈴の音色が伴うものとなっている。この歌の解釈には、未来への明るい希望をよむか、将来への不安感を強調するかで意見が分かれているといいますが、そのどちらかというわけではなく、両方であると思われます。つまり、不安な心を和歌の伝統に身を委ねることで足取りまで鈴の音のように軽やかな旅人を演じようとした。そのちょっとした背伸びの心の隙間に、不安が忍び寄った。したがって、最初に述べた解釈の西行の個人的な信仰の迷いのモノローグとは、ちょっと違うのではないかと思います。
 また、下の句「いかになりゆく我が身なるらん」は和歌の論理として連なる他の作品たとえば
  世の中はいかになりゆくものとてか 心のどかにおとづれもせぬ
                                   (和泉式部集)
 この歌の詞書には、世の中が騒がしくなったころ、訪れの絶えた人に贈った歌とあります。世の中の二重性を利かせて、男のあなたにとって世の中の騒がしさは政局の不安定などかもしれないが、女の私には、あなたとの直接的関係だけが世の中なのだと言わんばかりです。西行の和歌は、この王朝の女の「(なりゆく)世の中」を受け継ぎながらも、より直接的に、しかも、肉感的に自分自身の肉体に向かって問いかけているというわけです。つまり、出家して「世の中」を捨てると「我が身」はいかに無防備に晒されるものか、と。この歌自体が揺れ動いているといえるのです。
 和歌では恋歌にかぎらず、風景を詠んだ歌でも、恋愛について、その諸相を繊細に表現しているのを、西行は、それを出家、つまり信仰に移し変えたと言えます。とくに、恋愛と言っても、和歌は恋の迷いとかかなわぬ恋とか失った恋といった悲劇的な面に注目して重点を置くのが和歌の特徴で古今集に収録された恋歌のほとんどがそういう歌です。西行の和歌には、この作品のような出家することへの迷いや不安が色濃いですが、そういう和歌の形式的な特徴による点が大きいと思います。それを、西行の青年の人生の悩みというような近代文学の青春の悩みのように受け取って共感してしまう(例えば小林秀雄)こともあるようですが、もっと形式的なものではないかと思います。しかも、恋愛は、必ず相手がいるので、ダイアローグになります。それに対して信仰告白はモノローグが基本です。しかし、恋愛で用いられた表現を移し変えたので、モノローグにならずダイアローグを持ち込んだ。それが、この和歌では、掛詞や縁語といった技法を使っているところに象徴的に表われていると思います。これは、ミハエル・バフチンがドストエフスキーの「地下生活者の手記」の主人公のモノローグをダイアローグ的と評したのと重なるのではないかと思うのです。
 また、この歌は『山家集』の他にも、例えば『新古今集』にも収められています。この歌は17巻の雑歌に収められ、次の2首が続き、3首セットで配列されています。
   題しらず                                     慈円
  世の中を心たかくもいとふかなふじの煙を身のおもひにて
   あづまのかたへ修業し侍りけるに、ふじの山をよめる          西行
  風になびく富士の煙の空にきえてゆくへも知らぬ我が心かな
 “世捨て人西行の動揺する心の表白、慈円の思いの火としての表白、西行の富士の煙のように果てなしなき思いの表白である。この三首は、山という配列の面からも、出家者の心の表白という内面の連関しても見るべきものがあり、西行的なものが一層生彩を放っているようにも思われる。(糸賀きみ江「新古今集雑部における西行歌の位相」)”このように出家者の心の表白という内面の連関が3首にはあると思います。しかし、それだけでなく、西行による2首。ひとつは出家後間もなくの頃の、言わば西行の出発点に当たる時期の作品と、もうひとつは晩年近くの西行の到達点を示す作品が、慈円の歌を軸とする形で対置的に置かれている。もう少し踏み込んで言うと、西行の「鈴鹿山」の歌は既述のように出家したものの我が身の行く末を案じていろところが表わされているものです。続く慈円の歌。私は身の程も弁えず、この世を厭離しようとしている。富士の煙に思いを託して、と出家者としての慈円の身の思いを示したもの。そして、3首目の西行の「風になびく」の歌は、西行自身が「これぞわが第一の自嘆歌」としたもので、下の句、4句目の「ゆくへ」を詠うとき、「鈴鹿山」の歌でどのようになっていく我が身であろうかと、自分の行く末を問いかけていたのに、その行く末は富士の煙と同一視され、「ゆくえ」の分からなくなってしまうものであることを悟り、まるで人生の答えを出したようでもある。つまり、『新古今集』の編者は、そういう西行の歌を正しく解釈して、あえて3首の組み合わせでセレクションしたのだろうと思います。

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