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2021年4月14日 (水)

西行の歌を読むく(3)~さてもあらじ今見よ心思ひとりて 我が身は身かと我もうかれむ

    さてもあらじ今見よ心思ひとりて 我が身は身かと我もうかれむ
 このままではいないぞ、さあ見ていろ我が心よ、(出家への)決意を固めて昨日までの私と全く違う私の門出に
詞書には述懐の歌題を人々と5首詠んだとあり、出家の意識が高まった時に詠まれたと言います。前記の「空になる…」の歌と同じように「遊離魂感覚」を表現している歌だと言われています。
 第二句の「今見よ心」は心に呼びかけている言葉です。「思ひとりて」とは決心しての意味で、出家に際して揺れ動く心を固めることを言っていて、「我もうかれむ」という出家を断行することに対して、気持ばかりが先行してしまうことを、心が身から遊離すると表わし、その心に対して「さてもあらじ」と、そうはいかない(願望だけに終わらせない)と呼びかけている。つまり、心が先に浮かれ出る(遊離する)、それを追いかけるように身も同じように浮かれ出る。そういう決心。心の浮遊するままに身も浮遊しようと心を固める、そうすることで、心の憧れるままに身の方も以前の我が身とは違う私全体が出家を実行する。かなり理屈っぽいことになっています。
 普通、和歌では抒情といい心持ちを表現するという場合、例えば恋歌であれば、繊細優美な恋の情趣を歌い、完成された美的世界を形成しようとする傾向が強いものであって、この場合、和歌を詠む者は、恋をする者であり、その恋する者の立場で自身の恋を美しくうたいあげるというものでした。これに対して、「さてもあらじ…」の歌の姿勢を恋歌にあてはめてみれば、自身の恋愛に即して詠むのではなく、距離を置いて恋という心理的状況を自身と相手を俯瞰的に観察するような傾向になっているところに独自性があると思います。つまり、「遊離魂感覚」ということは、自己から視点が離れて鳥瞰的に自己を眺める視点で、これは西欧の小説のような近代文学にある絶対者の視点で物語を客観的に語るということに近いのではないか。そういう小説の心理描写のような、この「さてもあらじ…」の歌でいえば、出家に際しての心理的な心情の揺れ動きのぐずぐずするようなところを表わしているところは、西行に特徴的なところであり、後世の小林秀雄のような近代人には小説のように読むことができる点で、近しいと映ったのではないかと思います。
 また、光田和伸「身の音─「西行」は読めているか」によれば、西行の特徴のひとつとして、彼の作風は新古今風の行き詰まりを打開するオルタナティブと位置付けられるというのです。当時の伝統的な古今風とは「集め、審判し、微笑む」ことに終始する作風で、つまり、あれこれ和歌を集め、それらを審判し微笑んでみせるという雅びな趣味を楽しむという洗練を極めるということは、新しい可能性を創造するものではなく早晩行き詰まることは目に見えていた。その行き詰まりに際して、当時の歌人たちは、古今風の雅な趣味に逼塞する「特権的な私」にその原因があるとして、そのように窒息し、あがいている「私」からどのように脱け出て、それに代わりうる別の「私」の姿を樹立することにあった。例えば、藤原定家とその周辺が提出したのが「看取り、見届ける私」でした。しかし、これは「集め、審判し、微笑む」特権的な「私」の焼き直しにすぎない。これに対して、西行は次元の違う西行風としか言えないような独自のアプローチを試みたという見解を提出します。それでは、西行風の核心は何かと問えば、親鸞の「歎異抄」にあらわれる生き方に通じるものだったのではないかと言う。そこでは、念仏によって浄土に生まれかわるのか、それとも地獄に堕ちるのか、それは問うところではない。法然に言わせれば、たとい地獄行きになっても一切後悔しない、という断念といってもいい、そういうところに自分は生きているという覚悟。それが趣味に閉じ籠った「特権的な私」から離脱して自由になることになる。つまり、分かりやすく説明することを試みると、古今風や、それを批判した定家たちとは「特権的な私」に留まって、その「私」を何とかしようとした。それにたいして、そういう「特権的な私」を突き放して、もう一つの私、つまりメタレベルの私が行き詰まっている「特権的な私」を客観的に眺めることができた。それが、実際に和歌を詠む現場では、和歌の身体的なリズムに積極的に乗っていく。だから、この「さてもあらじ…」の歌は、西行がくよくよ悩んでいる歌とは考えられないといいます。これは、以前に触れた白洲正子や小林秀雄の読んだ近代的個人の悩める自己の内面というものとは違って、もっと力強い表現と言えると思います。

 

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