マイラ・ヘス=バッハ「主よ人の望みの喜びよ」
バッハのコラールをピアノ独奏に編曲したマイラ・ヘス自身による演奏。ディヌ・リパッティの弾いた演奏をよく聴いていたが、こちらの演奏は録音の音質の貧しさもあってか、極めて簡素。冒頭の有名なメロディが骨だけみたいに聞こえてくる。これがリパッティの録音では中声部が豊かに響いてメロディがハーモニーで聞こえてくる。しかも、左手の低音部が活き活きとして、それ自体が一つのメロディにように有名なメロディと絡み合うようになる。それが演奏に前へ前へという推進力を与えて、全体としてポジティブ(前向き)な活力を聞くものに与える。これに対して、ヘスの演奏は、そういう豊かさはなく、テンポも心もち遅めで(決して指が動かないのではないだろうと思う)、リパッティが活き活きとした動きがあるに対して、立ち止まったりするような感じだが、それがリパッティとは違って、跪いて祈っているような、思わず見上げてしまうような演奏になっている。もっと印象っぽい違いをいうと、リパッティの演奏は音楽として美しい、敢えて言えば歌っているとか奏でているという感じなのに対して、ヘスの演奏は語りかけているという印象。例えば、リパッティの弾くメロディは整っていて均整のとれたという美という感じなのに対して、ヘスの弾くメロディはリパッティほど整っていないで、その形が揺れている。その揺れが、語るという感じに近い。それは、ヘスと同時代やそれ以前の時代の演奏家にも言えるのだが、音楽を弾くというのが、抽象的な美というようなメロディを美しく奏でるというのではなくて、メロディを肉声で語るような感覚で弾いていた。だから不安定で揺れたりするのは当たり前で(コルトーの弾くショパンなんて、その典型)、今みたいにミスなく完璧に楽譜通りに弾くのとは違う基準で演っていたというのが、今頃になって、ようやく、何となく少しわかるようになってきた、と最近、ちょっと思う。しかし、ヘスのピアノはモーツァルトなんかの評判が高いようだけれど、未だ、私には味わえていない。反面、リパッティの弾くバッハのパルティータは大好きだ。
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