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2021年5月28日 (金)

テート美術館所蔵コンスタブル展(4)~3章 ロイヤル・アカデミーでの成功

 展示フロアが3階から2階に降りて、次のコーナーに移ります。この美術館は、古い建物を使っているせいか、狭い部屋が並んでいて、廊下で繋がれているので、展示が細切れのようになって、しかも、床が靴音が高く響くので、余計な気を遣います。で展示は、1819年、コンスタブルはロイヤル・アカデミーの准会員に選出され、例年の展覧会に向けて大型の風景画を制作する一方、家庭に馴染むような小型の絵画も好んで描きました。風景画家としての評価を得て、制作に励んだという壮年期の作品が並んでいます。1816年に両親が亡くなり、結婚して家族でロンドンに住むようになってからは、故郷に行く機会が減っていきました。しかし、彼は相変わらず田園風景を描くことに夢中で、故郷との接触が減った代わりに、他の場所を訪れる機会が増えたそうです。その結果、彼は田園風景の新たな側面を目にし、それが新たなアィデアの宝庫となった。ハムステッド、ソールズベリー、ジリンガム、フォークストン、コレオルトン、ブライトン、アランデルなど、彼の作品にはさまざまな風景が登場します。その多くが自宅から離れた場所であったため、彼はロンドンのスタジオで、さまざまな場所への旅行中に描いた油絵や鉛筆のスケッチをもとに風景画を構成する方法を編み出しましたということです。
Costableyamous  「ヤーマスの桟橋」という1823年頃の作品です。30×50㎝のサイズの作品。曇りのどんよりとした空の鈍い色が、その下の海の暗い色とつながって、さらに海の暗さが濃くなって、砂浜の茶色に繋がっています。つまり、空─海─砂浜が連続した平面を構成していて、そこに左側から水平に桟橋が中央まで伸びていて、その連続した平面を断ち切って、アクセントとなっています。前のコーナーで、コンスタブルは、目の網膜に映っているのを認識しているのを描いている。それが、風景という実体の存在ではなくて、それを網膜に映している空気とか光の構成を描いている。と述べました。それが、その前に述べたフワフワがそのシンボルで、言ってみれば、フワフワして実体のない流動し変化を不断にするもの。それは主に水蒸気や水のメタファー、具体的に画面の中では、雲や水面になります。この作品では、そのような方向性が明らかになってきて、画面の分の2を雲が占め、残りの半分以上を海の波が占めています。画家本人に、その認識があったかどうかは分かりませんが、どんよりとした雲や暗い波の描き込みが深くなっていて、他の画家には見られないような独自の表現になってきていると思います。例えば、波の表現は同時代のターナーもよく描きましたが、激しく劇的な迫力のあるモノでしたが、そこには、いささか表現の過剰さというか、わざとらしさが感じられないではありません。これに対して、この作品ではリアルに、波の多様な表情を表現しています。それは、歴史画などで描かれる青々として陽光をうけて波頭が白く光る、「らしい」海ではなく、ヤーマスの桟橋の実際に見ることのできる海になっていると思います。それに対して、左手前の船と白馬が曳く馬車はお粗末です。
Costablechain  これは、この後に展示されている「チェーン桟橋、ブライトン」という大作と構図がよく似ていて、類似の作品が何点も描かれたと想像します。別の所の展示で説明がありましたが、コンスタブルは大作をロイヤル・アカデミーの展覧会に出品して、それと似た構図の中小のサイズの作品を一般顧客向けに描いたということです。貴族や教会に歴史画や宗教画の注文を受けるという、それ以前の画家とは違って、近代社会の市民階級を顧客として風景画を制作する新しい画家の在り方を、ここでコンスタブルは工夫しているということでしょうか。ちなみに、「チェーン桟橋、ブライトン」は大作で、ロイヤル・アカデミーに展示した作品だけあって、雲の表現などは、より丁寧になって暗さのグラデーションなどが多彩になっていると思います。その雲が地上に明暗を作る(はっきりではない)様も表現されていて、それらがはっきりと表現されているわけではなく、微妙に示されているので、コンスタブルが技巧を尽くしていると思います。
Costablecloud  「雲の習作」という1822年の、雲そのものを描いているものです。これまで述べてきたように、コンスタブルの描く風景は、空気とか水蒸気というフィルターを通じて、映ったものと言えるということで、その典型がフワフワして実体のない雲です。そして、ここで、コンスタブル自身が自覚していたことが分かります。このような雲だけを描いた作品は数十点に及ぶということで、習作とはいえ、おそらく、雲だけをこれほどまでに描いたのは、彼が初めてではないかと思います。いささか教科書的な解説を試みると、彼以前のヨーロッパの伝統的な絵画では、天空は神聖な領域で、キリスト教的には、「救済」「至福」「神の完全無欠」などのイメージと結びついて天使の住む世界だったので、雲は宗教画、神話画、歴史画などの余白に軽微に描かれるにすぎず、少なくとも観賞の対象ではあり得なかったと言えます。コンスタブルは、むしろ、その雲を重点をおいて風景画を描きました。コンスタブルは、雲を題材にした作品を制作するにあたり、いくつかの目的を持っていたということです。まず、コンスタブルが目指したのは、「自然に忠実であること」で、写実的なアプローチは、自分自身が感じているのと同じように、見る人に自然への愛情を感じさせてくれる。第二に、様々な雲の形を完成させることVenicebassano で、構図の幅を広げることができる。第三には、より強い雰囲気を表現したい。コンスタブルは、さまざまな天候が感情的な反応を引き起こすことを認識していたといいます。たとえば、曇っていても、明るくても、荒れていても、嵐の後の新鮮できれいな様子などです。最後に、雲はその基本的な性質から、以前の状態とこれからの状態の両方を示すものであり、時間の経過という概念を表現するのに最適な手段でした。これらの要素はすべて、彼の大きな構図を引き立てるために使われることになりました。そて、作品に戻りましょう。この作品を見ていくと、分厚く、立体的に盛り上がった箇所もあれば、逆にかすれたように薄くなり、下の青がのぞいている箇所もあります。それらが、流動的というか、輪郭による明確な形として描かれるのではなく、近くで見ると粗い筆遣いで乱暴と見えるほどに描かれています。それを距離をとって遠めに眺めると雲に見えてきて、しかもフワフワして無定形で、流動的な動きを感じるのです。この表現力というのは、他の作家の風景画では見られないものです。ちょっと先取りしますが、それだけ描かれている雲は、作品画面の中で占める比重が大きくなって、画面全体の雰囲気や明るさを決めてしまうものとなっていきます。そして、それがある種の表現力というのか、画面の雰囲気というものを越えて、見る者に感情的な効果を引き起こすようなものになっていくのです。おそらく、コンスタブルの風景画を見て心を動かされるというのは、そういうことではないかと思うのです。

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