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2021年5月22日 (土)

テート美術館所蔵コンスタブル展(3)~2章 自然に基づく絵画制作

 1802年からコンスタブルは、ロンドンから故郷のサフォークに戻り、太陽の下で自然を描き始めた、ということです。それまで、絵画というものは、アトリエの中、つまり屋内で制作されていた。それは風景画も同じで、アトリエの中で三脚に立てかけられたキャンバスに、外で見た景色を思い出したり、スケッチブックにスケッチした下絵を参考にしたりして、描くのが一般的だったというのです。そこには絵の具の改良など道具の進歩もあったのでしょうが、コンスタブルは、「あらゆる創造力がそこから湧き出る源泉」として自然を捉え、その根源的な本質を探るには戸外で描く必要がある、と考えていたといいます。だから、アトリエで描かれた17世紀のオランダの風景画のような精緻な描き方はできなかったということなのでしょうか。このころから、コンスタブルは故郷の同じような風景の油彩のスケッチを繰り返すように描きます。デダムの谷も彼が何度も描いた対象です。とにかく、そうしているうちに1810年ごろの作品から、らしさが出てくるように見えます。
Costablededam  「デダムの谷の眺め」という1802年の作品です。生産年代は、前のコーナーで見た「教会の入り口、イースト・バーゴルト」よりも前のころのようです。この油絵作品も、油彩のきっちりと色が区画されて絵の具で塗られた形態を明確にするのではなくて、水彩絵の具のようなぼんやりとフワフワしたような感じになっています。それゆえに、風景全体が霞がかかったようなぼんやりした感じになって、遠景の教会のある町は遠く霞んでいるし、下に見下ろす農家の建物もきっちりした建築の存在感が感じられません。また、手前の樹木についても黒く見える幹や枝も墨絵のように薄ぼんやりしていて、樹木のきっちりした輪郭がわかりません。つまり、手前の林は一本一本の木が見えてもいい距離なのに、一部でぼんやりと幹や枝が表れている以外は緑色のフワフワした集まりになっています。そして、同じようにフワフワしたのが空に在って、それが雲です。この作品は、ぼんやりとした色合いで、フワフワ描かれたものによって構成された空間が風景に見えるという作品になっている。そういう作品世界のあらわれとして見ることができるものがコンスタブルの風景画の特徴で、その萌芽を顕著に見ることができるといえると思います。
Costablededam2  「デダムの谷」という1805年頃の作品は、デダムの谷を描いた習作のひとつとして上記の作品と並んで展示されていましたが、同じように画家が一人で自然を眺めているというアングルです。ランガムのガン・ヒル付近から、ストアー渓谷をデダムに向かって見下ろし、さらに遠くにハリッジを望むと説明されています。右側には大きな背の高いニレの木がキャンバスの上までそびえ立ち、中央の広々とした空間と左側の青々としたニレの木や低木が視覚的にバランスをとっています。その間に縁取られた広大な空間は、地平線まで伸びるストアー渓谷の景観です。川の湿地帯の向こうにはデダムの町があり、教会の塔を中心に屋根が高くそびえる小さな都市です。さらに地平線上には、ハリッジとその川、そして一艘の船とその帆があります。構図は、ゲインズバラや同時に展示されている画家たちに通じるところがありますが、画面中央に遠望する空を描くスペースを大きくとっていて、他の画家ならば、背景となる空を主役の位置に描いて、木々を背景、というか空を描くための枠のようにしています。そして、ゲインズブルのように丁寧に描きこまず、多少大雑把目に流れるようにサッと描いています。しかし、残念なことに、主役の位置の空や雲は、それ適するほどの描き込みができていません。それには、この後何年かの成熟が必要だったのでしょう。
Costablemol  「モルヴァーン・ホール、ウォリックシャー」という1890年の作品です、そのようなぼんやりフワフワがより明確に表れてきていると思います。画面手前を横切るように池の水面が配置されていて、庭園の木々や建物が水面にぼんやりと映っています。それがぼんやりフワフワです。そして、薄暗い天気の下で庭園の木々はぼんやりと描かれ緑のフワフワです。そして、上空にはフワフワの雲がまるで建物の影のような形で背景をつくっています。その画面の中央に建物があり、左側の木々の下に沈んだ太陽の光があたって固い輪郭がはっきりと表れています。それが周囲のフワフワと対照となって互いを際立たせています。
 「製粉所わきの流れ」という1810年の作品です。21×29㎝という小さなサイズの、油絵での下絵だろうと思われる作品です。下絵だからかもしれませんが、これまで見てきた作品とは明らかに異質です。画像では分からないと思いますが、実際の作品を見ると、それまでの作品とは絵の具の塗りのCostablemill 厚さが全然違うのです。まるで水彩画のような油絵作品から、これは絵の具を置くように厚く積み上げるようです。しかも、これ以前の作品では、水彩絵の具が滲んで混ざるような、どんよりした画面だったのが、この画面では、例えば画面上部の空の雲の部分は、白とグレーと空の青の絵の具が混ざっているところもありますが、混ざらないで並べてあって、筆つかいの跡が荒々しく残されていて、それが作品を見る人には、混ざっているように見えるのと、そこにダイナミックな動きを感じさせるようになっています。このような部分は、分厚い塗りと相俟って、後期印象派のファン・ゴッホに似てきているように見えてきます。印象派を想わせる点でもそうなのですが、前のところで「~らしさ」の風景ということを述べましたが、「~らしさ」の風景というのは見る者からは誰が見ても、そう見えるという風景、つまりは客観的に見えるという風景と言えると思います。そのように「~らしく」見えるためには、一定の共通事項を踏まえることが必要と言え、定式化された文法のようなものがあり、それが体系化されたプログラムになっているのがアカデミックな絵画と言うことになるのではないかと思います。それに対して、コンスタブルは、「~らしく見える」という見る者の側から、「私はこう見ている」という個人の主観的(客観に対する)な視点で描いているように見えます。それは、建物らしい建物や樹木らしい樹木がそう見えるようにレイアウトされて絵画の画面を構成して、画面に風景という空間が存在しているように見せるというのではなくて、コンスタブルの目の網膜に映っているのを認識しているのを描いている。それが、風景という実体の存在ではなくて、それを網膜に映している空気とか光の構成を描いている。そこにコンスタブルの風景画の特徴があるように思います。ただし、この時点では、それを自覚しているわけではなく、素人画家の風景の水彩画の世界を昇華させたようなものだと思いますが、それを作品に結晶化する過程にある作品のように思います。
Costableflatford  「フラットフォードの製材所」という1816年頃の作品。1×1.3mという大きなサイズの作品で、会場でも目立っていました。この時期を代表する作品という位置づけなのだろうと思います。この美術展のポスターで使われていることからみても、この展覧会でも、コンスタブルを代表する作品とみなされていると思います。
 ところで、この展覧会ではコンスタブルのライバルとしてターナーの作品も展示し、両者の対決の演出も施しています。二人の違いはいくつもありますが、そのひとつとして、ターナーはイギリスや大陸を旅して、華やかなものを中心に撮影したのとに対して、コンスタブルは家にこもって、地元の限られた地域の風景を、平和で静かな農村風景を中心に描いたということです。このような旅への抵抗感は、彼の作品作りに大きなメリットをもたらしました。旅人は風景の表面的に捉えがちですが、その土地の住人は、外見だけでなく、その土地の歴史、地元の人々の経験や付き合い、その土地に対する思いなど、内的な質も含めて、その風景を熟知しているものです。コンスタブルは、このようにして自分の国を深く考え、あらゆる角度から発想することができたのです。そして、「田舎の生活感」こそが「風景の本質」であるというとこに行き着いたと思います。たしかに、ターナーの作品に、そういう生活感は見られません。
 当時、コンスタブルが故郷のストアー渓谷の風景を描くようになった頃、この地域はまだ文学的な連想ができない素朴なものだったといいます。一部の絵画や版画を除いて、この川についての詩的な記述や地形学的な歴史は書かれていませんでしたし、ストアー川と王族や過去の重要な事件を結びつけるような歴史的なモニュメントの存在を示すものはなかったといいます。しかし、コンスタブルは彼個人の詩的な感情や連想から、ストアー渓谷に自分の理想とするアルカディアを見出した。ストアー渓谷の田園風景は、コンスタブルにとって「ただの野原」ではなく、素朴な田舎の生活は、彼にとって、「優雅な充足感、満足感、引退感」や「安らぎ」の場という感情や連想を起こすものとして捉えられたのではないかと思います。そのためか、彼の風景画は、歴史画のような複雑な構成過程を経て描かれていると思います。彼の大きなサイズの風景画は、しばしば歴史画のような複雑な構成過程を経て描かれており、決して自然界をそのまま写し取ったものではなく、シーンの効果に焦点を当て、大雑把にみえる粗い筆遣いと輪郭をぼやかすような表現で、全体に穏やかで調和して印象のものにしています。例えば、この作品では、イースト・バーグホルトのフラットフォードにある父親の製粉所とその側の川の流れを中心とした水の風景です。中央手前には、佇む馬に子供がまたがって、川には釣り人の姿が見られる。夏の緑の中の静かな静寂、そして鑑賞者の思索を呼び起こすような絵です。

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