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2021年5月20日 (木)

テート美術館所蔵コンスタブル展(2)~1章 イースト・バーゴルトのコンスタブル家

 コンスタブルが描いた家族の肖像画や、習作期の風景画。そして、彼の周辺の画家たちの作品。コンスタブルは、風景画ばかり描いていたのではなく、肖像画も描いていた。しかも、それなりによく描けていると思います。この時代は、写真が普及する前ですから、大英帝国の繁栄で勃興するブルジョワジーや貴族など肖像画のニーズは多く、画家たちは肖像画を描くことで稼ぎを得ることが大きかったと思います。まとまりがあるし、おそらくモデルの特徴をよく掴んでいるように見えるし、それなりのものは描けていると思います。しかし、後世に残してモデルと縁のない私たちのような人たちが、独立した作品として鑑賞するほどのものではないと思います。
Costablechurch  ここで展示されている風景画は水彩です。1800年の最初のころに制作されたものだから、コンスタブルの20代後半のころ、おそらく風景画家として立つ前のころではないかと思います。コンスタブルは23歳のとき、父親の許しを得て、ロイヤル・アカデミー・スクールに入学します。しかし、彼のアカデミーでの経験は、熱心な努力にもかかわらず、実りあるものではなかったといいます。彼はアカデミーという組織を賞賛しながらも、その概念に反発し、その一方でホームシックにもかかった。都会の空は澄んでいないと不満を持ち、子供の頃の平和な風景を切望するようになります。1802年、彼はサフォークに戻り、それ以来、コンスタブルは愛する故郷から離れることはなかった。そこに、ロイヤル・アカデミーという権威のある絵画の世界や、それをとりまくロンドンという都会の文化や環境とは相容れなかったのでしょう。そこに、もともと、マイペースな田舎者とでもいうような自身を自覚したのかもしれません。一点集中とでもいえる、彼の作品の傾向は、そういうところに因っているかもしれないと思えます。例えば、「教会の入り口、イースト・バーゴルト」という1810年に公開された油絵の作品です。茂っている林の木々の枝や葉などの描き方が、よく言えばうまく省略をしている、わるく言えば、ぞんざいで雑に書きなぐっている。生い茂る木の葉は粗く絵の具を塗って、塗りむらが結果として、それを表わしている。しかし、教会のレンガの建物と並んで立っている樹木に大きな違いはないのか、両者に質感の違いは見えません。これは、水彩画を描いてきたからでしょうか。水彩絵の具は油絵の場合とは違って、水に溶け、紙に塗ると滲んだりします。それを利用して、この時代の素人の人たちもスケッチブックを手に水彩画を手早く描くということが行われた。その際には、アトリエで油絵具を塗っては乾くのをまち、その上にまた絵の具を重ねるといった時間をかけるものではなくて、さっと塗ってしまうようなものだったのではないかと思います。それは水彩絵の具の性格から必然的に生まれたPrado2018lorran2 やり方であったように思います。その場合、木の葉の一枚一枚を描くだの、質感の違いを描き分けるには、時間もかかるし、絵の具の絵の具を重ねるようなやり方で可能になるようなもので、水彩画はそれと違って、紙の上にさっと塗り、乾かぬうちに別の色を塗れば、滲んで色が混ざってしまう。そこでは、描いたスケッチの輪郭にさっと塗ってしまう。そういうことになると、紙の上のスケッチの輪郭の上に色が塗り分けられたという、塗り絵のような紙の上の絵の具の色の配置に還元されていくようなものになります。そのセンスで描かれた油絵作品が、これではないかと思えます。だから建築物である教会の石の壁がどっしりとした重量感を感じられず、建物の感じがしないのでした。同時に展示されていた素人画家の描いた風景がと、それほど変わりがないのではないか。少なくとも、私は、それらとこの作品が、はっきりと違うとは言い切れませんでした。おそらく、コンスタブルの画風というのは、そういう人たちの中から生まれてきたものなのではないか、当時の芸術絵画にはジャンルのヒエラルキーがあって、宗教画や歴史画が、その上位に位置して、風景画は下位あったといいます。画家のランクも宗教画や歴史画を描く画家が高位で、風景画家は下に見られていた。だから、一般的に画家たちは宗教画や歴史画を描き、そこで評価を得ることを目指していたといいます。そういう時代に、風景画のみを描いたコンスタブルやターナーは、当時の常識からは外れた、いわばアウトローだったと説明されていました。それは、幼少のころからアカデミックな教育を受けたわけではなく、画家の修業を始めたのかが比較的遅い年齢だったことも原因していたのかもしれないと思います。いったん商業の世界に足を踏みいれてから、画家を志したということで、商人という画家とは違う人々の中で過ごしたところで、アカデミズムとは異質な、その文化的な素地を作ったのではないか。たとえば、歴史画に最高の価値を置くアカデミズムでは、歴史画を描くための教育をするようになっています。歴史の場面を描くには、例えば背景の風景では、実際の風景では歴史の場面であることが分かる風景でなくてはならず、それが分かる風景を描くことが必要になります。それは、実際の風景ではなくて、それらしいと見る者が分かる風景で、「~らしさ」を見る者に感じさせるものを描くことが優先されるわけです。「~らしさ」を感じるというのは、誰が見てもそうだと分かるというもので、それは一種の理想的な姿で、形態が明確であるということです。しかし、コンスタブルのこの作品を見ていると、建物が建物らしく、周囲の木々とは区別されるようには見えません。つまり、そういうものとして描かれていないのです。それは、コンスタブルには、そういうアカデミズムの影響を受けた理想化させるような視点で風景が見えていなかった。むしろ、理想から離れた個性的なものとして見えたのではないか。そういう見え方は、ここで展示されているような素人の愛好家や画家たちの見え方から生まれてきたものではなかったのかと思えたのでした。
Costablegains  参考に、トマス・ゲインズバラの「休憩中の農民がいる風景」の方が、よほど風景画らしさがあると思います。木の葉の一枚一枚をきちんと描いているし、丁寧さが違います。むしろ、こっちの方がよく見えます。コンスタブルの拙さということもありますが、彼がアカデミズムに寄っていないとも言えると思います。ここで、ターナーの水彩もありましたが、これもパッとしない感じで、あまり差があるようには見えませんでした。

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