鈴木卓爾監督の映画「嵐電」の感想
ストーリーや概要を記すことは難しい。というかほとんど意味がない。だって明確な起承転結はないんだから、一昨日の分かり易さを第一とする人々には、見る対象に入ってこない作品だと思う。一応、中年、若い大人、高校生の3つの恋の話があることはあるが、一筋縄に進まず、行きつ戻りつする。そのうちに過去と現在の区別がつかなくなり、その繰り返しに巻き込まれているうちに、いつの間にか未来に来ていることに気付く。というより、現実に幻想が交錯する。その特異な空間にいきなりきしみ音を立てながら侵入してくる嵐電の車両。まさに映画的空間、そして疾走する路面電車のアクション。実際のところ、電車に乗ったら、そこには乗り合わせた人々の人生の断片が飛び交っているんだよね。それらが、この映画では、見る者に語りだす。要は、それに耳を傾けるかどうかなのだ。実は、それこそが、似たような映像メディアでもテレビドラマやアニメとは違う、映画の醍醐味なんだが。
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