マルセル・プルースト生誕150年
7月10日、マルセル・プルーストの生誕150年になるという。
学生時代には、『失われた時を求めて』全編の翻訳がなかった。あったのは、世界文学全集に抜粋があった程度で、しかも、そのあまりの長編ゆえに数名の翻訳者が手分けしたもので、途中で文体が変わったりして、読みにくいことこの上なかった。しかも高価だったので、学生には手が届かなかった。就職して、しばらくして筑摩書房でプルーストを専門にする仏文学者による全集の翻訳が始まった。第1回の配本が『失われた時を求めて』の第1章で、社会人となっていたので高価な本でも買って読むことができた。そのあと、配本のたびに10巻が、その小説で、通読するのに4~5年かかったと思う。何とも長大な小説で2段組みページに細かい字がびっしり詰まっていて、小説の冒頭の100ページ近くが、未だ少年の頃の主人公がベッドに入ってママンがお休みのキスをしてくれないということを延々と、くどくどと述べるというので、それで脱落する人が多い。さらに、この作家に独特の文章の癖が、以上に長いセンテンスで、ねちねちくどくどした、婉曲を駆使した言い回しを多用して、まどろっこしいことこの上ない。そこを過ぎると「スワンの恋」で一気に物語に没入できるし、独特の文章も慣れてくると、その文章ではじめて表現できる微妙なニュアンスというか物語の綾が味わえるし、あとは次の配本が待ち遠しくなったものだった。ただ、「スワンの恋」なんかもそうなんだけれど、予備知識があって、注意深く読んで、独特の文章に込められたニュアンスを読み込めていないと、スワンの恋の相手が娼婦であったことが分からないし、スワンがユダヤ人で貴族のサロンの常連の裕福なブルジョワであることもあって、それが分かるか否かでは、この物語の悲劇性と滑稽さが味わえない奥深さがある。そういうと、難解な小説のように思われるが、そういう苦労をしても、読む価値のある小説だろうと思う。その取っ付きにくさ故に、20世紀最大の小説(たしかに長大さは最大だと思う)などという評判だけがひとりあるきして、あまり読まれないのは残念だと思う。ちなみに、かつて、大枚をはたいて購入した『失われた時を求めて』は、いまは、ちくま文庫になって、千円単位で買うことができる。個人的には、悔しい思いをしている。「あの時の金を返せ!」
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