若松英輔「小林秀雄 美しい花」
同じ著者の井筒俊彦や池田晶子の評伝がよかったので、苦手の小林秀雄について何かのとっかかりを掴めないかと一抹の期待を抱いて手にしたのだったが、この著者をもってしても小林は手強かったというところか。小林の文章のなかから、精神とか魂といったような語句が散りばめられているとこをアトランダムにピックアップして並べて、それらに小林の伝記的エピソードを付加して、尤もらしいものがたりを作るのが精一杯だったように思う。
私のころは、小林秀雄は大学入試の現代文の問題で使われることの多い作家で、近代的な批評家の草分けとして権威のある作家だった。それで文庫本になっていた著作を何冊か読んでみたが、評論であるはずなのに、論理の筋道がなくて、何を言いたいのかという内容が、突っ込めば突っ込むほど分からなかった。例えば、代表作といってもいい「モォツァルト」は、有名な街中の通りをブラブラ歩いていて突然頭の中に交響曲40番が鳴り響いたという小説のようなエピソードが小林の個人的な語りで、モーツァルトの音楽とどう関係するのか混乱するばかり。弦楽五重奏曲に対して“疾走する哀しみ”という有名な形容をするが、それがどういうことか内容は分からず、曲のどういうところをどのように聞くと、そういう形容が出てくるのかの説明は一切なく、“疾走する哀しみ”という尤もらしいレッテルに自身の触発されるように主観的な思いが綴られる。その結果モーツァルトの音楽はどうでもよくなる。そうなると、小林と同じように“疾走する哀しみ”と感じられなければ、その批評についていけなくなる。そこで、ついていけなければ、文章が理解する力が足りないとか、モーツァルトが分からないと同義ということになる。私には、小林は、自分はどのようにモーツァルトを捉えようとしているのか客観的に見ようというような厳しさのようなものが欠如しているように見える。
この著者は苦労して、小林の詩的精神を称揚しているようだが、私には、その著述に穴が見えてしまうことから、却って小林の欠如した印象を強くしてしまった。でも、そういう小林の亜流というか、追随者で権威のようになっている人が少なくない。例えば吉田秀和とか。
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