緊急事態を平時の感覚で捉えてしまう
半年ほど前の大阪を中心とした医療体制の逼迫と現在のそれとは状況が異なるという。半年前と異なる現在の状況の特徴というのは、重症化しやすい高齢者に重点を置いたワクチン接種が進んだことにより、高齢者の発症が減って、代わりに40代~50代の現役世代の感染者が増えたことだという。そのため入院患者が死ななくなった。死者が減ったのはいいことだが、死ぬことで病院から退出することがなくなった。つまり、入院しても死なないので、ずっと入院したまま、そこに感染者が増えてくると、病院がパンクすることになる。それが現在の医療機関の逼迫の特徴だという。
だから、半年前は死亡率や感染者数がキーポイントだったが、現在では最早それはピント外れとなっている。毎回、緊急事態宣言が出る毎に、実は、出口が変わって来ている。それに対して、「出口戦略はどうなっているのか」、「もっと明確にしろ」とみんな怒るのだけれども、デルタ株が出て来たり、ワクチン接種が進んだり、いろいろな状況が変わることによって、事態は変化している。事態が変化していることに、どうやって追随してキャッチアップして行くかということが、感染症対策にとって重要。そこで一貫性とか戦略性を求めるのは、筋違いではないか。一貫性とか戦略性というのは、既存の経験が有効な土台となって、その延長として先を考えるという、未来を予定と考えるから計画が可能なのではないか。それを、われわれが経験したことのない未知の事態に対して求めるのは、非常事態で平時を求めることではないか。
その都度、柔軟に対応を変えて行くというのは、そういう平時を求める人から見ると右往左往しているようにしか見えない。だから今回も、いままでステージなどと言っていたのに、「なぜ医療がひっ迫しているかどうかが解除の要件になるのだ」と怒り出す人もいる。それは、未知の新しいことに挑戦して試行錯誤することに、効率性やリスク回避を要求して潰してしまうことに似ているのではないか。
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