伊藤俊一「荘園─墾田永年私財法から応仁の乱まで」
聖武天皇の時代の天然痘の大流行(人口の1/3が死亡)の復興のために、墾田永年私財法による経済復興事業から始まった荘園が時代につれて変遷し応仁の乱後に解体するまでの歴史が取り上げられている。農地の私有から免田型荘園、領域型荘園そして中世の荘園へと荘園制自体が変遷していく。とくに著者が重点的に取り上げるのが、領域型荘園で、これは在地領主層が院宮王臣家・摂関家が大規模に展開していった広域の地域全体を囲いこむ「領域型荘園」の立荘手続きの最初の核となる土地を中位貴族層の仲介で寄進することで広域の荘園の荘官に化けるという「マジック」の産物なのだという。つまり、在地領主から中位貴族へ、そして最後に院・摂関家へという寄進の段階的流れによって本家・領家・荘官の三階層が生まれたという従来の見方は間違いで本当は三階層は領域型荘園の創建時に同時に生まれたのだという、新しい視点を提示している。
ただし、著者はよい意味でも悪い意味でも歴史家で、歴史的な変遷を追いかけるには要領よくまとめられているのだが、荘園制というシステムが全体としてどのような構造で、どのように機能しているのかという全体像は分からなかった。著者は、社会経済システムを把握するという発想そのものがないことがよくわかった。例えば、荘園の収穫はどのように流れて、どのように富が生まれて、どのように分配・蓄積されるかということは全く触れられていなのが残念だった。おそらく、土地を私有するということの意味内容は、現代の資本主義的な経済社会とは全く違うものであったと思うのだが、そういうことに興味がある私には、物足りないものだった。
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