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2021年9月

2021年9月29日 (水)

伊藤俊一「荘園─墾田永年私財法から応仁の乱まで」

11112_20210929213701  聖武天皇の時代の天然痘の大流行(人口の1/3が死亡)の復興のために、墾田永年私財法による経済復興事業から始まった荘園が時代につれて変遷し応仁の乱後に解体するまでの歴史が取り上げられている。農地の私有から免田型荘園、領域型荘園そして中世の荘園へと荘園制自体が変遷していく。とくに著者が重点的に取り上げるのが、領域型荘園で、これは在地領主層が院宮王臣家・摂関家が大規模に展開していった広域の地域全体を囲いこむ「領域型荘園」の立荘手続きの最初の核となる土地を中位貴族層の仲介で寄進することで広域の荘園の荘官に化けるという「マジック」の産物なのだという。つまり、在地領主から中位貴族へ、そして最後に院・摂関家へという寄進の段階的流れによって本家・領家・荘官の三階層が生まれたという従来の見方は間違いで本当は三階層は領域型荘園の創建時に同時に生まれたのだという、新しい視点を提示している。
 ただし、著者はよい意味でも悪い意味でも歴史家で、歴史的な変遷を追いかけるには要領よくまとめられているのだが、荘園制というシステムが全体としてどのような構造で、どのように機能しているのかという全体像は分からなかった。著者は、社会経済システムを把握するという発想そのものがないことがよくわかった。例えば、荘園の収穫はどのように流れて、どのように富が生まれて、どのように分配・蓄積されるかということは全く触れられていなのが残念だった。おそらく、土地を私有するということの意味内容は、現代の資本主義的な経済社会とは全く違うものであったと思うのだが、そういうことに興味がある私には、物足りないものだった。

 

2021年9月20日 (月)

大木毅「『太平洋の巨鷲』山本五十六─用兵思想からみた真価」

11112_20210920190601  ロンメルやグデーリアンといったドイツ陸軍の電撃戦の関係者を取り上げてきた「独ソ戦」の著者が、今度は、旧日本海軍の山本五十六を軍事の専門家としての能力から評価を試みた著作。
 山本の戦歴を分析していくと、軍艦の艦長名等の戦場の指揮官レベルの戦術的面や、艦隊指揮といった作戦レベルでの実績は平凡だという。むしろ、彼の特徴は大局的見地に立つ戦略レベルでの能力の高さにあるという。航空総力戦を予想しての軍戦備の推進、日独伊三国軍事同盟は必然的に対米戦争につながるという洞察、さらには対米戦争では必敗となるという認識など、後世では常識となっていることだが、当時に気づいていた人は少なかったし、ましてや明確に表明した者は数えるほどしかいなかった。第1次世界大戦以後の海軍の仮想敵国はアメリカで88艦隊という規模を整備し漸減遊撃作戦が基本戦略だった。つまり、広大な太平洋を航海してくる艦隊を迎撃して戦力を徐々に削って疲れさせるという戦略。しかし、山本は総力戦と工業力の飛躍的進展により、その基本戦略は通用しないことを知る。そこで、唯一求めた活路が短期的に戦力を集中させて、相手の戦意を削いで講和にもっていこうとした。開戦時の真珠湾攻撃はそういう戦略から発想されたもので、そのために教官も動員して航空部隊を編成したり、空母を分散させずに集中させる機動部隊という、リスクをとり長期的な継戦を考えない選択をした。しかし、ミッドウェイ海戦での敗北が、その戦略を破綻させてしまう。そのご、短期的に戦力を大盤振る舞いしたことにより、実質的な戦略的な作戦行動がとれなくなり、山本自身は、その後の戦略を考えられず、いわば弥縫策にかけまわるようになってしまう。
 面白いのは、山本の挫折の大きな要因として、連合艦隊司令長官という本来は作戦レベルでの責任者であるべき立場で、真珠湾攻撃という戦略を発案し、大成功を収めてしまった結果、軍令部という海軍の戦略担当部門を差し置いて山本が戦略を担う結果となり、海軍の戦略が二つの部門で担われることになって、海軍として戦略目標が絞れなくなって、現場の判断が混乱していったことにあったという。その典型が、ミッドウェイ海戦やガダルカナルの失敗だったという。
 阿川弘之の浩瀚な評伝で表わされた人物像とは違ったイメージの山本像で、とても興味深いし、真珠湾の作戦の内容分析は、それだけを取り出しても戦記本とは全然違って面白い。

 

2021年9月12日 (日)

菅賀江留郎「冤罪と人類─道徳感情はなぜ人を誤らせるのか」

11112_20210912191401  戦前や戦中や戦後に起った冤罪事件を調べ、何故そういう事が起きたかを調べたノンフィクション。静岡県で戦争中におこった連続殺人事件「浜松事件」と戦後6年目に起きた冤罪事件「二俣事件」を取り上げる。「浜松事件」の事件解決に偶然に貢献した刑事が脚光を浴びることになる。しかし、彼の声価は戦時下の内務省と司法省の警察権力をめぐる対立が生みだした虚像だった。その後、敗戦と占領によって内務省は解体され、警察が再編されるなかでその虚像が一人歩きを始める。その刑事は、期待を集めるなかで次々と重大事件を解決したのだが、手段は拷問による自白、証拠の捏造、供述調書の創作という冤罪によるものだった。この本で取り上げた「二俣事件」はその典型だった。
 能力もあり、正義感の強く仲間思いだった刑事が、当時の治安状況や警察の事情からうけたプレッシャーと独り歩きした虚像に押し流されるように、彼は善意のうちに冤罪に手を染めていった。
 どうしてそんなことになったのか、その要因がこの本の副題にある道徳感情なのだと著者は指摘する。人間の本性の一部をなす道徳感情は、人類の進化の過程で獲得した心の性質。それは、仲間を救っておけば、自分が危険に遭ったときに助けてもらえるという互助の心性だ。これが言語によって抽象化、一般化されたときに社会的サンクションに変化する。しきたりとか慣習等と言われる道徳感情のシステム化だ。しかし、この道徳感情は時として短絡に走り、自己破壊的に作用してしまう。変な喩えかもしれないが、5.15事件や2.26事件の青年将校たちは私心なく純粋に国を憂いたがゆえに、責任を感じることも感情も良心の呵責もなく、まともな感覚があればとてもできないことでもやってしまえた、と著者は言う。
 つまり、人は誰でも道徳感情をもっているがゆえに、冤罪の加害者になりえるのだということになる。著者は、それを防ぐためには、多様性の中にいること、つまり自分とは異なる意見をつねに脇に置いて独善の歯止めとすることだという。そこで民主的プロセスというものの意義を再認識させられることになると思う。

 

2021年9月11日 (土)

アメリカのアフガン撤退は近代日本の大陸進出の失敗に似ている気がする

 これは事実の根拠があるわけではない。私の個人的妄想なのだが、このたびの合衆国のアフガニスタンでの敗北を見ていると、明治以降の近代日本の大陸への進出が最終的には第二次世界大戦の敗北によって失敗におわったのだが、それと重なるように見えてしまったのだった。
 明治新政府が最初に対外的に動いて締結した条約は日朝修好条規で、内容は両国に平等の内容だった。当時は清の冊封体制に組み込まれて半独立国のようだった朝鮮にたいして、日本が列強に結ばされたような不平等条約を強制することもできたはずだったがしなかった。その後の日本の動きには朝鮮を明治維新のように近代化させて独立国として自立させようという考え方があったと想像させるところがある。それは、アメリカが後進国のアフガニスタンを近代化させ民主化させようとしたところと重なる。上から目線で、どちらの場合も現地では、歓迎されたわけではなく、近代化なり民主化の試みは反発を招き泥濘化していく。しかも、どちらの場合も経済的なメリットはなく(日本の場合は、そのため理念に動かされたマンチックなナショナリストや軍部が進め、英米派という名の帝国主義者のリアリストたちは反対したし、アメリカの場合はネオコンという理想主義的なロマンチストが進めた)、ロシアの侵略に対する防壁とかテロリスト対策といった間接的な目的を掲げていた。そして、失敗が決まったときの撤退のドタバタで、アフガニスタンの撤退はニュースで見たとおりだし、日本の場合は大陸からの人々の引きあげは惨状を極めた。
 両方のケースは規模や期間など違いは沢山ある。むしろ同列に並べること自体に無理があるが、どこか似ているように見えてしまう。なお、日本の大陸進出を上述のように述べるのはひとつの視点であり、そう言い切れるものではない。

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