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2021年9月11日 (土)

アメリカのアフガン撤退は近代日本の大陸進出の失敗に似ている気がする

 これは事実の根拠があるわけではない。私の個人的妄想なのだが、このたびの合衆国のアフガニスタンでの敗北を見ていると、明治以降の近代日本の大陸への進出が最終的には第二次世界大戦の敗北によって失敗におわったのだが、それと重なるように見えてしまったのだった。
 明治新政府が最初に対外的に動いて締結した条約は日朝修好条規で、内容は両国に平等の内容だった。当時は清の冊封体制に組み込まれて半独立国のようだった朝鮮にたいして、日本が列強に結ばされたような不平等条約を強制することもできたはずだったがしなかった。その後の日本の動きには朝鮮を明治維新のように近代化させて独立国として自立させようという考え方があったと想像させるところがある。それは、アメリカが後進国のアフガニスタンを近代化させ民主化させようとしたところと重なる。上から目線で、どちらの場合も現地では、歓迎されたわけではなく、近代化なり民主化の試みは反発を招き泥濘化していく。しかも、どちらの場合も経済的なメリットはなく(日本の場合は、そのため理念に動かされたマンチックなナショナリストや軍部が進め、英米派という名の帝国主義者のリアリストたちは反対したし、アメリカの場合はネオコンという理想主義的なロマンチストが進めた)、ロシアの侵略に対する防壁とかテロリスト対策といった間接的な目的を掲げていた。そして、失敗が決まったときの撤退のドタバタで、アフガニスタンの撤退はニュースで見たとおりだし、日本の場合は大陸からの人々の引きあげは惨状を極めた。
 両方のケースは規模や期間など違いは沢山ある。むしろ同列に並べること自体に無理があるが、どこか似ているように見えてしまう。なお、日本の大陸進出を上述のように述べるのはひとつの視点であり、そう言い切れるものではない。

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