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2021年11月

2021年11月21日 (日)

大木毅「日独伊三国同盟『根拠なき確信』と『無責任』の果てに」

11112_20211121180801  第二次世界大戦前夜の日独防共協定から日独伊三国軍事同盟の締結となり、対米宣戦に至ってしまう、ドイツに惑わされ、利害損失を十分に計算することなく、枢軸国と結び米英と戦うに至るまでの経緯を物語風にまとめたもの。著者は、これを主役のいない物語という。長期的な見通しも、確固たる戦略もない脇役が、次から次へと立ち現われ、ただ状況に翻弄されるなか、利己的に動き回る。その行く先が奈落の底であるとも知らず。皇国の存亡、国運の浮沈といったことを、当時の政府や軍部の指導者たちはしばしば口にしたが、心の底では国が滅びるなどありえないと高を括って、国益よりも自身や組織の保身、あるいは功名心を優先した。歴史家の加藤陽子が、破滅の回避のチャンスはいくらでもあったのに、自覚でも無自覚でも、それらのすべてチャンスをことごとく外していってしまったのを、彼らは受け身で対していたと分析した。この著作では、それを群集の集団心理のような個人が主体的責任を持ち得ない行動の積み重ねとして描写する。
 しかし、これは現代の日本でも、それを批判できるのか、とも投げかけている。例えば、バブルの頃には、日本経済の繁栄は永遠に続く、地価は右肩上がりのままだといったあり得ない言説が真顔で唱えられていた。それほどの誤謬でなくても、親方日の丸意識もとに税金を浪費する政治家や官僚は、後を絶たない。最近の政策論議などもそうだが、国家財政が破綻し、彼らを養えなくなる事態が来ないという保証などどこにもないという危機感を自覚しているとは到底見えない。この著作で取り上げられている戦前のリーダーたちと、どこが違うのだろうか、と思ってしまう。ただし、そんなことを思っているということは他人事となってしまう、言われても反論しようもないのだが。

 

2021年11月15日 (月)

山根貞男「東映任侠映画120本斬り」

11112_20211115204001  東映の任侠映画というは1960年代後半から10年くらいの間に量産された一連のプログラム・ピクチャーで、マスコミとか偉い識者のセンセイ等の言説では当時の学生運動の盛り上がりと結びつけて全共闘の学生たちの反体制的な情念を受け留めるものとして、アジテーションに「異議なし」と応じるのと同じ声が映画館の中で「健さん」という声がかかって、人気を博したなどと語られている。しかし、リアルタイムで新宿の映画館で見ていた著者によれば、詰めかけていた客の大半は下駄ばきのニイチャンやネエチャンたちで学生らしき人は少数派だったという。明治とも大正とも昭和初期とも特定できないが昔っぽい風景で、着流し姿の男が容易に手にすることができないはずの日本刀を携行し、非道を重ねる悪玉をやっつける。これは、ハリウッド映画の西部劇が歴史的事実の根拠が稀薄なノスタルジックなファンタジーだったのよう同じようなので、高度経済成長のあくせく働く人々の日々の鬱屈を受け留める娯楽だったと指摘する。
 そして、この著作の白眉は、そういう視点で120作もの任侠映画をひとつひとつ語っていること。健さんなどのヒーローを讃美するのでも、単にあらすじを語るのでもなく、それぞれの映画としての楽しみを語っていて、それらを読んでいると、映画をみたくなるところ。例えば、加藤泰という監督の特徴であるローアングル(ローアングルというと、小津安二郎監督の固定ショットが有名だが、それとは印象が違う)で撮られた藤純子の仁義を切る姿の美しさと、その視線の低さが社会のどん底であるやくざの低さに視線を落として世界が見えてくるという没入の感じを見る者に持たせるといったことなど。実際、緋牡丹お龍の、今から見るとちょっと倒錯したような美しさに目を見張ってしまった。

 

2021年11月 5日 (金)

西谷正浩「中世は核家族だったのか─民衆の暮らし方と生き方」

11112_20211105224401   敗戦と戦後の社会経済の構造変化によって、日本の家族制度は大きく変わった。しかし、それ以前はずっと「家」という旧制度だったわけではない。例えば、古代社会では婚姻は通いから始まり同居に移るが、生涯の通いもあった。夫婦関係は、愛情関係は、愛情が途絶えれば配偶者を代えても非難されないような、一対の男女の緩やかな結びつきであり、安定していなかった。当時の家族の結びつきは弱く、父方・母方双方の親族関係の方が優越しており、地縁・血縁による村落結合に依存しつつ日常生活を営んでいた。それが9世紀ごろから大規模な地震や火山噴火が相次ぎ、平均気温の低下による気象異常による旱魃や水害の頻発、疫病の流行などにより、人口が大幅に減少し、その結果、村落共同体が成り立たなくなって、10世紀には消滅してしまう。それが平安末期のこと。
 その後、鎌倉にはじまる中世では、人々は村落結合という共同体の支えを失い、バラバラの個人として放り出される。一方、農業生産は種籾の準備から共同体に依存してきたが、その共同体が消失すると、共同作業による農作業がだきなくなり深刻な不振に陥る。そこで、農業生産は最低限度の夫婦という2人で中規模の生産単位で継続的に生産、生活する社会になっていく。その生産規模の小ささと低い平均気温のため核家族の生計を維持するのが精一杯という状況。それゆえ、夫婦に子供ができて成人になると独立して家を出て、別のところで自分の核家族をつくるという形態が一般化していたという。その結果、長子相続はなく、家を継ぐということは、一般的ではなかった。このおかげで、日本の農業はこれ以降、大規模経営の大農場になることはなく、中規模の自作農や小農が基本単位となり、それが現代にも続いている。なお、「家」制度は平均気温が上昇し温暖となって増産でるようになり、集約農法ができるようなった近世以降の変化だという。
 江戸時代以降では農民は土地に縛りつけられるイメージだけれど、中世の農民は流動的で、土地の実りが悪かったり、税負担が重かったりしたら、より待遇のいい土地に逃散していた。そいうのを見ていると、核家族で家族内は平等だし、転職を繰り返しているような、現代に、近世か明治のころよりも近いかもしれないと思えてくる。とても興味深かった。

 

2021年11月 2日 (火)

渡辺浩「明治革命・性・文明:─政治思想史の冒険」

11112_20211102214601  政治思想史の研究者が個々に発表した論文や講演録などを集めたものだが、結果として読んだ後に一つの通底するテーマが感じられて、まとまった論文集のような読後感と手ごたえを得られた。
 そのテーマとは、敢えて言えば、「明治革命」前後の日本がいかにグローバルであったのか。政治・経済・社会・家族・性について、どのような転換の背景にどのような事情があったのかを幅広い教養をもとにして、明快に記している。「理不尽な世の中である」理由は何であるのか。どのように考えれば、「理不尽」なことと向き合えるのか。
 たとえば、儒教は、優れた人による統治を説くものとして、中国は20世紀初めまで、科挙という能力試験によって人物を登用した。これに対して、江戸期の徳川社会は身分制社会で、なにより下層武士は能力を発揮できず困窮して不満を募らせた。科挙のような能力で選別されて出世する道はない。それが「明治革命」と呼ぶべき大変動を用意する。著者によれば、明治革命とフランス革命は、身分制を壊して中央集権体制をつくった点、つまり「自由」という点で共通する。
 一方、外交事始めとなった幕府が攘夷派牽制しつつも開国を模索するも、もう一方の開国を強要して訪れた外国人たちは意外にも、日本人の清潔で健康で幸福そうな様を見て 逡巡する。西洋の影響を及ぼすことが彼らにとってよいことなのか、と。長崎海軍伝習所で教鞭を執ったカッテンディーケは、日本人の文明の高さにうなり、通弁のヒュースケンは、「質朴な習俗」を 愛おしむ。日本独自の風俗や文化は、彼らにとって魅力的だった。
 文明開化を経て競争原理が顕著となり、自由民権運動が台頭する。儒教と西洋思想が融合する国内の様子と共に、欧州や中国の思想も描かれ、人の在り方の多様さを改めて知った。変革期にはこうして足下の歴史を見つめ直すことが、自分たちの本質的な姿を把握する近道になる気もする。
 これらを読んでいると、日本史の授業で習ったり、歴史小説で読んだ幕末から明治維新というものが、現代から振り返った、あるいは幕末というのが明治政府から捉えたものとは、ちがったものとし映る姿を想像することができる。

 

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