無料ブログはココログ

« 渡辺浩「明治革命・性・文明:─政治思想史の冒険」 | トップページ | 山根貞男「東映任侠映画120本斬り」 »

2021年11月 5日 (金)

西谷正浩「中世は核家族だったのか─民衆の暮らし方と生き方」

11112_20211105224401   敗戦と戦後の社会経済の構造変化によって、日本の家族制度は大きく変わった。しかし、それ以前はずっと「家」という旧制度だったわけではない。例えば、古代社会では婚姻は通いから始まり同居に移るが、生涯の通いもあった。夫婦関係は、愛情関係は、愛情が途絶えれば配偶者を代えても非難されないような、一対の男女の緩やかな結びつきであり、安定していなかった。当時の家族の結びつきは弱く、父方・母方双方の親族関係の方が優越しており、地縁・血縁による村落結合に依存しつつ日常生活を営んでいた。それが9世紀ごろから大規模な地震や火山噴火が相次ぎ、平均気温の低下による気象異常による旱魃や水害の頻発、疫病の流行などにより、人口が大幅に減少し、その結果、村落共同体が成り立たなくなって、10世紀には消滅してしまう。それが平安末期のこと。
 その後、鎌倉にはじまる中世では、人々は村落結合という共同体の支えを失い、バラバラの個人として放り出される。一方、農業生産は種籾の準備から共同体に依存してきたが、その共同体が消失すると、共同作業による農作業がだきなくなり深刻な不振に陥る。そこで、農業生産は最低限度の夫婦という2人で中規模の生産単位で継続的に生産、生活する社会になっていく。その生産規模の小ささと低い平均気温のため核家族の生計を維持するのが精一杯という状況。それゆえ、夫婦に子供ができて成人になると独立して家を出て、別のところで自分の核家族をつくるという形態が一般化していたという。その結果、長子相続はなく、家を継ぐということは、一般的ではなかった。このおかげで、日本の農業はこれ以降、大規模経営の大農場になることはなく、中規模の自作農や小農が基本単位となり、それが現代にも続いている。なお、「家」制度は平均気温が上昇し温暖となって増産でるようになり、集約農法ができるようなった近世以降の変化だという。
 江戸時代以降では農民は土地に縛りつけられるイメージだけれど、中世の農民は流動的で、土地の実りが悪かったり、税負担が重かったりしたら、より待遇のいい土地に逃散していた。そいうのを見ていると、核家族で家族内は平等だし、転職を繰り返しているような、現代に、近世か明治のころよりも近いかもしれないと思えてくる。とても興味深かった。

 

« 渡辺浩「明治革命・性・文明:─政治思想史の冒険」 | トップページ | 山根貞男「東映任侠映画120本斬り」 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 渡辺浩「明治革命・性・文明:─政治思想史の冒険」 | トップページ | 山根貞男「東映任侠映画120本斬り」 »