「自立」は「依存」の反対ではなく、そのパターンのひとつ
「自立」とか「独立」といっても、そもそも人は1人だけで生きていけるわけではない。実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態が「自立」といわれる状態。依存先がたくさんあって、ひとつひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存していないかのように錯覚できてしまう(古田徹也『いつもの言葉を哲学する』)。これは、企業の事業戦略としてみれば、納得しやすいと思う。例えば、ある自動車メーカーの傘下にはいって、もっぱらそのメーカーに部品を納入している下請会社は、その自動車メーカーに依存している。これに対して、同じ部品を1社ではなく複数の自動車メーカーに偏りなく納めている会社は独立系と言われる。自立した人というのも、この独立系の会社と同じように、依存先を単一にするリスクを避けて分散させている人のことだと思う。だから、自立の反対は依存ではない。
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