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2022年2月

2022年2月28日 (月)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2021(2)~サプライズ、サプライズ

サプライズ、サプライズ
 ここでは、ベテランの投資家でも驚くことが多い、自社に関するいくつかの項目を紹介します。

  • 多くの人々は、バークシャーを大規模でやや奇妙な金融資産の集まりとして認識しているのではないでしょうか。 実際、バークシャーは、貸借対照表上、有形固定資産に分類される「インフラ」資産を、他のどの米国企業よりも多く所有・運営しているのです。この優位性は、決して私たちの目標とするものではありません。しかし、それは事実としてここにあります。
    年末には、これらの国内インフラ資産は、バークシャーの貸借対照表に1,580億ドル計上されました。この数字は昨年も増えましたし、これからも増え続けるでしょう。バークシャーは常に成長を続けます。
  • 毎年、当社は多額の連邦所得税を支払っています。例えば、2021年には、米国財務省が法人税の総受取額を4020億ドルと報告する中、当社は33億ドルを納付しました。さらに、バークシャーは多額の州税と外国税を支払っています。「会社で寄付をした*」と、バークシャーの株主が言えば、それは議論の余地がありません。
    *アメリカではしばしば、価値ある(時にはそうでもない)目的のために資金を募ろうとすることがあります。数十年前、企業は従業員に対して、給与からの自動天引きによって収入の一部をいくつかの価値ある大義に寄付し、その寄付金は会社から慈善団体(価値ある大義)へ転送するようアドバイスするようになりました。それからというもの、人々は「会社で寄付をしました」と寄付の勧誘に言うようになった。これは、「私は会社を通じて価値ある大義にすでに寄付をしました」という意味です。これは、「私はすでに寄付をしたので、これ以上お金を要求しないでください」という丁寧な言い方としてよく使われる慣用句です。
    バークシャーの歴史は、政府と企業との目に見えない、そしてしばしば認識されない金融パートナーシップを鮮明に示しています。バークシャー・ファイン・スピニング社とハサウェイ・マニュファクチャリング社が経営統合に合意した1955年から、この物語は始まります。ニューイングランドの老舗繊維会社である両社は、株主総会でこの合併に大きな期待を寄せていると説明しました。
    例えば、ハサウェイ社は株主総会で、「資源と経営陣の組み合わせにより、繊維業界で最も強力かつ効率的な組織のひとつが誕生する」と株主に承認を奨めました。この明るい見通しは、同社のアドバイザーであるリーマン・ブラザーズ社(そう、あのリーマン・ブラザーズだ)によって支持されました。
    フォールリバー(バークシャー社)とニューベッドフォード(ハサウェイ社)の両社は、合併が成立したとき、きっと喜びに包まれたことでしょう。しかし、バンドが演奏をやめ、銀行家たちが帰宅した後、株主たちは災難に遭うことになりました。
    合併後の9年間、バークシャー社の株主たち、同社の純資産が5140万ドルから2210万ドルへと激減するのを目の当たりにしました。この減少の原因は、自社株買い、不当な配当、工場の閉鎖などでした。しかし、9年間にわたる何千人もの従業員の努力も、営業損失という結果となりました。ニューイングランドの繊維産業は、長期的かつ非可逆的な死への行進に静かに突入していたのです。
    合併後の9年間は、バークシャー社の問題で米国財務省も苦慮していました。この間、同社が政府に納めた所得税は33万7359ドルに過ぎません。
    1965年初頭、状況は一変しました。バークシャー社は新しい経営陣を迎え、利用可能な現金を再配分し、基本的にすべての収益をさまざまな優良事業に振り向けたのです。それらの施策のほとんどは長年にわたって好調を維持することになりました。収益の再投資と複利の組み合わせが功を奏し、株主は投資に成功したことになりました。
    バークシャー社の株主たちは、この軌道修正の恩恵を受けただけではないことに注意する必要があります。サイレント・パートナーである米国財務省は、同社から何百億ドルもの所得税を徴収することができるようになったのです。毎日100ドルだったのを覚えているだろうか。今、バークシャー社は毎日約900万ドルを財務省に支払っている。
    バークシャー社の繁栄は、米国で事業を展開してきたからこそ培われたものであることを、政府のパートナーに公平を期して、株主の皆さんは認めるべきであり、むしろ強調すべきであると考えます。バークシャー社がなければ、1965年以降、我が国は素晴らしい発展を遂げることができたでしょう。しかし、バークシャー社は、このアメリカの地がなければ、今日のような姿になることはなかったでしょう。この旗を見たら、ありがとうと言ってください。
  • 1967年にナショナル・インデミュニティ社を860万ドルで買収して以来、バークシャー社は保険の「フロート」(私たちが保有し、投資することができるが、私たちのものではないお金)で世界をリードするようになったのです。生命保険から得られる比較的少額の資金を含めると、バークシャーのフロートの合計は、保険事業に参入した当初の1,900万ドルから1,470億ドルに増加しました。
    これまでのところ、このフロートのコストはゼロに等しいものです。保険金と営業経費が保険料を上回った年も何度かありましたが、全体としては、フロートを生み出してきました保険引受活動は、55年間、ささやかながら利益をあげてきました。
    同じように重要なのは、フロートは非常に取扱いが難しいということです。保険事業に関わる資金は日々行き来していますが、その総額は急激な減少を免れることができます。そのため、フロートを運用する際には、長期的な視点が必要となります。
    フロートの概念についてまだ慣れていない方は、A-5ページに長い説明がありますので、そちらをご参照ください。驚いたことに、私たちのフロートは昨年90億ドル増加しました。これはバークシャーのオーナーにとって重要な価値の蓄積ですが、GAAP(一般に公正妥当と認められた会計原則)に基づく利益や純資産の表示には反映されていません。
    保険における当社の巨大な価値創造の多くは、私が1986年にアジット・ジャインを採用したことによるバークシャーの幸運に起因しています。私たちが初めて会ったのは土曜日の朝で、私はすぐにアジットに保険の経験を尋ねました。彼は、「ない」と答えました。
    私は「完璧な人間などいない」と言い、彼を採用しました。それが、私にとって幸運な日となりました。アジットの採用は、まさに完璧な選択でした。それは35年経った今でもそうである。
    最後に保険について考えてみます。私は、バークシャーのフロートは、長期の引受損失を被ることなく維持できる可能性が高いと思いますが、保証はされていません。 しかし、おそらく非常に多額の損失を伴うような損失を経験する年があると確信しています。
    バークシャーは、他の保険会社とは異なり、壊滅的な出来事を処理するように構築されています。その優先順位は、チャーリーと私がいなくなった後もずっと続くでしょう。

 

2022年2月27日 (日)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2021(1)

 2022年2月26日、バークシャ・ハサウェイのホームページに、ウェーレン・バフェットの「株主への手紙」の2021年版が掲載されました。
 これから、その全文を日本語にして、ここで掲載していきたいと思います。ただし、下手な訳、というよりも直訳に近いだろうから、読みにくいと思われた人は、原文を当たってみてください。
 下のURLにあります。
https://www.berkshirehathaway.com/letters/2021ltr.pdf
 それでは、少しずつ訳していきたいと思います。このような拙い翻訳を始めて10年以上となりますが、以前は全部終わったところでまとめてアップしていましたが、数年前から、ある程度進んだところで、その都度アップするようにしました。そのため、仕事の都合や翻訳のペースによってアップの時期が一定しませんが、我慢してお付き合いください。

 

バークシャ・ハサウェイの株主の皆様
 私と長年のパートナーであるチャーリー・マンガーは、皆さんの貯蓄の一部を運用する仕事をしています。ご信頼いただき、光栄に思います。
 私たちの立場は、オーナーである皆さんが経営者だったら知りたいことを、皆さんに報告する責任を負っています。不在のオーナーと、あなたが経営者です。私たちは、この年次報告書や年次総会を通じて、皆様と直接コミュニケーションをとることを楽しみにしています。
私たちは、すべての株主を平等に扱うことを方針としています。そのため、アナリストや大手機関投資家とのディスカッションは行っていません。また、重要な情報については、可能な限り土曜日の午前中に発表し、月曜日に市場が開く前までに株主の皆さんや報道関係者がニュースを取得する時間を最大限に確保できるようにしています。
 当社がS.E.C.に定期的に報告している年間の事実と数字のサマリーを10ページ記載しており、その詳しい内容を1~119ページに掲載しています。株主の皆さんの中には、詳細な情報を知りたいという方もいらっしゃるでしょうし、チャーリーと私が考えるバークシャーの新情報や興味深い情報を知りたいという方もいらっしゃることでしょう。
 残念ながら、2021年にはそのようなアクションはほとんどありませんでした。しかし、皆さんの株式の本質的な価値を高めるという点では、それなりの成果を上げることができました。この仕事は57年間、私の主要な任務でした。そして、これからもそうあり続けるでしょう。

 

皆さんが所有しているもの
 バークシャーは多種多様な事業を所有しており、一部はその全体を、一部は一部のみを所有しています。 後者のグループは、主に主要なアメリカ企業の市場性のある普通株で構成されています。 さらに、米国以外の株式をいくつか所有しており、いくつかの合弁事業やその他の共同事業に参加しています。
 どのような所有形態であれ、私たちの目標は、持続的な経済的優位性と一流のCEOの両方を持つビジネスに有意義な投資をすることです。特に、私たちが保有する銘柄は、長期的な業績に対する期待に基づいており、市場のタイムリーな動きに対応するための手段とは考えていません。この点は非常に重要です。チャーリーと私は銘柄を選ぶのではなく、ビジネスを選ぶのです。
 私はたくさんの失敗をします。そのため、私たちが集めている事業の中には、本当に優れた経済性をもった企業もあれば、経営的に優れた特性を持つ企業もあり、そのほかに少数ですが限界のある企業もあります。普通株の利点は、素晴らしい事業を素晴らしい価格で購入できることです。このような「樽の中の魚を撃つ(極めて容易な失敗のしようがないことをする)」のような経験は、交渉による取引では非常に稀であり、決して大量に発生することはありません。また、市場性のある分野では、失敗から抜け出すのがはるかに簡単です。

 

2022年2月26日 (土)

北澤憲昭「眼の神殿 『美術』受容史ノート」

11112_20220226205401  先日読んだ佐藤道信「〈日本美術〉誕生」は明治政府の近代化政策のなかで「美術」という概念が導入され、それに対抗するように従来の日本の書画が日本美術として制度化された現象を明らかにしたが、この著作は、そのベーシックなところ、M・ウェーバーならエートスとでも言っただろうレベルで考察している。これは、今、読んでいる私の視点でそうなるのだけれど、実際は、この著作が日本美術というのが元からあったのではなく、西洋の「美術」が近代に日本に入って来たのに対抗するために創られたものだとして従来の常識を転換してしまい、その影響で佐藤の著作が書かれたという。
 著者は「美術」を制度という側面から見る。つまり、「美術」という語のもとに在来の絵画や彫刻などの制作技術が統合され、その美術のあり方が博覧会、博物館、学校などを通じて体系化され、規範化され、一般化されることで、美術と非美術との境界が設定され、さらにそのような規範への適応が制作物への評価を決し、さらには、そのような規範が公認され、自発的に遵守され、反復され、伝承され、起源が忘却され、ついには規範の内面化が行われるといった事態=様態、という。これは、国家による権力をつかった統合が重なる。明治以前の大和絵、花鳥画、文人画、浮世絵、などは、それぞれがバラバラで統合され体系化された「美術」という制度はなかった。西洋化に対抗して「日本美術」を創ったのは国粋主義、いわばナショナリズムの潮流によるものだが、「美術」という枠組みに乗った上で、それをした。具体的に言うと、例えば、展示の形態は屏風とか掛け軸とか襖絵とかいった生活の一部だったのが、西洋絵画のように額装され、展示場でガラス越しに見る形態に変容していく。ガラス越しというのがシンボリックで、手を触れることができるような身近さではなく、距離を隔てる、つまり見る者と見られる物という主-客の分離という近代的な観察-鑑賞の姿勢が生まれている。それは、当代の作品だけでなく、過去の作品に対しても「美術史」という制度に統合されていく。美術史というのは単なる歴史ではなくて「美術」という制度の面で歴史を再編成したものだからだ。例えば、明治以前で一般的だった書画というような書と絵画を区別なく見ていたのが、美術史から書は排除される。
 このように「日本美術」が、成立において矛盾を抱えているという指摘。そして、発表から年月を隔てた後年の読者である私の穿った読みでは、矛盾を内包していることでダイナミックな発展の可能性を潜ませているのではなく、実際の日本画の大家たちを見回せば、その成立当初の大観や春草たちが輩出したが、その後、彼らを凌ぐような人は現われず、下降線を辿っているといってよい。もともと原語の「美術」は西洋では日常語であり、美術という制度も西洋の生活にルーツを持っている。それが昇華されたのが美術で、生活の変化に伴い美術も変化をしてきた。それに対して、日本の「美術」は生活から切り離された、いわばオベリスクのような純粋化された制度として輸入され、それが定着すると自己完結した規範のように固定化してしまった。だから時代の変化とは切り離され、根を持たない植物のように立ち枯れのような状態となった。おそらく、著者はそういう問題意識をもっていたように思う。
 でも、オベリスクのように輸入された概念とか制度は「美術」に限ったわけではないと妄想する。例えば、「自由」「権利」「権利」・・・まだまだたくさんある。

 

2022年2月16日 (水)

松村圭一郎「くらしのアナキズム」

11112_20220216215501  アナキズムというと、どうしてもキナ臭い無政府主義のイメージが強い。しかしその本来の意味は、秩序を暴力的に破壊することではなく、国家や支配権力の強制力が働かない状態で、私たちが自律的に暮らしのすべてを担うことができるのか、その自助自立の生き方を探っていく考え方である。例えば鶴見俊輔は、アナキズムをこう定義している。「権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想」。その可能性が社会習慣の中に埋もれているのだとすれば、アナキズムの手がかりは必然的に「くらし」の中にあることになる。「公(おおやけ)」とか「公共」といえば、お上のやることだと信じられてきた。今度はそれを企業など別のだれかにゆだねようとしている。ぼくらはどこかで自分たちには問題に対処する能力も責任もないと思っている。でも、ほんとうにそれはふつうの生活者には手の届かないものなのか。アナキズムには、国にたよらずとも、自分たちで「公共」をつくり、守ることができるという確信がある。国の政治家は、所詮、法律を作って、予算をつけるくらいしかできない。その政策や法律を実のあるものとして現実化できるのは、日々の暮らしを営んでいる一人ひとりだ。介護現場で高齢者をケアするのも、震災後の復興でがれきを片づけるのも、虐待に苦しむ子どもに手をさしのべるのも、政治家ではない。その典型的な現われは、大災害の被災地で、被害直後は政府の救済策など間に合うはずがない。そこで人々は自力で助け合う。例えば、阪神大震災で救助された人々の大半は自衛隊や消防の救助ではなく、近所の人々の協力による救助だったという。そう、政治は、人びとの暮らしの中にある。しかるに、いつからか、政治が政治家だけのやる仕事だと、限定された領域に押しこめられてきた。それで投票率が上がらないのは、あたりまえだ。投票に行っても、世の中は変わらない。政治が政治家だけのものなら、その実感は間違っていない。
 日々の暮らしを助け合って生きていくこと自体が政治であるというアナキズムの考え方に立てば、民主主義という制度は、国家が政治を人々の日々の暮らしから取り上げて政治家というエリートのものにしてしまっているシステムだという。
 我々が従来イメージしていたキナ臭い無政府主義では、目前の国家を否定して、かりに転覆してしまったとしても、その後にはそれに代わる別な権力が現われるだけだという。それは過去のいくつもの革命の事例が証明している。
 アナキズムは政治学とか政治思想の側面から語られていたが、著者は人類学の視点に立つ例えば、ジェームス・スコットの『反穀物の人類史』を紹介する。人類最古の文明とされるメソポタミアで、どのように農業や国家が誕生したのか。紀元前1万年前ころの新石器革命で農業が生まれたことで生産力が増大し国家が誕生したという常識を覆した。つまり、狩猟採集や遊牧の移動生活は、初期の農業に比べて少ない労働で健康に暮らせていた。その後、農耕が始まるが、国家の成立は、そこから4千年後。その間、人口は増えていないという。国家の誕生は農耕が始まって生産が増えて人口増加したためではなく、気候変動により乾燥化が進行し、土地が干上がって農地が減って、灌漑などの直接生産に結びつかない人々が必要になって人口の集中がおこったために、だったという。国家が成立すると非生産的な管理に携わる人を食べさせるため農家の余剰生産物が多く必要になり、その確保のために、国家は戦争による略奪をするようになり、その結果、国家の拡大・成長が始まる。つまり、まとまった人口と生産があって国家ができたのではなく、国家が周辺の人々を強制的にかき集めて存在し得たということだ。
 そうなると、国家の成立を説明した社会契約説が嘘だったことが分かる。例えば、ホッブスの「万人の万人による闘争」という自然状態で、人々が安全と平和のために相互に契約して国家をつくったということ。それが、実際には、国家は国を守る仕組みではなく、人々から労働力と富を奪い取り、戦争をもたらすといった災厄のような存在だった。
 人類学のフィールドワークでも、いわゆる未開地帯で、国家とか文明から外れた地域の部落とかあるいは非定住の人々が平和で安全に暮らしている状態を観察している。例えば、アマゾン奥地の文明の届かない地域の人々が「万人の万人による闘争」の状態にはなっていない。
それじゃあ、国家というのは何なのだろうと考えたくなる。そして、そういう国家観を前提にした歴史の嘘とまではいかないが、先入観ということを意識してしまう。
 レヴィ=ストロースは『悲しき熱帯』の中でアマゾンの先住民の首長ついて書いている。首長は集団の遊動生活の全責任を負う。さまざまな必要な決定を行い、人々に指示を出し、近隣集団との外交ともいえる政治協定を結ぶ。しかし、他方で、首長は明確に定められた権限も、公に認められた権威も、差さえとして持っていない。首長の権力の根源は人々の同意だという。つまり、さまざまな意思決定も、指示も集団の人々が賛成する限りにおいて可能となる。だから、首長がすべきことは、権力を振るうことではなく、人々の同意を維持することである。だから、首長というのは割に合わない仕事で、実際の首長たちは、その地位を自慢するどころか、重い責務を嘆いていたという。これは、アマゾンに限ったことではなく、世界中で同じような首長が見られるという。リーダーが人々によって選ばれ、その同意の範囲で意思決定や指示といった役割を果たす。これは、民主主義のリーダーの模範的な姿ではないだろうか。
 重要なのは、その話し合いの場に参加するすべての人が、自分の意見を無視されたという怨恨を残さないように、「全会一致」で意思決定されるということである。もちろん、じっさいの決定に、全員が100%満足するということはあり得ない。問題は、不満をどう分かち合い、納得するか、ということだ。つねに重要なのは、言葉の力である。その言葉をうまく使える者、中庸性を体現する者が威信をもつ。リーダーに求められるのは、場が粉糾しないよう、弁舌の力で、二項対立を中庸的な解決に導く力なのである。とこで、民主的な話し合いで結論を求めるとき、常用されるのが多数決だ。しかし、そもそも採決に多数決を使う「多数派民主主義」が可能になるのは、「決定事項を実行に移すことができる強制力をもった装置」があるからだ。強制力を独占する国家がないような場合、「採決」は勝者と敗者を生み出し、コミュニティを破壊しかねない。
 そう考えると、人類学的な視点からは、民主主義は古代ギリシャ・ローマに遡る西洋の伝統だという考えは否定される。それは、むしろ世界の様々な場所で名もなき人々が暮らしのなかで実践してきたもの(日本にも「ムラ」という共同体にその残滓を見出すことができる)だ。だから、近代西洋に起源をもつ近代的な民主主義国家というのは、世界に共通する民主主義を歪めた畸形と言ってもいい。
 最近の例でいえば、新型コロナ・ウィルスの感染対策において、欧米のいわゆる民主主義国家では緊急事態かどうかは知らないが、きわめて強制的な施策を強行した(その点では、中国も欧米も似ている。欧米が中国を批判するのは近親憎悪に見えないだろうか?)。これに対して、日本の場合は、リーダーシップが曖昧だとか何をやりたいのかハッキリしないなどと批判されながらも、人々の暗黙でも合意に基づく自発的な行動で感染拡大を抑えてしまった。
 こういう視点はとても新鮮だった。

2022年2月 9日 (水)

ジョン・カシオポ、ウィリアム・パトリック「孤独の科学 人はなぜ寂しくなるのか」

11112_20220209222601  人間は社会的動物というが、それは進化の過程で霊長類から猿人、原人といった人類の祖先のころから集団でいたほうが生存の確率が高かったため他者とともに行動する傾向が強くなったという。それは比喩でいうと、現在のコンピュータがネットワークを組んで、単独で情報処理やデータを保管するのではなく、他のコンピュータのデータを利用したり、時には、他のコンピュータと協力しながら計算や情報処理を行って、単独以上の成果をあげるのと同じだという。たしかに、人間の脳の情報処理は時間的、地理的に巨大な知のネットワークの中で思考している。その結果として、人は図らずも独りになってしまうと不安に感じ、集団に戻ることを促す心理的傾向を帯びるようになった。親密な絆を好み、社会と結びついているときに心地よさだけでなく安心感も得られる。そういう傾向では独りという状態はアブノーマルということになる。だから、この著作でベースになっている孤独というのは嫌なもの、辛いもの、さらに言うと有害なものということになる。社会とのつながりが乏しいと集中力や判断力が損なわれ、睡眠の質が落ちて疲労感増すばかりか、老いが早まり、心臓病、脳血管や循環器の疾患、癌等の死のリスクが高くなる、と散々である。
 ただし孤独とは言っても、独りでいるのと孤独を感じるのとは違う。孤独感はあくまでも主観的なものだ。とくに現代の社会では、人はストレスにさらされ孤独感はその要因となるだけでなく、助長する。例えば経済優先の競争主義的な風潮は人のつながりを弱め孤独感のストレスを助長する。そこに個人主義を偏重したたる生じたコミュニティーや家族の絆の弱体化が加わった。この著作は、そういう現代社会の危機感を募らせる。
 著者たちの危機感は分からないでもないのだが、私には、孤独ということを、ここまで問題視するところに著者たちのバイアスを感じる。孤独ってそれほど悪いことなの?と素朴も思うのだ。卑近なことだけれど、欧米から日本に旅行に来た人の中で、日本の飲食店は1人で気楽に利用できることに驚き、喜ぶという。私の経験で、勤め先の上海の子会社が社員旅行をしたときに、妻を帯同するのは当たり前で、独身者は恋人を連れてきた。日本人の私は1人で参加したら変な目で見られた。あるいは、欧米ではイベントやパーティーは夫婦で参加が当然だという。そういうのに対して、日本では結婚していても一人で参加は当たり前で、独りということが、それほどアブノーマルではないと思う。日本の電車の光景をみれば、人々はみなひとりひとりで会話がなく静かで、各々はスマホなど独り遊びにいそしんでいる。不思議とも異常とも捉えられていなない。集団で狩りや生活をする狼だって、一匹狼はいるのだ。だから、孤独ということが必ずしも著者の主張するような捉え方をしない社会もあるということだ。それゆえ、多様性ということを著者に対して認識してほしいと思った。

 

2022年2月 6日 (日)

蜂屋邦夫「老子探求 生きつづける思想」

11112_20220206182901  『論語』 と並んで読みつがれてきた 『老子』 とはどんな書物か、どう読み解かれ、古代中国から歴代王朝の統治にどうかかわったか。老子思想の発展・展開を大きな時代のうねりとして捉え明快に語る著作。
 老子というと「無為自然」といった宇宙観とか、道教(タオイズム)といった神秘主義的なスピリチュアリズムといった捉え方をされているが、それは時代とともに変遷してきたもので、とくに儒学が儒家から国家教学となり儒教という倫理の教えに変化していったことに対応するように、時には仏教との関係も加わって、変遷してきたことを明らかにする。著者が強調するのは、老子(といっても歴史上の人物として老子が誰なのかはっきりしないのだが)のよる道家の思想と道教とは別物で、「無為自然」の実践である「道」という概念も、当初、老子が説いたものとタオイズムのものとは意味内容が違うということ。そもそも、老子が説いた道家は、春秋戦国時代の諸子百家の一派だった。その特徴は孔子の批判者という位置づけで、孔子の説く儒家が仁政、つまり人々に篤く施すような治政を強調することに対して、余計なことはするな(無為)と説くものだった。現代の考え方に照らしてみれば、孔子は福祉政策などの大きな政府を志向するのに対して、その反対者として新自由主義の小さな政府を志向するといった違いにイメージできる。「道」はそういう治政のやり方を指していた。そういう道家の思想は為政者にとっては、本音を言えば人民の幸福等はどうでもよいもので、人民に対して思い入れ等不要ということで、受け容れやすいものだった。既存の体制を自然(自ずから然る)として、その締め付けの強化を進める韓非子などの法家の思想は秦の始皇帝のこのんだもので、それが道家から派生したものというのも頷ける。その秦に替わって支配者となった漢王朝は、秦を否定する意味もあって儒家を国家教学としていく。それにしたがって、管制学問として形式主義的な統治学として儒学が整備されていき、科挙という官僚の採用が制度化されていく。これに対して、北方からの征服者である隋や唐は漢民族の儒の思想をとらず、その反対者として仏教や道家を導入して専制主義的な体制をとった。その中で、道家は仏教と融合することで、宗教的な道教に変質していった。例えば仏教の「無」の思想に道家の「無為自然」が近寄っていくことになる。これに伴って「道」は精神主義的な修業の意味合いに変質していった。
 この著作の注目点は、『老子』のテクストを当初の諸子百家としての思想として読み解いていくところ。そこで見えてくるのは、今のイメージとは異なる、リアリズムの思想だったという。とても興味深いものだった。

 

2022年2月 1日 (火)

半藤一利、加藤陽子、保阪正康「太平洋戦争への道1931-1941」

11112_20220201215101  2017年8月15日放送のラジオ対談の新書化。3人の対談者は各々それなりの仕事をしているのだが、限られた時間の中で、分かりやすいメッセージと結論ばかりと、ネトウヨの人たちから自虐史観などと揶揄されても、そうですねと頷いてしまう陳腐さが避けられないものとなっている。それぞれの仕事、例えば、加藤陽子なら「それでも日本人は『戦争』を選んだ」などを読めば、一筋縄ではいかない多様な議論や深い分析がなされているので、そういうものへの入り口とすればいいと思う。
 ただし、例示した論考では触れえない、対談ならでは脱線がいくつか収録されていて、そういうのを拾い読みするのは楽しいし、なかには興味深い挿話もある。例えば、日中戦争と現在も続くアメリカのイラク戦争の類似という指摘。日中戦争は宣戦布告することなく、不意に武力対立が起きて戦争が始まってしまった。したがって、これは戦争ではない。中国は、日本がイギリスやアメリカのような資本主義国を代弁していることに気がつかず、日本に対して無駄な攻撃、反撃を行っている。つまり、これは一種の内乱、国際共同体に対する内乱に他ならない。それを日本軍は鎮圧している。そのため、日本軍と戦闘しているのは中国という国家ではなく、匪賊なのだ。そういう理屈を考える勢力が日本国内にあった。これは、アメリカがイラク戦争を始めた時の理屈によく似ている。アメリカはイラに宣戦布告しておらず、アメリカにとってイラクがやっていることは、世界に対する内乱であり、テロである。だからアメリカは世界の警察官として、テロリストを攻撃し、共謀罪を犯している人々を裁こうとした。その結果は、日中戦争と同じように、勝利に至ることなく泥濘化してしまった。そのあと、ISに対する戦闘など似たような形の戦いが珍しいものではなくなっていく。日中戦争は、そういう現代的な戦いの先駆だったのかもしれない。たしかに、イラク戦争を主導したのはネオコンというグループで、日中戦争当時の軍部内の青年将校のグループに似ているかもしれない。そういう面白さがある。そういえば、独ソ戦って日中戦争と戦術的に似ているよね。
 戦争体験者の「語り部」などというような、戦争体験を語り継ぐような人々の多くは、「戦争は嫌だ。二度と嫌だ。」という。そういう嫌だという気持ちの底には、アメリカの爆撃機が来て、爆弾や焼夷弾を落としていったという記憶があるという。つまり、人々が戦争というものを肌で知った戦争体験、わずか1年足らずの空襲体験に多くを拠っているという限定的な体験に基づいてつくられた戦争観というものは、例えば、数世紀にわたって国土で戦闘が繰り返されたヨーロッパや中国などとは異質だという。こういう限定された戦争観からは「厭戦」は出てきても「反戦」は生まれてこないという。
 そういう指摘は、たしかに尤もだと思える。しかし、この本では対談のなかで話題として、「そういうのあるよね・・」として出てきたことのようで、そこから議論が展開するとか、深められることはなかった。それが残念。例えば、このような限定的な戦争観では、人々は専ら被害者で、空襲は防ぎきれない大災害のような現象として捉えられるのではないか。そこからは、被害を避けるとか災害から逃げるという発想になりやすい。災害は不可抗力で、コントロールすることはできない。そこからは、戦争を起こさない、起こさせないというというコントロールする発想とは結びつかない。そういえば、例えば核兵器に対する市民運動が、やたら理想論に偏って理念を繰り返し叫ぶだけで、現実の世界で実際に起こさせないたにはどうすればいいかという戦略に決定的に欠けているのは、そういうことためであるのかもしれない。

 

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