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2022年2月 6日 (日)

蜂屋邦夫「老子探求 生きつづける思想」

11112_20220206182901  『論語』 と並んで読みつがれてきた 『老子』 とはどんな書物か、どう読み解かれ、古代中国から歴代王朝の統治にどうかかわったか。老子思想の発展・展開を大きな時代のうねりとして捉え明快に語る著作。
 老子というと「無為自然」といった宇宙観とか、道教(タオイズム)といった神秘主義的なスピリチュアリズムといった捉え方をされているが、それは時代とともに変遷してきたもので、とくに儒学が儒家から国家教学となり儒教という倫理の教えに変化していったことに対応するように、時には仏教との関係も加わって、変遷してきたことを明らかにする。著者が強調するのは、老子(といっても歴史上の人物として老子が誰なのかはっきりしないのだが)のよる道家の思想と道教とは別物で、「無為自然」の実践である「道」という概念も、当初、老子が説いたものとタオイズムのものとは意味内容が違うということ。そもそも、老子が説いた道家は、春秋戦国時代の諸子百家の一派だった。その特徴は孔子の批判者という位置づけで、孔子の説く儒家が仁政、つまり人々に篤く施すような治政を強調することに対して、余計なことはするな(無為)と説くものだった。現代の考え方に照らしてみれば、孔子は福祉政策などの大きな政府を志向するのに対して、その反対者として新自由主義の小さな政府を志向するといった違いにイメージできる。「道」はそういう治政のやり方を指していた。そういう道家の思想は為政者にとっては、本音を言えば人民の幸福等はどうでもよいもので、人民に対して思い入れ等不要ということで、受け容れやすいものだった。既存の体制を自然(自ずから然る)として、その締め付けの強化を進める韓非子などの法家の思想は秦の始皇帝のこのんだもので、それが道家から派生したものというのも頷ける。その秦に替わって支配者となった漢王朝は、秦を否定する意味もあって儒家を国家教学としていく。それにしたがって、管制学問として形式主義的な統治学として儒学が整備されていき、科挙という官僚の採用が制度化されていく。これに対して、北方からの征服者である隋や唐は漢民族の儒の思想をとらず、その反対者として仏教や道家を導入して専制主義的な体制をとった。その中で、道家は仏教と融合することで、宗教的な道教に変質していった。例えば仏教の「無」の思想に道家の「無為自然」が近寄っていくことになる。これに伴って「道」は精神主義的な修業の意味合いに変質していった。
 この著作の注目点は、『老子』のテクストを当初の諸子百家としての思想として読み解いていくところ。そこで見えてくるのは、今のイメージとは異なる、リアリズムの思想だったという。とても興味深いものだった。

 

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