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2022年3月15日 (火)

生誕110年 香月泰男展(4)~第3章 シベリア・シリーズの画家(1950~68)

 本格的に「シベリア・シリーズ」の制作に傾注した時期で、展示は、ほとんどが「シベリア・シリーズ」の作品です。
Kazukinorth 「北へ西へ」という1959年の作品です。香月自身が、初めて「私の顔」を描いた記念すべき作品であると明言している作品だということです。列車の鉄格子の向こうにひしめく、あの香月独特の「顔」「顔」「顔」。終戦後,奉天を出発した兵士で満杯の列車は、行き先も告げられないまま、来る日も来る日も北へと走り続けた。この「顔」はパターン化されて、「シベリア・シリーズ」の代名詞のようなものとなります。美術のデッサンの練習で扱う面取りした彫像の顔のように表情がなく、顔の形がパターン化されて個性もなくなっています。この顔を鉄格子の暗闇の中から、顔だけを浮き上がらせることで、「シベリア・シリーズ」というタイトルからも、見る者はものがたりを想像することを触発されます。規格品であるはずの鉄格子が不規則に描かれているのも、ものがたりの雰囲気を高めています。このように、シンプルでありながら、分かりやすく、洗練されたデザインとなっていると思います。それだけに、私には、あまりにもあからさまというか、あざといとも言ってよい、ちょっと演劇でいう新劇風の大仰でわざとらしい演技を見せられているようでもあります。香月自身は制作しているときに、こんなに簡単に分かられてしまっていいのか、という逡巡がなかったのかという疑念を覚えました。それとも、この作品が発表されてから半世紀以上経っているのを見ているからこそ言えるのであって、発表当時は、一般的なイメージとは異なるものだったのか、そのあたりはよく分かりませんが、当時の世相を伝えるドキュメントの挿絵に使ってもおかしくないほど、それほど分かりやすい、と思います。もしかしたら、そういうデザインを作ることができたのが香月という画家の才能の特徴なのかもしれません。すくなくとも、この人は描写とか表現の人ではなくて、デザインの人だったというままが如実に示された作品だと思います。
Kazukidomoi  「ダモイ」という1959年の作品、ダモイというのはロシア語でДОМОЙ(この文字が画面左下に書かれています)で家へ、自宅へ、故郷へ、故国へという方向性を伴う副詞です。文字という記号をデザインで用いるのはよくある手法で、顔をパターン化して記号のように使用しているのであれば、記号そのものである文字を用いれば、さらに分かりやすいものとなります。望郷の想いのような形にしにくいものであれば、文字で直接的に伝えた方がわかりやすい。香月という画家は作品を見る者にとってはサービス満点の画家と言えるのではないでしょうか。この作品で注目すべきは、例えば、画面の右手の人物の黒と背景の黒の塗り分け、そして、人物の黒が前にも述べたマチエールの技法で塗られていて、表面に凹凸ができていて、その凹凸によって右手の袖を前にして身体を抱えるような姿勢をしていることを、表わしていることです。つまり、マチエールの凸凹やそれによって生みだされる陰影が意味のある形態や模様を作りだしているということです。
Kazukihorron2  「ホロンバイル」という1960年の作品で、1944年にも同名の作品を制作しています。ホロンバイルはモンゴル北方の大草原の地名で、牛や馬の死骸がそのまま放置され、腐敗し風化して白骨化している景色を描いたと説明されています。そういう説明がなく、虚心坦懐に画面を見れば、黄土色の下地に黒い図形がポツリポツリあるという抽象画に得てしまうでしょう。しかし、そう見ても、この作品は面白い。黄土色と黒というたった2色のモノクロームのような色使いで、黄土色による余白をたっぷりとって黒い斑点のようなのが中央付近のポツリポツリあるという構成が、緊張感があるでもなく、かといって何も関係がないようなダラけた感じでもない。そこで、黄土色の下地の背景がマチエールで模様のようなものが浮かび上がってきて、こっちの方に視線を導かれてしまう。地と図という画面の区別の方法がありますが、この作品では、地が図のための背景になるのではなく、地がむしろ前面に出て表現的になっている。ここでは、図は地を効果的に生かすためのスパイス程度のものになっている。これは、伝統的な西洋絵画の画面構成の伝統から外れたものであろうし、これが香月の作品の突出したユニークな点で、彼のマチエールの技法は、この傾向で、この後も進化していき、この画面構成の特徴が深化されていきます。
Kazukideath  「涅槃」という1960年の作品です。多くの「顔」と合掌する手が描かれています。「顔」と合掌の組み合わせがパターンのように繰り返される中、一人だけ顔を覆う人物がアクセントとなっています。それだけでなく、合掌のなかには左右対称ではなく、かすかに斜めを向いて手の甲が見えているものがあります。実際に合掌を組んでみると、自然な状態でゆったりと合掌すると、人体の構造上、掌は必ず胸の真正面で合わさり、斜めを向くことは起こりません。合掌の形が歪むのは、余分な力が入ってしまった時です。物語的な想像をすれば、戦友の亡骸を囲む捕虜たちは平静な心境ではないはずで、その他にも厳しい寒さという要素も加わって、合掌する手は強張ってしまうでしょう。その結果、合掌の形が歪んでしまう。この作品では、合掌という手の身振りをパターン化し、そのパターンの微妙な変化によって、感情を表わすことが行われています。
Kazukisyuujin  「囚」という1965年の作品です。ここで、少しおさらいしておきますが、香月の作品の画面は基本的には3つの絵具の層からできています。第一層は、黄土色を薄く塗った下地です。ついで周辺に「余白」を残しながらその上に日本画の画材である方解末をまぜた黄土色を塗り重ねます。これが第二層です。そして第三層はモチーフを描く部分で、これには木炭の粉を油で練りあげた黒の絵具をペインティングナイフでこすりつけるようなやり方で造形していったとも、あるいはあらかじめモチーフを黒の油絵具で造形し、その上に木炭粉を置いていったとも言われているようです。この木炭粉の使用については、黒を主体にしたモノクロームに近い色調と油絵具のテリを消したマチエール(絵肌)が特徴です。と説明されています。
Kazukistar  「星〈有刺鉄線〉夏」という1966年の作品です。真っ暗な画面の下半分は有刺鉄線の刺の規則的な並びで、上半分が夜空の星という無秩序な点の並びで、上下の部分に金属的な輝きをする点のようなものを対比的に配置しているという、とてもスマートなデザインを感じさせる作品です。この作品だけを取り出して、ポスター等に使っても、結構通用するのではないかと思えるほどです。「シベリア・シリーズ」は黒で塗り固められたような作品ばかりですが、このような作品もあるので、全体が暗い気持ちになるわけではないのです。この作品の下半分は「荊」という1965年の作品とダブります。どちらも、背景の地だけで対象となっているはずの荊の刺は背景のアクセントになっている程度で、香月の「シベリア・シリーズ」の特徴を、もっともよく出しているのは、こういう作品ではないかと思います。
Kazukireturn  「復員〈タラップ〉」という1967年の作品です。抑留者たちが復員し舞鶴港に到着し、船のタラップを降りる場面です。闇から浮かび上がる抑留者の顔と手は、木炭の粉を塗り込んだ黒色の層をペインティングナイフで削って形づくられたそうです。この作品に特徴的なのは、「顔」のパターンです。この作品では、口をあけて、目から涙を流しています。故国に帰還できた喜びを表わすためと思いますが。しかし、その構成は「北へ西へ」とそれほど変わりません。しかし、この作品では、顔に代わって手が人々の個性を表わしているようで、「北へ西へ」のようなシリーズの他の作品と一線を画しています。出迎えの人々に降りかける手、タラップの手すりに添えた手のほか、出迎えの者との抱擁を待ちきれないように横に広げられた手、目頭を覆う手。これらが対角線構図の巧みに整理されて、画面にリズムを作りだしています。
 「〈私の〉地球」という1968年の作品。「伐」という1964年の作品と構図がよく似ている作品です。「伐」が伐採した切り株を上から見たものですが、「〈私の〉地球」の黒い歪んだ楕円の枠のようなものは、「伐」の切り株のようにも見えます。香月の作品は一見抽象的でも、シベリア・シリーズでは画家本人の説明が付されていて、題名や説明から何が描かれているかを画面を見て納得できるのですが、この作品はそうでもないようです。“周囲の山の彼方に5つの方向がある。ホロンバイル、シベリア、インパール、ガダルカナルそしてサンフランシスコ。いまわしい戦争にまつわる地名に囲まれた山陰の小さな町。ここが私の空であKazukiearth り、大地だ。ここで死にたい。ここの土になりたいと思う。思い通りの家の、思い通りの仕事場で絵を描くことが出来る。それが私の地球である。”という画家本人の説明は、ここで挙げられている地名は、画面の上下左右に文字で書かれている。画家にとっての私の地球は、山間の盆地のような山村で、空から見れば切り株のような穴ぼこで、その形状だけをみればアンフォルメルのような形です。というよりも、ここで何度も触れていますが、絵の具に粉状のものを混ぜてマチエールのように盛り上げて、凹凸をつけて、そこに陰影の模様をつけて、「伐」では、その陰影から見えてくるものが光の変化で動くように得るのが楽しいのですが、「〈私の〉地球」ではナイフで削って手が描かれています。これは横になって瞑想する香月自身の手であると言われています。ということは、シベリア・シリーズでは珍しく画家自身が画面に描かれている作品と言えるかもしれません。

 

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