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2022年3月12日 (土)

生誕110年 香月泰男展(2)~第1章 逆光のなかのファンタジー(1931~49)

Kazukigrandfather 香月が代表作「シベリア・シリーズ」に至る前の時期、習作期です。最初に展示されていたのは、香月が東京美術学校の1年生のときに制作した「祖父」という作品です。ゴッホの晩年の自画像に、スタイルといい、色調といい、そっくりです。また、その5年後の卒業作品の「二人座像」はピカソの“青の時代”に好んで描かれた痩せ細った青年像によく似ていると思います。たったこれだけで決めつけてしまうのは早計かもしれませんが、展示されていた同時期の作品を見ている限りでは、この時期、香月は自身の個性を見つけ出せていないように見えます。というより、自分が描きたいというよりも、西欧の画家の作品をとり入れて要領よく作品を仕上げているように見えます。どちらのKazukitwo 作品も人物を描いた作品ですが、私には、その対象の人物への愛が作品からは感じられないのです。人物の人となりを描き込もうとか、表情を生きいきと表わそうというとこはなくて、描かれている人物の顔は能面のように無表情で生気は感じられません。それよりも、作品のスタイルというか、人物の形というもの、それを作品画面にどのようにデザインするか、構成するかということが関心の中心となっている。そして、ここで香月がお手本にしているゴッホにしても、ピカソにしても対象を写実するという画家ではなくて、すでに画家が描く前に言葉等でイメージができていて、それに従って、対象の形をとり入れて、作品を構成していくというタイプの画家であることも、香月の傾向を示唆しているように思えます。このような書き方をすると、香月を否定的に見ているように思われるかもしれませんが、彼はオリジナルに作品を創造するというより、いろいろ素材を構成して画面をデザインしていくタイプの作家であったことを、当初から見せていたのではないかと思ったからです。
Kazukirabbit  「兎」という1939年の作品です。これまでの作品に比べて、何か変わったという印象で、後の彼の作品に通じるとこが表われ始めた作品であると思います。まず、明らかに全体の基調色が黒で、おそらくそれを意識した色使いがなされているにもかかわらず、暗い印象がありません。これは、色を何らかの雰囲気とか感情を象徴的に表現するようには使われていないからで、香月の作品では、色に何らかの意味が付託されことがなく、ただ色という素材して即物的に使われている。変な喩えかもしれませんが、川久保玲のブランド「コム・デ・ギャルソン」の即物的で表面的な黒に通じるところがあるように、私には思えます。後年の「シベリア・シリーズ」では余計な情報がまとわりついているため、そういう先入観なしに見ることのできるこの作品の方がむしろ、そういう黒の特徴がよく見えてくると思えるのです。そして、タイトルにもなっている兎が平面的でただの黒面に白くとり残された兎の形の平面になっている。それだけでは、あんまりなので、というのでもないのかもしれませんが、塗面をパレットナイフで引っ掻いて、マンガの動線のような作為が加えられている。そんな兎に対して、背景となっている兎の入れられた箱や窓のある部屋の方がリアルに描かれている。画面を地と図に分けるとしたら、普通の作品は図が中心でテーマなどというのは図にあるのでしょうが、香月の作品はむしろ図が空虚で地の方に重点が置かれる傾向が強いと思います。この作品でも、描き込が背景のほうが強い。
Kazukigate  「門・石垣」という1940年の作品です。香月の作品には、窓とか扉から何かが覗いているという構図の作品が少なくありませんが、これはその最初期のものだろうと思います。後年の作品なら、この門の向こうに開かれている空間Hammerinterior4 には男の顔といった図が見えているはずですが、この作品では図ではなく地であるはずの石垣が描かれている。つまり、図が不在で地ばかりの作品となっている。この作品全体はハンマースホイの室内風景を描いた作品に似ているところがありますが、ハンマースホイの室内を描いた作品では人物が不在であることがかえって強く意識されて不在ということがテーマとなっているところがありますが、香月のこの作品では、人物がいるとかいないとかいったことは、最初から想定されていません。それよりも、矩形で画面が構成されているということ、白黒を基調とした画面に石垣のグリーンを帯びた色が緊張感を生み出しているということに重点が置かれている、ということが特徴的だと思います。
 「ホロンパイル」という1943年の作品です。モンゴル地方の大草原の地名で、応酬された軍隊の駐屯中、カンヴァスの代わりに麻袋を解いた布に描かれた作品だそうです。ここで描かれた人物はデ・キリコの描く人形みたいです。もっとも、この前に展示されている「釣り床」という作品の坊主頭の少年の描かれ方もよく似ていて、後ろ姿を形態として描くというようにして、人の形態を描いている。この時の人物の表情などは視野に入ってこない。「シベリア・シKazukihorron リーズ」を過剰に言葉で意味づけする立場の人なら、ここに画家の孤独とか死の影を見出すかもしれませんが、私には、香月という画家にとっては、人間の感情とか表情とかいう情緒的なものはどうでもよく、即物的な形だけが興味の対象で、本人もそのことが自覚できてきたということではないかと思います。Kazukitsuri 「ホロンバイル」では、異国のエキゾチックな風景の中で、そういうことが追求しやすかったのでないか、そのせいか、とても自然に見えます。そういうとこから、後年の「シベリア・シリーズ」について極限の体験の精華と言われることもあるようですが、図よりも地を描くという性向の香月としては、国内の光景はそこで生きてきたこともあって意味とか情緒と完全に切り離すことは難しいのに対して、モンゴルとかシベリアの光景は異国であり、収容所の光景は意味とか情緒には馴染みにくいであろうから、完全に即物的に捉えて描くことができた。つまり、素材として利用することができた。その意味で扱いやすかった。それに気づいたのが「シベリア・シリーズ」だったように、見ていて思えてきます。
Kazukigrave  「埋葬」という1948年の作品で、「シベリア・シリーズ」の一作です。顔を白布で覆われた遺体を穴の中に安置しようとしている人物の、うつむいた黒い頭頂の3分の2ほどがこちらに向けられています。手前には墓穴を掘るのに使ったのであろう、スコップの一部が見えています。これは,シベリアの収容所で栄養失調と過労のため亡くなった兵士の遺体を埋葬している場面です。黒一色の「シベリア・シリーズ」の他の作品とは違って、この作品は暖かな色が基調となっていますが、作品についての香月の解説では、私は異郷の冷たい土の下に葬られる戦友を、ことさら暖かな色で描いた、期しています。

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