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2022年3月 4日 (金)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2021(6)~素晴らしい人々と素晴らしいビジネス

素晴らしい人々と素晴らしいビジネス
 昨年、ポール・アンドリュースが亡くなりました。ポールは、バークシャー社の子会社でフォートワースに本拠を置くTTI社の創業者でありCEOでした。その生涯を通じて、ビジネスでもプライベートでも、ポールは、チャーリーと私が賞賛するすべての資質を静かに発揮してました。彼の物語は語り継がれるべきものです。
 1971年には、ポールはゼネラルダイナミクス社の購買担当として働いていましたが、工場の屋根が崩落し、巨大な防衛契約を失った同社は、ポールを含む数千人の従業員を解雇したのでした。
 第一子の出産を間近に控えたポールは、自分に賭けてみようと思い、500ドルの貯金をはたいてテックストロニクス社(後にTTIと改称)を設立したのです。小型電子部品の販売を目的に設立され、初年度の売上は11万2,000ドルでした。現在、TTIは100万種類以上の商品を販売し、年間売上高は77億ドルに達しています。
 しかし、話は2006年にさかのぼります。当時63歳だったポールは、家族にも仕事にも仲間にも満足していました。しかし、最近、友人の早すぎる死と、その友人の家族や会社が受けた悲惨な結果を目の当たりにしていたため、彼には1つだけ気がかりなことがあった。もし、自分が突然死んだら、自分を頼りにしている多くの人たちはどうなるのだろう?と。
 1年間、ポールは選択に悩みました。競合他社に売る?経済的に見れば、それが一番合理的です。競合他社は、TTIの重複した機能を削減することで、「シナジー効果」を期待することができるのです。
 しかし ... ... そのような購入者は、CFO、法律顧問、人事部門も確実に持っているでしょう。そのため、TTIの担当者はお払い箱になつてしまいます。そして、もし、新しい配送センターが必要なら、フォートワースよりも買収者の故郷の方が有利になるに違いありません。
金銭的なメリットはともかく、競合他社への売却は自分には無理だとすぐに結論づけました。かつて「レバレッジ・バイアウト(LBO)」と呼ばれたこともある。しかし、そのような買い手は、「出口戦略」を重視していることが分かっていました。それが何であるかは、誰にも分からりません。そんなことを考えながら、ポールは、35年前に作った会社を転売屋に渡することを思いとどまりました。
 ポールは私に会うなり、この2つの選択肢を買い手として排除した理由を説明しました。そして、彼は自分のジレンマを、これよりはるかに機転の利く言い回しで、こう要約したのでした。「1年間、代替案を熟考した結果、残ったはあなただけだから、バークシャーに売りたい。」そこで私はオファーを出し、ポールは「イエス」と答えました。たった1回のミーティング、1回のランチ、1回の取引、で。
 その後、私たち2人は幸せに暮らしましたとさ・・・。バークシャーがTTI社を買収した当時、TTI社の従業員数は2,387名でした。それが今では8,043人です。その成長の大部分は、フォートワースとその近郊で行われたのでした。収益も673%伸びました。
毎年、私はポールに電話をして、彼の給料を大幅に上げるべきだと言うと、彼は、「その話は来年にしよう、ウォーレン、俺は今忙しいんだ」と言うのでした。
 グレッグ・アベルと私はポールの追悼式に出席し、子供たちや孫たち、TTI社の最初の従業員を含む長年の仲間、そしてバークシャー社が2000年に買収したフォートワースの会社の元CEO、ジョン・ローチと会いました。ジョンは、友人のポールをオマハに紹介し、直感的に私たちとの相性がいいと思ったのだろう。
 葬儀の席で、グレッグと私は、ポールが黙々と支援した多くの人々や組織について話を聞きました。特にフォートワースの人々の生活を向上させるために、彼の寛大さの幅は並大抵ではありませんでした。
 あらゆる意味で、ポールは一流の人物でした。

 

***********

 

 バークシャーでは、幸運が、時には並外れた幸運が、その一端を担ってきました。ポールと私の共通の友人であるジョン・ローチがいなかったら、TTI社が私たちのもとにやってくることはなかったでしょう。しかし、その幸運はほんの始まりに過ぎませんでした。TTI社は、バークシャー社にとって最も重要な買収につながることになったのでした。
 毎年秋になると、バークシャーの役員が集まり、当社の数名の幹部によるプレゼンテーションが行われます。その際、買収した子会社のCEOに会い、買収先の企業活動を知ることができるよう、買収先企業の所在地を考慮して開催することもあります。
2009年秋、TTI社を訪問するために、結果的にフォートワースを選びました。当時、同じくフォートワースをホームタウンとするBNSF社は、バークシャー社の市場性株式の中で第3位の保有銘柄でした。しかし、それほどの大株主でありながら、本社を訪問したことはなかったのです。
 私のアシスタントであるDeb Bosanekは、10月22日に取締役会のオープニング・ディナーを予定していました。一方、私はその日のうちに到着し、かねてから尊敬していたBNSF社のマット・ローズCEOに会う約束をしていました。まさか、その日がBNSF社の第3四半期決算発表の日であるとは、思いもよらなかったのです。
 市場は、この鉄道会社の決算にひどく反応しました。第3四半期は大不況が本格化し、BNSF社の業績もその影響を受けて低迷していたのです。経済の先行きも暗く、ウォール街は鉄道に好意的ではなかったし、他の企業にも好意的ではなかったのです。
翌日、私は再びマットと会い、バークシャー社は、鉄道会社が上場企業として期待できるよりも長期的に良い住処を提供することを提案しました。そして、バークシャー社が支払うであろう最高額も伝えました。
 マットは、この提案をBNSF社の役員やアドバイザーに伝えました。それから11日後、バークシャーとBNSF社は正式に契約を結んだと発表しました。ここで、私は珍しく予言しておきましょう。BNSF社は、100年後もバークシャー社やわが国にとって重要な資産になるだろうということを。
BNSF社の買収は、ポール・アンドリュースがバークシャー社をTTI社の本拠地としてふさわしいと見定めていなければ、実現しなかったことでしょう。

 

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