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2022年3月17日 (木)

伊藤聡「日本像の起源─つくられる〈日本的なるもの〉」

11112_20220317212301  〈日本固有〉であることを求める日本人の強迫的な思い、これは近現代日本人特有の感情ではなく、古代・中世・近世の人々も、多かれ少なかれ同じような思いに囚われていた。この著作は、〈日本固有〉であることにこだわる心性を歴史的にたどってみせる。
 まず日本の自国意識が中国に対する劣等感に起源するという指摘が、豊富な素材を通して語られる。歴史を通じて日本は中国の影響を受け続けてきた。日本文化を構成するあらゆるものには、何らかの形で中国文化の影響の痕跡がある。このことは日本人の中国への崇拝・大国視として現れる。一方で、文化的〈負債〉=劣等感となって蓄積することになった。そのような負債感情が、吉備真備や徐福・楊貴妃の説話を生み出した。吉備真備が遣唐使で唐に渡り、その才を妬まれイジメに遭うが、機転により、やりこめてしまうという説話で、この真備入唐説話のポイントは、真備が本場中国で、中国的教養によって中国人をやり込める点にある。とはいえ、このような説話を構想するだけで、中国への劣等感が克服できるわけではない。
 そこに天竺をもちだして、これと直結しているという論理で劣等感を克服しようとする。インド大陸の一部が流れてきて日本国になったとか、和語(日本語)は梵語と同質の言語であるとかいうのも、日本をインドと結びつける、あるいは同一視することで、ようやく中国文化に匹敵できると考えた。日本人にとってインドは半ば空想の世界であって、だからこそさまざまに自国の文化と結びつけることができた。しかし、大陸の人々にとってインドは実在する国のひとつで、そのような意識を日本人が共有できるようになるには、戦国時代まで待たなくてはならなかったのです。
 戦国時代、近世を経て、日本人の意識は変質する。著者はその典型例という「やまとだましい」という言葉の意味の変化を紹介する。著者はこれを「人間力」と意訳してみせたが、平安時代の「やまとだましい」と「才(ざえ)」とを対比的にとりあげ「才」は漢学の素養という当時の実務能力を指し、これに対して「やまとだましい」は「人間力」として今日の学歴主義・業績主義の対立語として用いることとよく似た扱いをしている。平安貴族で「才」の代表が菅原道真ならば、「やまとだましい」し藤原氏の世襲エリートがあてはまる。それが、戦国を経て近世になると「武の国」という新しい自国像が「やまとだましい」を「勇武」の意味へと変えていった。戦国時代は武という能力が剥き出しでサバイバルゲームを繰り広げ、それに勝ち残った人々が開いた江戸時代は、武士を「戦う人」としての属性を保ったまま、治者にスライドさせようとした社会だった。本来ならば、他の東アジアの国々のように為政者である武士を文民化してしまえばよい(例えば中国の士大夫)はずが、統治の正当性を軍事的優越に置いていた幕藩体制においては、平和な時代が続いていても、武人であることを否定することはできなかった。
 「武士」としての特性を残しつつ、中国的な「士大夫」の資格を持たせる道を模索した代表が、軍学者で且つ儒者でもあった山鹿素行だった。素行は武士たちに、武の担い手として農・工・商を威服させると同時に、彼らの道徳的模範たるべしと説いた。これが素行のいう「士道」だった。ただ、基本的に暴力を是とする日本の武士に、中国の「士大夫」のような見識・態度を期待するには無理があったので、代わりに彼は日常生活の細部にわたる規律正しい生活を送るよう求めることになった。言ってみれば、一挙手一投足にわたる厳しい校則を課すことで生徒の生活を律しようとするようなもの。それが近代の明治社会では、富国強兵政策のもとで、戦争に強いという意味で、日本人全体が「武(サムライ)」とされ、対外イメージを作っていった。一方、中国への劣等感は国権主義的な中国大陸への進出を駆り立てることになった。
 全体を通して共通しているのは、他者の存在の希薄さだということではないか。つまり、中国に対するコンプレックスが対抗意識となって「日本」ということを意識するにしても、それを中国や周辺の他国に届けようとは考えられなかった。日本優位を説くような言説は、あくまで日本国内という内輪でのみ語られてきたということ。そして、看過できないことは、そういう傾向は古代よりも近代以降に、より顕著になってきている。

 

 

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