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2022年4月 6日 (水)

没後50年 鏑木清方展(5)~特集2 歌舞伎

Kaburagicherry  「桜姫」という1923年の作品です。四代目鶴屋南北作「桜姫東文章」で、清水寺の僧清玄が、高貴の姫君桜姫に懸想したうえで悶死し、死後も桜姫にまとわりつくという物語です。一人の女が立ち姿で、着物の袖を顔にあてて、何かを避けているように見えるのは、おそらく幽霊となって現われた清玄から逃れようとしいている。腰をひねったその姿は、幽霊を恐れているというよりは、男を挑発しているようにも見えます。実際、狂言の中の桜姫は、最期は女郎に身を落とすほどの、魔性の女として描かれているといいます。これも、私には、物語や狂言を知っていて、舞台で役者がどのような演技をしているのかを知っていて、それを前提に絵画に仕立てましたという作品に見えます。
Kaburagikabuki  「道成寺 鷺娘」という1929年の作品です。どちらも歌舞伎の舞踊の代表的作品で、鏑木は京鹿子娘道成寺については、何度も題材として取り上げているように、この作品の方にも道成寺を扱った作品が展示されていました。舞踊としては見せ場は沢山あるのでしょうが、この絵画では、そういう踊りの見栄えのするポーズは描かずに、その扮装をしての立ち姿を描いているという、何か勿体ない気がします。この作品の顔を見ると、浮世絵のパターンの顔でもあり、歌舞伎の女形が扮している顔、つまり、生身の女性の顔ではないことがはっきりと分かる、鏑木の描く女性の顔がそういうものだというのが、この作品では端的に分かるのではないかと思います。歌舞伎の女形は、舞台越しで客席という離れたところから見るので、接近しないとわからない細かい表情などはつくっても分からないので、顔は白塗りにして、表情なんかはどうでもよく、離れてもわかる身体全体のしぐさとかポーズで女の形を見せている、いわば徹底的な表層の姿で、この作品に限らず、鏑木の描く女性は、そういうものだと思います。
Kaburagisheet  「さじき」という1951年の作品です。歌舞伎の場面ではなく、劇場の桟敷で芝居見物をする親子を描いた作品です。後ろには枇杷やサクランボが置かれた初夏の情景で、母親の帯は紫陽花、娘の紙入れは杜若をあしらっています。それに対して、着物の柄は母親は桔梗に撫子、娘は色付き始めた楓と、秋を感じさせる演出です。全体に緑色を効かせていて、母親のかんざし、指輪も翡翠です。娘の口は少し開いていて、母親との表情にわずかな違いを見せています。娘の方は、初めて見る芝居にすっかり心を奪われてしまったのか、ぽかんと口を開け、少し身を乗り出して一心に舞台を見つめているのでしょうか。この作品が描かれた時代の、絵画を購入するような比較的裕福な人々、太平洋戦争の焼け跡で貧富とか身分とかといった階層が崩壊してしまったであろうから、成金のような人々がお上品ぶって絵画を購入するようなニーズに巧く応えるような作品ではないかと思える。鏑木は、そういうマーケティング感覚に優れたひとであるだろうということが推測できるような作品だと思います。そういう意味で、上手いと思います。

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