無料ブログはココログ

« 高井ゆと里「極限の思想 ハイデガー 世界内存在を生きる」 | トップページ | 没後50年 鏑木清方展(5)~特集2 歌舞伎 »

2022年4月 5日 (火)

没後50年 鏑木清方展(4)~第2章 物語を描く

 鏑木は、戯作者で新聞社主の父、無類の芝居好きだった母のもとに生まれた清方は、幼少期より文芸に親しんだそうで、本人も文学と芝居の熱心なファンであったといいます。そういう鏑木の嗜好が表われた作品の展示ということです。
Kaburagibakin  「曲亭馬琴」という1907年の作品です。この会場で見てきた作品とは、かなり異質な作品なので、とくに印象に残っています。視力を失った馬琴が、「南総里見八犬伝」を息子の嫁おみちに口述筆記する様子ということです。おみちはもともと字が読めなかったところ、馬琴が手とり足取り教えて覚えさせたという。若くて覚えが早く、舅馬琴の要求に応えて、口述筆記をした。この絵には、そんなおみちが、坊主頭の馬琴の語る声に、必死に耳を傾ける彼女の表情が、印象的に描かれているといいます。この作品の室内は、鏑木の作品では唯一と言って遠近感のあるパースペクティブな空間が捉えられているように見えて、しかも、中央の行燈の灯りによる陰影が深く表現されています。そして、画面の中央左の馬琴の描き方が、他の鏑木の作品には見られない、たとえば馬琴の身体に施された陰影がその表情と相俟って一個の人間を表わそうとしているのです。多分、鏑木は試行錯誤しながら手探りで描いたのだろう手際の悪さが見て取れます。そのため、馬琴の顔がこわい顔になっています。かつて史実のなかに生きた人間としての馬琴という人物の生々しい姿ではないかと思います。しかも、室内とそこにある諸々の物がくっきりと質量のある物として描かれているように見えます。ちゃんと絵の画面になっています。うまい下手は別として。ただし、馬琴に対向しているおみちは人形のような普段の鏑木の描く女性のままです。
Kaburagiichiyo  「一葉女史の墓」という1902年の作品です。一葉女史とは夭折した小説家の樋口一葉のことであり、その墓は築地本願寺にあったといいます。画面左上に弦月が見えますが、それゆえに夜が更けてきて、墓参に訪れる人影も途切れて、あたりは静寂に包まれているのが分かります。墓に供えられた線香の煙が漂うなかで、一葉の小説「たけくらべ」のヒロイン美登利が現われて、水仙の花を抱えて墓にもたれかかっているという幻想的な光景を描いています。背景の石垣、墓石、香炉などには明暗が施されて立体感が表現されていて、後年の平面的な塗り絵のような画面とは違いますが、それでも薄っぺらくて、石の重量感が感じられません。一方、美登利の服は藍色を帯びた灰色であり、衣紋に沿って暗い灰色の暈しが入り、この明暗の差によってこの人物の立体感が生まれています。それゆえに、現実の存在感が薄くて、幻想である美登利の存在の薄さと変わりません。その結果、現実と幻想の区分が曖昧になって同居する画面になっています。また、背景である墓場と人物である美登利の存在感が同じように薄いのは、現実と幻想の区分が曖昧なだけではなく、画面のなかで美登利が主役としての存在の強さがなく背景との関係も同じようです。つまり、この画面には主役がなく、描かれているものが並列的です。この展示コーナーのテーマが物語を描くということになっていますが、それは画面として完結した世界を独立させるのではなく、挿絵の要素が強いということなのだろうと思えてきます。
 このことは、日本の近代小説が始まったときの主体性の問題と、すごくよく似ていると思います。教科書の文学史でいうと日本で初めての近代小説というと二葉亭四迷の「浮雲」とされていますが、これを読んでいると(実際に読んでいる人はほとんどいないと思いますが)、章か変わるごとに物語の語り口が変わっていることに気がつきます。それで統一感がなくてバラバラな感じがするのですが、これは、作者の二葉亭が西洋の小説のような絶対者の視点による物語の語りができなくて、物語をどのように語るかを試行錯誤して、結局うまくいかなかったとされています。西洋文化の場合、神という絶対者がいて、その下で統合されている。小説の語りについても、神というすべてを見渡し、コントロールする存在があって、作者がそれになり代わって、テーマのもとに物語を統合して語ることが出来る。それに対して、日本の文化には神にあたるような絶対者がいないので、どうしても相対的になってしまう。テーマのもとに物語を統合する語りをするものがいないというわけです。その後、解決策の一つとして、自分で自分のことを語るなら、その限りで統合できるとして私小説というのが考え出されることになるのですが、ここで小説をかたってもしょうがないので、話を戻します。絵画の世界でも、例えば遠近法という手法は、焦点を中心に放射状のひろがりに沿って事物を描くことで空間的な奥行きを表現するものですが、その焦点という点は視点と言い換えることが出来て、その視点の下に空間が作られていることになります。それは、いわば神の絶対的な視点といってもいいものです。それだけでなく、テーマとなる中心を決めて、背景を従わせるという画面内の主従の選択という構成の視点とか、そこに絶対的存在によって全体を構成するという作為が西洋絵画には当たり前のようにありますが、鏑木の作品には、それが根本的に欠けている、というより、日本画にはもともとないのだろうと思います。だから、屏風や掛け軸をたんに額装しただけで絵画の画面になるというわけではなく、そこで画面にする、つまり絵画にするという作為が必要なわけで、西洋画とは違ったやり方で、それぞれの日本画家はさまざまな努力をしてきたと思います。しかし、鏑木の作品では、あまり、そういうことが意識できい、つまり絵画になっていない。敢えて言えば、挿絵という物語の付録のような在り方を土台に、それにいろいろな意匠を凝らして絵画らしく仕立てているように見えます。ここで物語を描く作品が展示されていますが、その物語の作家は泉鏡花だったり樋口一葉だったり江戸時代の作家だったりと、近代小説以前の人たちであることが明らかです。それゆえに、鏑木の個々の作品が印象に残らない理由なのかもしれません。
Kaburagiyujo  「遊女」という1918年の作品です。泉鏡花の「通夜物語」の遊女「丁山(ちょうざん)」に題材をとっているということです。「通夜物語」のあらすじを簡単に述べると次のようになります。画家玉川清は伯父久世友房の娘で従妹にあたるお澄と愛し合っていたが、親の意向によりお澄が陸軍軍人篠山佐平太に嫁いだことから、北廓源楼の遊女丁山と入魂の仲となる。ある時、友房の辱められた清は連れの丁山を思わず妹だと偽ってしまう。友房がそれなら息子の嫁にと揶揄したのを逆手にとって、後日、二人は久世家に強請をかけた。ところが相手は友房が急死した通夜に見せかけ、篠山が悪態をついて清のKaburagiutamaro 左腕を折る。篠山を出刃包丁で刺し、「手前たちは、だれだと思ふ、丁山さんの遊女だよ」と言い放つ丁山。「覚えておけ、逢引はこうしてするもんだ」と啖呵を切って、返す刀で自らの乳房のあたり突き立てた。その血潮で襖に丁山の立ち姿を清は描いた。泉鏡花らしい怪奇で耽美な物語で、この絵画で描かれた丁山という女性は、狂気と侠気を秘めた人物です。そういうことが、この絵画のバックボーンとしてあるとして、作品を見る。おそらく、作品が描かれた当時の観客は、この物語を教養として知っていて、「遊女」が誰であるかを分かって見ていた。そうであれば、見え方が、何も知らない現代の観客とは違っていたと思います。そうでないと、この作品を、単に見る限りでは、例えば喜多川歌麿の「美人納涼図」のような浮世絵のパターンを現代的にお上品に描いて、日本画というゲイジュツに仕立て直しました、としか見えません。ただし、それができるのは、本当にお上手な人でないとできないだろうから、お上手ですね。すごいですね。そういう作品だと思います。同じ作者の同じようなパターンに「襟おしろい」があったりして、このパターンだなと思ってしまう。ただ、物語の知識がないまま作品を見て、丁山の凄絶さは感じられないでしょう。

« 高井ゆと里「極限の思想 ハイデガー 世界内存在を生きる」 | トップページ | 没後50年 鏑木清方展(5)~特集2 歌舞伎 »

美術展」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 高井ゆと里「極限の思想 ハイデガー 世界内存在を生きる」 | トップページ | 没後50年 鏑木清方展(5)~特集2 歌舞伎 »