大木毅「指揮官たちの第二次大戦─素顔の将帥列伝」
戦場を見下ろす丘に立ち、一時的な敗勢にも怯むことなく、勝機を見抜いて最後の予備を投入、ついには決勝を得る。あるいは、旗艦の艦橋にあって、砲煙弾雨の中で艦隊の運動を指示して、有利な態勢をつくり、敵を潰滅に追い込む。日本語の「名将」という言葉が連想させるイメージは大方このようなものだ。第二次世界大戦の指揮官で、そういうイメージに適合的なのは、ロンメルとかグデーリアンとかマンシュタイン、あるいは岡村寧次といった人々の名が浮かぶ。しかし、彼らは戦争を勝利に導く存在ではなかった。それを行ったのは、戦場に立つことなく、首都の国防省や参謀本部のオフィスで、外交、同盟政策、国家資源の戦力化、戦争目的・軍事目標の設定、戦域レベルでの戦争計画といった高度な判断と戦略策定を行った人々だった。それは、将軍というよりはマネージャーと言った方がいいかもしれない。
おそらくドイツや日本は総力戦を貫徹することか困難な「持たざる国」でしかなく、リソースをフル動員し、国民に犠牲を強いながらも、相対的な戦略的優位を獲得することができなかった。そこで、各戦闘で連勝を続け、戦略的な劣勢を挽回する以外にすべはなかった。そこで職人的な指揮官に頼ることになる。
そう考えた時、例えば戦艦シュペーの艦長ランスドルフはアルゼンチン沖でイギリス艦隊に包囲されて浅瀬に追い込まれ、艦を自沈させ、乗組員を避難させたあと自らの命を絶った。そこでは、いかに有利に戦闘を進めるのかというだけでなく、避難するとしたら、その政戦略への影響はどうなるのか、中立国の港湾に逃れるとしてもその国にどれだけ支援を期待できるかという戦略が考慮されている。そこに指揮官に対する最初に述べた「名将」とは異なる視点がある。
考えてみると、この「名将」のイメージは、現代の日本では、企業経営者にもそういうものを求めている傾向が強いように思った。しかし、それはマネージャーではない。それは、第二次世界大戦中のアメリカに戦略をシステマチックに構築するウィーナーなどのサイバネティックスが生まれ、彼の僚友であったノイマンがそのツールとしてコンピュータをつくったということが、日本の企業経営にコンピュータが本質的に馴染まないでいるのは、そういうところに由来しているかもしれないと思った。
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