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2022年6月

2022年6月29日 (水)

大木毅「指揮官たちの第二次大戦─素顔の将帥列伝」

11112_20220629212101  戦場を見下ろす丘に立ち、一時的な敗勢にも怯むことなく、勝機を見抜いて最後の予備を投入、ついには決勝を得る。あるいは、旗艦の艦橋にあって、砲煙弾雨の中で艦隊の運動を指示して、有利な態勢をつくり、敵を潰滅に追い込む。日本語の「名将」という言葉が連想させるイメージは大方このようなものだ。第二次世界大戦の指揮官で、そういうイメージに適合的なのは、ロンメルとかグデーリアンとかマンシュタイン、あるいは岡村寧次といった人々の名が浮かぶ。しかし、彼らは戦争を勝利に導く存在ではなかった。それを行ったのは、戦場に立つことなく、首都の国防省や参謀本部のオフィスで、外交、同盟政策、国家資源の戦力化、戦争目的・軍事目標の設定、戦域レベルでの戦争計画といった高度な判断と戦略策定を行った人々だった。それは、将軍というよりはマネージャーと言った方がいいかもしれない。
 おそらくドイツや日本は総力戦を貫徹することか困難な「持たざる国」でしかなく、リソースをフル動員し、国民に犠牲を強いながらも、相対的な戦略的優位を獲得することができなかった。そこで、各戦闘で連勝を続け、戦略的な劣勢を挽回する以外にすべはなかった。そこで職人的な指揮官に頼ることになる。
 そう考えた時、例えば戦艦シュペーの艦長ランスドルフはアルゼンチン沖でイギリス艦隊に包囲されて浅瀬に追い込まれ、艦を自沈させ、乗組員を避難させたあと自らの命を絶った。そこでは、いかに有利に戦闘を進めるのかというだけでなく、避難するとしたら、その政戦略への影響はどうなるのか、中立国の港湾に逃れるとしてもその国にどれだけ支援を期待できるかという戦略が考慮されている。そこに指揮官に対する最初に述べた「名将」とは異なる視点がある。
 考えてみると、この「名将」のイメージは、現代の日本では、企業経営者にもそういうものを求めている傾向が強いように思った。しかし、それはマネージャーではない。それは、第二次世界大戦中のアメリカに戦略をシステマチックに構築するウィーナーなどのサイバネティックスが生まれ、彼の僚友であったノイマンがそのツールとしてコンピュータをつくったということが、日本の企業経営にコンピュータが本質的に馴染まないでいるのは、そういうところに由来しているかもしれないと思った。

 

2022年6月24日 (金)

マーク・エヴァン・ボンズ「ベートーヴェン症候群─音楽を自伝として聴く」

11112_20220624220501  ベートーヴェンというと、今はそうでもないかもしれないが、ある時期までは第5交響曲の“ジャジャジャジャーン”という一節を「運命の戸を叩く」主題と呼ばれて、困難に立ち向かう闘争の末に勝利を勝ち取るというストーリーで捉えられ、ベートーヴェン自身が難聴という音楽としては致命的な障害を克服して名曲を作曲したという、いわば偉人伝と重ねあわされて、いわゆる教養小説のような人格形成になぞらえて聴かれていた。そういうのは極端ではあるが、クラシック音楽の本場、ヨーロッパでも音楽を作曲家の内的自己の表現とか魂の発露として捉えられている。それはベートーヴェンをひとつの契機として音楽との接し方に変化があった。
 例えば、ベートーヴェンの一世代前のモーツァルト。彼が残した大量の手紙には、どのようにして聴衆を驚かせたり、悲しませたり、楽しませたりするかということに意を注いでいて、敢えて言えばレトリックというか極端に言うと効果音のように考えていて、音楽で自己を表現しようなどということは微塵もない。音楽とは、そういうものだった。
 18世紀の啓蒙思想が個人の自己ということを説き始め、例えば、ルソーの「告白録」は自己の内面を言葉にして語るということが文学になった。ドイツでは、ゲーテをはじめとして抒情詩などで、作者の内面の表現であるとして創作した。このような文学の創造性が作者の内面から生じるということは、それまでの創作とは神からの啓示によるという前提が弱まったことでもある。ゲーテは「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」という小説、それはいわゆる教養小説で、自己は努力や意志の力で耕すことができる、自己陶冶という自己の捉え方を小説にした(これはベートーヴェンの伝記のストーリーに重なる)。ロマン主義の文学運動はさらに推し進めた。それに思想的に基礎づけたのがカントをはじめとする主観的美学だった。このような思潮が広まってきたところで出現したのがベートーヴェンの音楽だった。  18世紀から思想や文学であらわれはじめた、表現は作者の自己の内面の表現という思潮は、音楽では少し遅れて19世紀ごろから現われ始め、例えばファンタジーという形式であり、それを開拓した一人がベートーヴェンだった。その主な特徴は次の5点に集約できるという。 (1)一般的で大規模な形式の慣習とほとんど似ないやり方で展開される、想念の自由な軌道。 (2)断片的あるいは互いに無関連にみえる楽想、もしくはその両方。 (3)ときに拍節の概念を無効にするほど自由なリズムとテンポ。 (4)不意に遠隔調に転調するなどの、非慣習的な和声や和声進行。  聴くものは音楽の先行きが予期できないことで、それは音楽的な修辞もっというと形式ばった秩序は稀薄となるが、親密さとか音楽家の自発性を強く聞き手に感じさせる。いわば、作り手のモノローグを聴いていてるような心地にさせる。一方、ファンタジーには特異で奇矯なものという意味合いがある。形式的な秩序は、いわば一般的とか普遍性に通じるものであるが、それと反対で、それは個性的と捉えることもできる。つまり、作者の個性が、そこから聞き取ることができるというわけである。  あるいはベートーヴェンが主なテリトリーとしたのはオペラなどではなく器楽曲(絶対音楽と呼ばれた)で、歌は詩人といった他人の言葉に合わせて曲をつけるのだが、音楽の音だけでつくられる器楽曲は、事態が独立した抽象的なもので作曲家の内部から創造するという思潮に、より適合的であった。  このような結果、つくられた音楽は、当時の一般的な聴衆にとって、従来の作品と比べると特異で難解なものと捉えられた。そういう従来にない新しいものを、聴衆に説明する批評家というのが、文学で生まれたのと同様に、音楽でも現れた。彼らは、その説明をする時に、従来のような説明はつかえない。そこで、作者の人生を語る。その場合、もっとも語り易かった音楽家だっのがベートーヴェンだった。

2022年6月20日 (月)

土田健次郎「江戸の朱子学」

11112_20220620203101  中国思想・思想史なかでも宋明学研究の碩学が一般向けに書いた著作。このところ似たようなテーマの著作を読んでいるが、この著作の特徴は、代表的思想家の伝記と思想の解説を年代を追って並べていくのではなく、朱子学というのがどういうもので、それが江戸時代の人々の思想に何をもたらしたのか、それによっていかなる展開が起こったのかといった問題ごとに著者が考えてきた大筋を提示するという書き方をしている点。そして、表題どおり江戸時代の朱子学を基本としながらも、中国における朱子学の基本的な歴史・文脈、さらに朝鮮における朱子学も視野に収められていて、江戸時代の日本の朱子学が、それらとどのように関係しているのか、どこが違うのかが考察されている点。つまり、読者は、読んでいて江戸時代の朱子学についての情報を得るというより、それについて考えることは始めるような著作になっている。それが、この著作の面白いところだと思う。
 なお、こういう問題点をピックアップして江戸時代の思想史をとくに朱子学に注目して語る場合、どうしても山崎闇斎、伊藤仁斎、荻生徂徠という3人の思想のドラマチックな対決にどうしても視線が集まってしまう。禅宗や神道などの他の思想と混ぜ合わせて都合よく受け容れられようとした朱子学について夾雑物を取り除いて正確に勉強しようとした闇斎と、それに正面から向き合って朱子学を批判し個としての自身の生き方として「仁」を思想にまで高めた仁斎。翻って、闇斎は仁斎の批判に向き合うことで、朱子学の日本には珍しい体系的な思想をつきつめる。また、この両者を批判したのが徂徠で「仁」という個人道徳にとどまるのではなく、社会全体の秩序維持の天下統治の「道」を追究した。ここで、公私の区別ということが思想のレベルで論じられ、批判された仁斎の方は公に吸収され得ない確固とした個人を際立たせた内面の思想に進んでいく。この3人が相互に批判しながら、それぞれの自身を見出していく。その絡み合いが思想のドラマをつくる。そういう場面は、日本の思想史を見渡してみても、ここまで劇的なのは珍しい。それが、色々な側面から、この著作を読んでいると、見ることができる。なお、3人の思想家のドラマは、この著作でメインに論じられているのではないが、読んでいるうちに、それに気がついて、いったん気がつくと、そのドラマが著述の端々に見えてきて、眼目が離せなくなる。いわば隠し味なんだけれど、3人の魅力に気がつかされた。面白かった。

 

2022年6月15日 (水)

呉座勇一「戦国武将、虚像と実像」

11112_20220615215701  一般に歴史というと中学や高校の暗記科目であるのか、あるいは歴史好きという人々は往々にして歴史小説や時代劇などを通じて親しんでいるのが多いのではないだろうか。一般的な日本人の歴史観は、歴史上のヒーローの人物像や行動に焦点を当てて、歴史を教訓とするといったもの、それを著者は大衆的歴史観と呼ぶ。日常の雑談の中でも、歴史に興味があるというと、好きな歴史上の人物は誰かという話題になることは、よくある。この歴史上の人物(ヒーロー)像は歴史学の分野での新資料の発見や資料解釈の定性といった研究の進展によってではなく、社会の価値観の変化によって変遷する。例えば、歴史上の人物として人気の高い織田信長は、江戸時代では徳川家康によって乗り越えられた悪役の位置づけだったのが、明治維新後は海外進出を志したということで大日本帝国の大陸政策の先駆としてのヒーローになり、戦後のバブル崩壊後の経済停滞で構造改革が叫ばれた時に、既存の体制に大胆に挑戦する改革者として評価される。そういうイメージの変化の触媒となって機能したのが、歴史家ではなく江戸時代であれば儒学のような思想家たちの言説や近代以降は小説家、例えば戦前なら徳富蘇峰、戦後なら司馬遼太郎といった人々。なお、我々の世代では、「太郎、次郎(新田次郎)、三郎(城山三郎)」と人気歴史小説家だった司馬遼太郎のいわゆる司馬史観は大正時代の徳富蘇峰の「近世日本国民史」に拠っているところが大きいうネタバレを暴露しているのも微笑ましい。
 そこで、著者は日本における排外主義的・歴史修正主義的な言説、著者はそれを歴史修正主義と呼んでいるが、そこでの歴史的事実の捏造・歪曲や史料的根拠のない奇説・珍説に支えられていて、それは提唱者が独自に想像を巡らせ妄想を書き連ねているように見えるが、実は、その内容は江戸時代の講談・軍記物に影響を受けていたり、徳富蘇峰や司馬遼太郎の焼き直しだったりする。つまり、大衆的歴史観に重なるところが多いという。著者は実証主義に立つ歴史学者として、そこに警鐘をならしてはいるが、しかし、実証主義の歴史学も大衆的歴史観とは無縁ではなく、その基礎をなす社会の価値観をある程度共有しているという自戒しているところに好感を持った。
 まあ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、真田幸村といったヒーローたちが各時代で大衆にどのように受け取られてきたかという変遷を追いかけるだけでも興味深い。

 

2022年6月 9日 (木)

猪木正道「新版 増補 共産主義の系譜」

11112_20220609221601  原著の刊行が1949年で、当時の言葉では非マルクス陣営(平成生まれの人には大学の経済学部がまるまるマルクス『資本論』を学ぶものだったり、マルクスの学説を基礎にした政治学や法律学が学会の大きな潮流だったことなど想像できないかもしれない)、現在であれば保守的傾向のいわゆるオールドリベラリストによるマルクス思想史。その後1984年まで数回増補されたが、メインは原著によるマルクスに始まり、その同時代のドイツの社会主義運動(ラサールやドイツ社会民主党)、ロシア革命(レーニンからトロツキーやスターリンに至る)までの、いわゆるマルクス=レーニン主義の系譜の記述で、この著作の特徴は、それを外側から俯瞰的に眺めたところにある。言葉遣いは、少し古臭くて堅苦しいところがあるが、マルクスに触れたことがなくて、社会主義とか共産主義に馴染みのないような、今の若い人には、だいたいこんなものだという概観を掴むのには便利な著作になっていると思う。
 思い切り単純化すれば、著者の言うマルクス主義の革命理論の特徴は次の二つだということになる。ひとつはフォイエルバッハなどのヘーゲル左派の自由の追求を政治・経済の批判に推し進め、人間の自己疎外の原因は資本主義にあるとし、生産手段の私有を否定することによって人間の完全な解放を実現しようとする、ちょっと宗教みたいなところのあるユートピア思想。もうひとつは、1840年代のドイツで実際に革命を起こすための理論で、先進国イギリスは市民革命による民主主義が進んだのに対し、ドイツは後進国では専制主義が残っているので、プロレタリアートという人間の自己疎外を体現した新興階級によって革命がなされるとした。しかし、このような見通しは、マルクスの死後、ドイツの上からの近代化による経済成長でプロレタリアートの階級にも富のおこぼれが分配されると革命気運がポシャッてしまった。しかし、このような資本主義後進国の革命理論は、ドイツよりも、もっと後進国のロシアで、レーニンによって、市民階級が形成されていない社会で大多数を占める農民を都市の労働者が引っ張ることによって革命を起こすという修正がなされ、それがロシア革命で実現させた。そういうマルクス主義の革命思想の系譜をものがたりのように提示してみせた。
 ここで、面白いと思ったのは、上述のマルクス主義の革命理論の二つ目の特徴の説明の中で、ドイツで革命を起こすために、プロレタリアートという階級を思いついたという指摘。つまり、マルクスは、実際の資本主義経済社会を分析していてそういう階級を発見したのではなく、革命の主体としてプロレタリアートというアイディアを思いついて、それを成り立たせるために資本主義とか自己疎外という理屈を跡付けてつくりあげたという指摘。これは極端な言い方ではあるが、そういう、それまでにない視点で経済社会をみていると、いわゆるマルクス主義の経済理論ができてくるというのは、すごくよく分かる。これは、著者の立ち位置で、はじめて可能な指摘だと思う。

 

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