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2022年6月20日 (月)

土田健次郎「江戸の朱子学」

11112_20220620203101  中国思想・思想史なかでも宋明学研究の碩学が一般向けに書いた著作。このところ似たようなテーマの著作を読んでいるが、この著作の特徴は、代表的思想家の伝記と思想の解説を年代を追って並べていくのではなく、朱子学というのがどういうもので、それが江戸時代の人々の思想に何をもたらしたのか、それによっていかなる展開が起こったのかといった問題ごとに著者が考えてきた大筋を提示するという書き方をしている点。そして、表題どおり江戸時代の朱子学を基本としながらも、中国における朱子学の基本的な歴史・文脈、さらに朝鮮における朱子学も視野に収められていて、江戸時代の日本の朱子学が、それらとどのように関係しているのか、どこが違うのかが考察されている点。つまり、読者は、読んでいて江戸時代の朱子学についての情報を得るというより、それについて考えることは始めるような著作になっている。それが、この著作の面白いところだと思う。
 なお、こういう問題点をピックアップして江戸時代の思想史をとくに朱子学に注目して語る場合、どうしても山崎闇斎、伊藤仁斎、荻生徂徠という3人の思想のドラマチックな対決にどうしても視線が集まってしまう。禅宗や神道などの他の思想と混ぜ合わせて都合よく受け容れられようとした朱子学について夾雑物を取り除いて正確に勉強しようとした闇斎と、それに正面から向き合って朱子学を批判し個としての自身の生き方として「仁」を思想にまで高めた仁斎。翻って、闇斎は仁斎の批判に向き合うことで、朱子学の日本には珍しい体系的な思想をつきつめる。また、この両者を批判したのが徂徠で「仁」という個人道徳にとどまるのではなく、社会全体の秩序維持の天下統治の「道」を追究した。ここで、公私の区別ということが思想のレベルで論じられ、批判された仁斎の方は公に吸収され得ない確固とした個人を際立たせた内面の思想に進んでいく。この3人が相互に批判しながら、それぞれの自身を見出していく。その絡み合いが思想のドラマをつくる。そういう場面は、日本の思想史を見渡してみても、ここまで劇的なのは珍しい。それが、色々な側面から、この著作を読んでいると、見ることができる。なお、3人の思想家のドラマは、この著作でメインに論じられているのではないが、読んでいるうちに、それに気がついて、いったん気がつくと、そのドラマが著述の端々に見えてきて、眼目が離せなくなる。いわば隠し味なんだけれど、3人の魅力に気がつかされた。面白かった。

 

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