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2022年7月21日 (木)

小川幸司、成田龍一編「シリーズ歴史総合を学ぶ① 世界史の考え方」

11112_20220721213501  今年度から高校で「歴史総合」という新しい科目の授業が始まった。これは18世紀以降の近現代史を従来の日本史・世界史の区別をなくして総合的に学ぶというものらしい。そこでは、歴史と「私たち」との関係を探り、歴史に問いかけ、互いに議論し対話することが目的とされているという。このような「歴史総合」の議論にも大きな影響を与えてきた著者2人が、岸本美緒、長谷川貴彦・貴堂嘉之・永原陽子・臼杵陽をゲストに迎えて、歴史に関する本を読みながら近現代を中心とした世界史と歴史学について考えるという構成になっている。章ごとに3冊の本がとり上げられ、それを著者2人にゲストという3人で紹介しながら、時代の特徴や歴史学の展開を語っていく形で、刺激的な議論がされている。
 ちなみに取り上げられた本は、大塚久雄「社会科学の方法」、川北稔「砂糖の世界史」、岸本美緒「東アジアの近世」そして、遅塚忠躬「フランス革命」、長谷川貴彦「産業革命」、良知力「向う岸からの世界史」、そして江口朴郎「帝国主義と民族」、橋川文三「黄禍物語」、貴堂嘉之「移民国家アメリカ」、そして丸山真男「日本の思想」、新井信一「空爆の歴史」、内海愛子「朝鮮人BC級戦犯の記録」、そして中村政則「戦後史」、臼杵陽「イスラエル」、峯陽一「2001年の世界地図」といった著作。
 大学1、2年の基礎ゼミの基本的文献の講読を思い出させるような鼎談で、全体を通して非常に密度の濃い議論がなされており、別に「歴史総合」に関わらない人にとっても非常に刺激的で面白い本になっていると思う。近現代をたどりながら、歴史学がどのように変化・発展してきたのかということが分かり、その歴史学がさまざまな枠組みを揺さぶっていることもわかると思う。
 例えば、最初の議論では、大塚久雄「社会科学の方法」をとりあげ、大塚は日本の「近代」が不十分なものであったとの反省のもと、イギリスの「近代」を生み出した人々の精神に迫ろうとするという。大塚は「ロビンソン・クルーソー」という社会関係のないところで自活する個人というわかりやすい類型を原型として、そういう人が社会にはいったらどう変わるかということから近代を生み出した人々のエートスを分析したが、「合理性」や生産の局面を強調する議論には批判もあるという。大塚の時代は海外に行くことは難しく、欧米の二次文献にあたって理論を組み立てていたという時代の制約もあったが、その後、日本の研究者も海外で一次文献にあたるようになり、大塚の研究が参照されることは少なくなったが、歴史教育の分野ではまだ大塚の枠組みの影響は強いと言う。次に、川北稔『砂糖の世界史』は砂糖という商品に注目して国の枠を超えた歴史を描こうとするもので、産業革命を生み出したものはイギリスの小経営のエートスなどではなく、カリブの奴隷を使った砂糖のプランテーションがイギリス本国にもたらした富こそがその原動力だったという主張をしている。この『砂糖の世界史』は世界システム論に依拠して、産業革命をイギリスという一国の中での出来事ではなく植民地とのネットワークの中で起こったとしているが、同時に消費の局面にも目を配っているのが特徴と言える。最後に。これら2冊の紹介の後、岸本美緒が登場し、彼女の「東アジアの近世」についてまずは「近世」という「近代」の前の時代を表す概念が検討される。岸本はあえて「近世」という時代区分の内容的指標については論じておらず、16〜18世紀にかけてアジアに登場した銀というモノの流れを軸にした新たな世界といった意味合いでこの言葉を使っている。世界システム論のような中心−周辺の図式ではなく、銀、さらには生糸やニンジンといった商品でつながりながら、東アジアに中国・朝鮮・日本といったそれぞれに特徴のある社会が成立したことを論じていく。そこに、単線的な発展論ではない歴史の姿が見えてくる。
 そこには、現実の高校の日本史や世界史の授業に対して、教師の講義をひたすら受けとめ、膨大な歴史用語を暗記することに終始したものになっているため、歴史的事件の因果関係を考える機会があったとしても、それもまた暗記して試験の時に再現する、そして試験が終われば忘れてしまう、批判がある。そういう現状に対して、著者たちは、歴史の授業というのは、過去を知ることで私たちがどう生きるべきかを考えることができる、というものだという理想(?)を明かす。
 個々の議論は、それぞれに興味深いが、その結果として、この理想は???で、「春秋」とか「史記」・・それらがふるいというなら司馬遼太郎じゃないかなどと懸念して、基礎的な文献として市井三郎「歴史の進歩とはなにか」なんかを加えてもいいのではないか、と思ってしまった。

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