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2022年8月23日 (火)

スーザン・ネイピア「ミヤザキワールド─宮崎駿の闇と光」

11112_20220823221501  本書の特徴の一つは、宮崎駿の生い立ちと映画作品と彼が生きてきた時代に文脈に照らして、彼の作品を理解しようとしているところにある。そこで例えば、「紅の豚」は中年男性のアイデンティティと青年期の理想の喪失に関する深い洞察に満ちた作品として見ることができる。劇中でジーナ(加藤登紀子)が歌う「さくらんぼの実る頃」はバリコミューンの鎮魂歌として歌い継がれている歌で、それが宮崎が経験した1960年代の日本の政治的激動と結び付けられて、「紅の豚」という作品のライトモティーフとなっている。
 このように見た宮崎の作品には光と闇の両面が併存している。それは、人間の醜さや社会の腐敗、自然環境の破壊といったテーマと、生きる喜びや美しさ、寛容さや希望というテーマを混在させることで複雑で多面的な世界観を描き出している、と言えるということだ。闇の面は、当時は死病だった結核に母親が罹患したことや、戦時中に幼少期を過ごして、終戦直後に思春期を過ごしたということ。例えば、宮崎が幼い頃、米軍の空襲に遭い家族とともに小さな車に乗って火の中を逃げたのだが、近隣に住む母親が子どもを連れて「乗せてください」と駆け寄ってきたが、車はそのまま走り去った。宮崎は、自分たち家族が母子を見捨てたこと、さらには自分が親に「車を止めてくれ」と言えなかったことを、後々まで後悔していたという。このような状況下で「車を止めてくれ」と言える幼児がいたら、結末が変わるはずだという思いが動機となり、ミヤザキ作品には「良心の声」に従い行動する、無垢で責任感のある子どもが登場する。それは「天空の城ラピュタ」のパズーとシータであり、「となりのトトロ」のサツキであり、「崖の上のポニョ」の宗介といった子どもたちで、皆幼いのに驚くほど大人びた責任の引き受け方をしている。これらのキャラクターたちは、いわば宮崎の個人的トラウマを反転し、昇華させたものであり、現実にはあり得ないほど理想的だからこそ、まぶしさを放っている。一方、光の面は、想像力に富んだ共感能力や喜びと美を描き出す手腕で、その背景には幅広い児童文学の読書体験があるという。
 宮崎の作品ひとつひとつを取り上げて、細かい分析をしていて、発見するところが多い。
しかし、私には、見えないところを見過ぎているように思える。言葉で映像を語ると、言葉に引きずられてしまって、過剰に言葉の意味づけをしてしまう。いわゆる文芸評論をする人にありがちなんだけれど、そういう人が称揚するのが「風の谷のナウシカ」とか「となりのトトロ」とか「もののけ姫」以降の作品だったりする。見えるものという点では、ハイアート的な見方で、「もののけ姫」の幻想的な自然の描写などを評価するのだけれど、宮崎の動画の動きの特徴とか、それゆえに可能となる物語の展開といった点は、あまり見ていない。例えば、空を飛ぶということの偏愛は宮崎の作品に見られることで、「カリオストロの城」でルパンが城に忍び込むには、空中を歩くことではじめて可能になる。「コナン」にもそういうところがある。それは、アニメならではのことで、それを魔法などという荒唐無稽ではなく、画面で、見る者に自然に受け取らせてしまうところに宮崎の魅力があると思うのだが。

 

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