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2022年8月30日 (火)

賀茂道子「GHQは日本人の戦争観を変えたか─『ウォー・ギルト』をめぐる攻防」

11112_20220830222001  第2次世界大戦後の連合国の日本占領政策のひとつとして、「ウォー・ギルト」という日本語にはない概念を日本人に理解させるために、GHQは「ウォー・ギルト・プログラム」を行った。日本占領の目的は、日本を二度と米国の安全を脅かさない民主主義国家に作り替えることで、そのために政治制度改革だけでなく、国民の意識改革も必要であるとして、軍国主義思想の排除と民主主義思想の啓蒙を行った。この事実は文芸評論家の江藤淳によって世に知られるようになった。江藤は、日本人に戦争の罪悪感を植え付けるための政策として紹介したのだった。江藤の主張は「東京裁判史観」、「洗脳史観」といった言葉で流通し、後に自虐史観に至っている。実際はどうだったのか? どの程度の影響力があったのか?を明らかにしようとしたのが本書。
 GHQが「ウォー・ギルト・プログラム」が必要だと考えたのは、降伏当初の日本側の姿勢にあったという。日本はポツダム宣言を受け入れて無条件降伏したが、第一次世界大戦における休戦協定のように捉えて、一定の交渉が可能だと考えていた。そのため、当初、日本政府はGHQの指示に素直に従わず、逆にさまざまな要求をGHQに出して、交渉を試みた。さらに、GHQを苛立たせたのが日本側の捕虜虐待問題に対する感度の鈍さだった。欧米では、捕虜虐待は残虐なだけでなく卑怯な行為と考えられて、大きな問題とされていた。これに対して、日本では対抗するように、原爆の人道的な問題をとり上げようとした。米国人の目には捕虜に対する虐待が大きく映ったが、これに対して日本人の目の前にあったのは無差別爆撃で黒焦げになった死体であり、原爆による死体の山だった。どちらが残虐なのか、米国人と日本人に見えてくる違い。これは体験の違いであり、それを認識する文化の違いであった。しかし、米国人には、日本人には贖罪意識がないと捉えられた。そこで、日本人の「再教育」が必要だと考えるようになる。
 そこで、新聞やラジオ、映画などをつかって大々的な宣伝が行われた。
 しかし、結果は江藤淳の主張するような洗脳には至らなかったのでは、著者は言う。「ウォー・ギルト・プログラム」は日本軍の残虐行為を明らかにし、新聞をGHQの望むような論調に誘導したが、結果として最も大きな功績は、人々がもともと持っていた「軍国主義者が悪い」という実感にお墨付きを与えたことだった。
 つまり、「ウォー・ギルト・プログラム」は江藤が考えたような陰謀ではなく、GHQが占領政策の中で行った試行錯誤の1つにすぎない、ということを本書は明らかにしている。もちろん、「ウォー・ギルト・プログラム」は無力ではなかったし、GHQが日本のメディアを統制した。しかし、だからといって「ウォー・ギルト・プログラム」に日本人のほとんどを洗脳するような、力や体系性はなかった。

 

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