武井彩佳「歴史修正主義─ヒトラー讃美、ホロコースト否定論から法規制まで」
書店には「歴史の真実」を 謳う「通俗歴史本」が並び、図書館でも研究書と歴史修正主義的な本が混在し、学生のレポートにはインターネットに氾濫する歴史修正主義者の主張がそれともわからずに引用される。歴史学はこれまで歴史修正主義とまともに向き合ってこなかった。それが現在の 跋扈を許しているという危機感から、歴史修正主義とは何か、なぜそのような考えが生まれたのか、そして社会はどう向き合うべきか、ドイツを中心に丹念にその歴史と課題を明らかにする、というのか著者の意図。
歴史修正主義(revisionism)とは、歴史的事実の全面的な否定を試みたり、意図的に矮小化したり、一側面のみを誇張したり、何らかの意図で歴史を書き替えようとすることを指す。これに対し、最初から事実と異なる歴史像を広める意図であからさまに史実を否定する主張を、欧米では「歴史修正主義」ではなく「否定論」(denial)と呼ぶ。近年、こうした主張がひんぱんに聞かれるようになり、政治家やジャーナリスト、一般人が参加して議論しているが、概して歴史家は距離を置く傾向にある。論破する労力を無駄と考えてのことだが、放置するうちに、学問的知見に基づいて構築された歴史解釈が骨抜きにされていくことがある。
しかし、歴史は新たな資料や証拠の発見などにより歴史が修正されることは珍しいことではない。例えば、私の世代の鎌倉幕府の成立は1192年と習ったが、今では1185年と教えている。著者は歴史的な「事実」と「真実」は違うという。例えば、ある過去の出来事に関する1万ページの文書を、10人の歴史家に共通の史料として与え、各自が読み解いて、その歴史を書かせた場合、いつ、どこで、誰が何をして、その結果どのような状況が生まれた、という事実関係については、10人の認識が食い違うことはない。これが歴史的な事実と言える。ただし、このような事実は、歴史家が用いる材料に過ぎず、歴史とは言えない。歴史には、このような材料が数多くある。また逆に、資料に書かれていなかったり見えない事実もある。この10人の歴史家は事実関係の把握の点での食い違いがなかったとしても、結果として十人十色の歴史が記される。それは、彼らが歴史を記す際に事実の選択をそれぞれに行い、解釈する枠組みが異なるから。つまり、歴史はひとつ、つまり単数ではなく、常に複数であり、固定した歴史像というは存在せず、常に修正される。歴史的事実は確定できるが、真実がどこにあるかを知ることはできない。これは歴史学という学問の基本的なあり方である。
では、最初に著者が批判する「歴史修正主義」は歴史学のあり方と違うのか。そこで、著者は「歴史」と「歴史認識」の違いを提示する。端的に言うと、歴史修正主義は歴史の修正というよりは、歴史認識の修正なのだという。したがって、歴史修正主義は、表面上は歴史の問題を扱っていても、本質的には政治的・社会的な現象なのだという。歴史修正主義の目的は、政治体制や主張の正当化か、これに不都合な事実の隠蔽だ。現状を必然的な結果として説明するために、あるいは現状を批判するために、歴史の筋書きを提供する。だから、歴史修正主義は、過去に関するものであるように見えて、実はきわめて現在的な意図を持つ、現在における歴史の効用が問題で、現在の人間にもたらされる利益がなければ意味がない。したがって、歴史修正主義は本質的に未来志向で、歴史画修正されることで、将来的に取り得る選択肢も正当化されるからだ。だから、歴史修正主義は歴史の問題というより、現在の政治の問題だということになる。
本来、歴史修正主義はナチスの戦争犯罪を断罪したニュルンベルク裁判に対する反発――何でもドイツが悪いのかといった敗者の不満から始まっていた。しかし、やがてこのなかからナチスの戦争犯罪のなかでもっとも糾弾されるホロコーストそのものを否定する主張が登場、学術的な論争から悪意のある政治的主張へとエスカレートする。その経緯を著者は追いかける。それが本書の核心部になる。
ドイツではニュルンベルク裁判を公正ではないと考えた人たちもいて、ヒトラーやナチを擁護する本もぽつぽつと出版され、それは権力によって「正義」が損なわれ、歴史の「真実」が隠されているとの観点から歴史を語り直そうというものだった。しかし、1960年に特定の民族や宗教団体に対して憎悪を煽るような行為を禁止する「民衆扇動罪」が設けられたこともあって、ドイツのおける歴史修正主義の影響は限られていた。
一方、ホロコースト否定論が最初に出てきたのはフランスで、例えば、ポール・ラスィニエは、レジスタンスに参加した社会主義者でドイツの強制収容所に送られたこともあったが、その著作の中で強制収容所の実態を歪曲する主張を行った。彼は強制収容所では囚人の中から選ばれる監視役の「カポ」が最も残忍で、ドイツ人の親衛隊は人道的ですらあり、中で行われていたことを知らなかったと主張した。彼は自身の個人的経験を一般化することで歴史修正主義の根拠を与え、さらに自らの主張を守るために他の囚人たちの証言を否定した。ニュルンベルク裁判ではナチ国家の犯罪を「公知の事実」としてそれを立証する必要はないとしたが、歴史修正主義者はこれらの証拠を捏造だとし、経験者の証言も「嘘つき」だと否定します。そして、これらを繰り返すことで「公知の事実」を揺るがそうとした。
1970年代に入るとホロコースト否定論が勃興した。ホロコースト否定論に共通する論点は、「600万人も死んでいない」、「ガス室はなかった」、「ホロコーストの原因をつくったのはユダヤ人」、「ホロコーストはイスラエルがドイツから金を取るために利用するためのもの」といったもの。こらは、基本的に反ユダヤ主義と人種主義(レイシズム)が根底にあり、現在の政治的な関心が動機となっており、表面的には歴史問題であっても本質はそこにはなかった。この背景には、世代交代とともに若者たちが親世代の歴史認識を批判するようになった一方でそれに対する反発も現れた、第3次と第4次中東戦争における勝利でイスラエルの軍事強国化が鮮明になったといったことも影響した。
これに対して、ドイツでは1959年末から翌年にかけてシナゴーグにナチのカギ十字が落書きされたりユダヤ人墓地や施設が荒らされる事件が起き、それを受けて60年に「民衆扇動罪」が導入された。さらに94年の改正で公の場で「ナチ支配下で行われた行為を是認し、その存在を否定し又は矮小化する者」を罰する規定が追加され、ホロコースト否定論を公の場で主張することが法的に禁止された。また、フランスでは1990年にゲソ法と呼ばれるホロコースト否定禁止法が制定され、ニュルンベルク裁判で定義された「人道に対する罪」の存在に異議を唱える者を処罰することになった。このようにヨーロッパではホロコーストを法的に禁止する流れができつつある、ここで問題になるのが「禁止されるのはホロコースト否定論だけなのか?」だという。つまり、西欧では国内の対立を煽らないために歴史修正主義の規制が行われたが、東欧でナチスより、スターリンなどソ連の圧政下にあったことから、共産主義の負の歴史の認定を求めて、ナチスの犯罪を西欧ほど問わない。歴史修正主義への対応は、歴史の問題ではなく、現代政治の問題として考えると一律に対することはできない。そこに、この問題の難しさがある。
そういう問題事態の難しさもあるが、当の日本では、ドイツのニュルンベルク裁判と同じように、極東軍事裁判に対するさまざまな政治的主張があり、ドイツ以上に複雑な歴史修正主義の問題があると思うが、それは、おおっぴらに問題として概観しにくいたろうな、それで著者はドイツの事例を取り上げたのだろと思う。
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