Led Zeppelin「Ⅱ」
なかなか気がつかないかもしれないが、微かに入っているロバート・プラントの乾いた笑から始まるのが象徴的。ジミー・ペイジのギターのコード・リフから名曲「胸いっぱいの愛を」に入っていく。メロディックなフレーズではなくリズミックなリフの反復に、ベース、ドラムスと楽器が重なって、塊になったところに、ロバート・プラントのボーカルのハイ・トーンで金属的なボーカルが高いところから降ってくるように入ってくる。これを大音量にしてヘッドフォンで聴くと、ロバート・プラントの声が脳の中の上下左右を縦横無尽に走り回るようなのだ。そこでは、歌詞の内容等は別に措いて、まるで“すべてが欲しい”“すべてを奪い取ってやる”というように、欲望を全肯定するように叫びはなっているかのようなのだ。まさに、この曲、この演奏が、すべての欲望を肯定するように煽っているように聞こえる。ある意味、この2枚目のアルバムで、すでに頂点に達してしまったと思えるのだ。
リフの反復がリズムを形成し、それがノリを生んでいく、この曲ではノリがハードな勢いを生んだ。それをスタイル(様式)として表面的に継承したのがハード・ロック=ヘビーメタルのルーツの一つになったと思う。ツェッペリン自身は、その様式化に陥るのを避けるためか、この同じようなスタイルのノリノリの曲に対しては、必ず曲の中でフェイクを入れたり、ノリを複合的にしたりして禁欲的な姿勢を崩さなかった。その後のバンドの挑戦は、迷走に見えるところもある。
ただし、アルバムを通して聴くと、この時点においても、レッド・ツェッペリンというバンドは必ずしもハード・ロックのバンドと決めつけることは早計だ。「レイン・ソング」は有名な「天国への階段」の先駆けともいえるドラマチックなバラードだし、「リビング・ラビング・メイド」は軽快なビート・ポップで、多様な音楽の方向性を持ち合わせていたのが分かる。そこには、ハードロックバンドではないツェッペリンの可能性も、ここではあったので、このアルバムがこれほど売れなければ、バンドの方向性は違ったものになったかもしれないと想像することもあるのだ。
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