細谷雄一編「世界史としての『大東亜戦争』」
1945年に日本が敗戦した戦争について、第2次世界大戦の一部ではあるが、日本の側からは、真珠湾攻撃に始まる日米戦争、主に東南アジアを戦場にした日英戦争、1937年に始まる日中戦争、そして1945年に始まる日ソ戦争という4つの戦争の複合戦争であるとしている。このような複合的な性質をもつ戦争であるということは国際戦争であったということにある。このような戦争を日本史や日米関係史に限定して捉える従来の見方から解放して幅広い国際史として見ようという試み。執筆者は国際政治や国際関係史の専門家たち。
そこで見えてくるのは、日本が戦争を行ったのは、軍部や右翼がリードして周囲を侵略した挙句太平洋に戦線を拡大したとか、あるいは英米列強による経済的包囲からの自衛のためにやむを得なかった、というような従来の見方とは異なった姿が見えてくる。それは欧米の国家が植民地を含めて版図をひろげ帝国となり、それぞれがプレイヤーとなって、駆け引きを繰り返すなかで、日本はしだいにおくれを取って、不利な状況で、それがゆえもあるが拙い選択(この拙い選択をしたのは「失敗の本質」で分析された体質的な要因もあるたろう)をし、それがまた不利に状況を招いてしまうというスパイラルに陥ってしまったという構図だ。例えば、日本のアメリカについて、黒船来航の頃のヨーロッパと比べると後進国で植民地侵略をしない国と認識をしていたが、アメリカは第1次世界大戦を境に大国となり覇権を握って帝国主義に変質していたことに気づかなかった。それが仏印進駐をしてしまうような楽天的な態度を招いてしまう。一方、そういう認識をしている日本を見ていたアメリカは日本を過小評価し、ハル・ノートのような理不尽な要求をしても日本はアメリカに戦争を仕掛けることはできないと見下すことになった。そのようなボタンのかけ違いが、いくつも重なっていった。
それは、80年前の日本だけでなく、現在の隣りの大国も同じように見えてくる。
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