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2022年10月20日 (木)

成田正人「なぜこれまでからこれからがわかるのか─デイヴィッド・ヒュームと哲学する」

11112_20221020205101  哲学入門という著作に何度騙されたことだろう。入門などといって、甘く見ていて、あとで手痛いしっぺ返しに遭う。却って入門の方が難しかったり、はじめから原典に挑んだ方がよかったりする。この著作も、最初は、丁寧で、かみくだいた叙述で、ゆったりのんびりと読み進めることができる。しかし、読み進めていくうちに、著者の方でも熱が入ってくるのが議論の展開でもわかるのだが、議論の密度が濃くなり、展開のスピードが上がってくる。しまいには、とんでもないところに連れていかれてしまう予感がひしひしと伝わってくる。しかし、読んでいる側としては、最初のゆったりペースに慣れてしまって、だんだん追いつくのが厳しくなって、私の場合は、途中で、おいてきぼりをくらってしまった感じだ。後半はついていけなくなった。しばらく間をおいて、もう一度、挑戦するのだ。ついていったところで、素晴らしい風景が広がっている予感がするのだ。
 われわれは、毎日、太陽が東から昇って西に沈むのを見ている。今日もそうだった。その経験からすれば、太陽は明日も東から昇り西に沈むと思うだろう。しかし、それは本当にそうなのか。もちろん、そう信じるのは間違いではない。しかし、だからといって常に太陽は東から昇って西に沈むという一般性のある法則を論理的に正当に導くことができるか。これは帰納ということの問題でもあるのだが、個別的な事実から普遍的な一般法則を導くことはできるのか。今日、太陽が東から昇って西に沈んだとしても、明日は100%太陽が東から昇って西に沈むということを論理的に正当に論証できるのか。論理的には確立の問題ということになろう。しかし、事実の経験として、われわれは明日も太陽が東から昇り西に沈むことは確実であって、それを疑うなんてバカバカしい。それは、たんに疑うということを知らない無知ということなどではなく、常識ということだ。では、その帰納ということは、いったいどういう仕組みなのか。これって、人が経験することで向き合う事実ということがどういうものか、ということ。ここで思ったのが、明日というか前に向いて投げかけるという言い方で人が向き合うのを表現した20世紀前半のドイツの哲学者に通じるのではないかと、ちょっと思ったりした。著者は論理的に証明するのではなくて、懐疑を方法的に用いるとか、ちょっと、どうすればいいの?ということをやろうとしているが、感じとしては分かる。それが、読んでいて形になって入ってこないのだ。これは、私の読みが届かないのだろうが、その届かないところが、今度読もうとする時の楽しみとして期待が残る。

 

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