立川武蔵「空の思想史─原始仏教から日本近代へ」
再読。7年ほど前に読んだ時は、あまり分からなかった。今回は、3分の1くらいまでは読めたのではないかと思う。
「空」という言葉を単独で取り上げると、現代では難解な概念と捉えられてしまう。しかし、もともと仏教はバラモンの教えを否定するものとして出現した。神は世界であり、しかも宇宙の根本原理はブラフマンと個々の人間のアートマンは本来同一のものであるとい絶対的な神の存在を認めるのがバラモンの教え(ウパニシャド)を釈迦は否定した。その否定が空と表現された。初期の仏教の実践は悟りを目指す修業ということになるが、具体的には煩悩といった修業には余計なものを捨てる、つまり否定することの実践となる。言い換えれば、俗世界の穢れから脱して聖なるものに移る。この俗の否定、つまり空だ。しかし、それだけで終わらない。修業は聖なるとこに行き着いて生まれかわった修行者は俗に戻る。それが仏教の特徴的なところで、否定を続けるだけなら虚無思想と変わらないことになる。たしかに、悟りを開いた釈迦は、必ずしも煩悩を批判はするが否定していない。俗→聖→俗、あるいは否定の行き着く先が肯定ということを言葉で矛盾なく説明しようとした思想的営為が「空」を難解な思想にしていった。と見えた。
仏教は中国に伝わると、「空」に道教の「無」が流れ込む。無とはさまざまなものが現われてくる根本であり、そこではそれぞれの形や働きは見られない。いわば存在とでも言える。しかし、そうなると絶対的なものを認めることになってしまう。そこで、難解なものが、さらに捻くれて、さらに難しくなった。
ただ、その空のもともとの始めのところに戻るように今を考えると、人が自分たちの生活のより一層の快適さや便利さを求めて、無制限に自分たちの力を尽くすことに疑問を投げかけるものである、言えるのではないか。
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