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2022年12月

2022年12月27日 (火)

ベアトリーチェ・ラナ「バッハのゴルドベルグ変奏曲」

11113_20221227211501  まず、アリアのかすかな弱音で柔らかく、そっと始まるのと、耳に優しく、弱音でもグレン・グールドのような尖った音に比べて、おやすみミュージックとして作曲されたこの曲の目的に沿っていると思う。しかし、この演奏の面白さは、左手で弾かれるバスの部分にあると思う。バスの部分が何かしら語りかけるように聞こえてきて、右手で弾かれるアリアのメロディより注意がそっちに向いてしまう。バスの落ち着いた低音で、動きの少ないパートが、独りごとの呟きを耳にするような、それで心が落ちくような、その一方で、右手のパートが繊細に弾かれていることもあって、メロディというより装飾的に聞こえる。次の第1変奏でも、バスのパートが短いフレーズを繰り返して躍動的なリズムを刻んでいくのだが、この人の演奏は、この繰り返しに変化を加えて、例えば最初は弱めの音で繰り返しのたびにだんだんと音量が増していく。そうすると、このリズミカルな変奏に劇的な要素が加わり、まるでベートーヴェンのソナタのスケルツォを聞いているような感じになる。全体として、バスの動きが生きいきとした息吹きのような印象となって、独特としかいえない抒情を聞き手に感じさせるものとなっていると思う。とはいってもロマンチックではない

2022年12月25日 (日)

國分功一郎「スピノザ─読む人の肖像」(7)~第6章 意識は何をなしうるか

 スピノザは『神学・政治論』の執筆による4年のブランクの後、『エチカ』の執筆を再開する。おそらく、この間に見直しが行われ、三部構成から五部構成に生まれ変わった。
 第4部は「人間の隷従あるいは感情の力」というタイトルがつけられ、感情に支配される人間の隷従に対して、逆にその感情の力がどのような力をもつかが考察される。
 第4部にだけ序言が付されていて、これはスピノザ的世界観を要約していると著者はいう。そこから見ていこう。まずは完全と不完全の概念からはじまる。完全というのは完成しているという意味で、これはある人が意図した目的が達成されたということで、そこには意図された目的が知られているという前提がある。ということは、目的が分からない場合は、完全不完全はありえない。そこで、人間は目的が分からない場合の欠落を埋めようとして一般的観念を生みだした。家ならばこう、塔ならばこうと同種のものをまとめた概念だ。この概念を充たすかどうかで完全不完全を言うことができるようになる。このように無理してでも目的を見出そうとするのは、人間にそういう衝動がある。例えば家を建てるということに、居住するという目的を当然置いてしまう。これは一般的観念のように、そういうものとされてしまっているものだ。実際にはさまざまな原因の連鎖が家を建てる目的になっているのだが、その連鎖を辿り切れないので、一般的観念のような目的を置いてしまう。しかし、家はそれ自体で見られるかぎりでは、私自身の身体とは独立して在るので、家自体は完全でも不完全でもない。善悪も同じように見ることができる。それ自体を見れば善とか悪とか決めつけることはできないが、人は決めつけてしまいがちなのだ。そういう議論を経た上で、スピノザは善を「我々の形成する人間本性の型にますます近づく手段になることを我々が覚知するもの」という。私が何かとうまく組み合わさり、それによって私の活動能力が増大するとき、その何かは私にとって善い、ということだ。誤解をおそれずに言うと、善と悪は活動能力の増減と言える。
 第4部には次のような定理がある。
 善および悪の認識は、我々に意識された限りにおける喜びあるいは悲しみの感情にほかならない。
 意識された限りの感情とは要するに意識のひとで、善と悪の認識は良心を指すので、この定理は良心と意識は同一であるという内容になる。これは、意識は善悪に中立な立場で両親を参照して行動を決めるということを否定し、意識は常に善悪いずれかの価値において世界を眺め行動を決定することになる。スピノザは、意識が超越的な審判者のような立場で善悪を判断し、そのための基準という一般的観念をつくる、ということをしない。実際の行動では、善と悪の間で揺れ動いて思い悩むのが一般的だ。良心とは変状の結果、つまり、「我々はあるものを善と判断するがゆえにそのものへと努力し、意欲し、欲望するのではなくて、反対にあるものへ努力し、意志し、衝動を感じ、欲望するがゆえにそりものを善と判断する」
 第5部は「知性の能力あるいは人間の自由について」、第4部で善悪というどういうものかが明らかになったので、オマケでないのかと必要性を疑う人もいる。
 意識の特徴は、原因について無知であり、何ごとをも目的において捉えようとするので、それゆえに善いか悪いかという価値で、つまり道徳的に受けとめる。身体の変状すなわち衝動を引き起こす無数の原因の連鎖を意識することは困難であるため、代わりに目的が置かれ、それが意識される。このような意識を第一種認識と位置付ける。第2部で展開された認識の三区分という認識論に基づく。第一種認識は意見とか表象とも呼ばれ、感覚から得られるものと記号から得られる知識の二面がある。前者は身体の変状の観念、つまり意識である。後者は言語による認識だ。このような第一種認識は虚偽の原因となる。これに対して第二種認識は共通概念と呼ばれる複数の物に適用可能な概念を基礎としている。これはある対象について妥当する法則だ。この認識の性格は真の認識であるという点だ。単にそれが真であるかだけではなく、真なるものと偽なるものとの区別自体を精神に教える。私が自分自身の身体からは独立して獲得する認識です。そして第三種認識は直観知で、神についての妥当な観念から個物の本質の妥当な観念に向かうものです。
 第三種認識としての意識は、身体の変状をただ受け取る静止した状態にあるのではなく、対象の間を経てめぐるようにして運動している。

2022年12月23日 (金)

前田雅之「古典と日本人─『古典的公共圏』の栄光と没落」

11112_20221223200001 現代の学校教育では「古文」とされている源氏物語や古今和歌集などの古典は、学生の間でも人気がないし、世間でも不要論が絶えない。そんななかで、古典を学ぶことに意味があるのかを考えようという著作。
 著者は、古典は、それを古典として成り立たせる古典的公共圏とともあるという。これは、ユルゲン・ハーバーマスの公共圏を参考にしたもの。簡単に言えば、人間の生活の中で、他人や社会と相互に関わりあいを持つ時間や空間、または制度的な空間と私的な空間の間に介在する領域のこと。つまり、古典とは社会の支配集団の中で文化的に共有されたなかで、作り出され、維持されたものだという。いわば、源氏物語など、それ自体によって古典になったというのではなく、文化圏のなかで古典とされたということになる。それでは、一般的な意味での古典、つまり、歴史という長い時間の中で人々の視線に耐え抜いて生き残った書物というのとは、少しズレる。そのズレを具体化させた古典の基準として、注釈や注釈書をもつ権威を有するものであることをあげている。
 源氏物語や古今和歌集は、それが書かれた平安時代には古典であったわけではなく、中世あたりに古典として成立し近世に定着したものだという。その先駆となったのは、藤原俊成という人物。彼は藤原定家の父で千載和歌集の撰者を務めた有名な歌人である。彼は、和歌を感じたこと、思ったことを表現するものではなく、和歌の歴史や伝統において、前代の和歌や本説を詠むもの。さらにそれを後代に繋いでいくものとして捉え直した。その典型的な技法が本歌取りである。例えば、和歌を詠む際に源氏物語を踏まえて、そのエピソードや物語の情感の上に、今、詠んでいる景色や感情が反映されるという。そこで、彼が典拠すべきものとして選んだのが源氏物語であり、伊勢物語であり、古今和歌集だった。この場合、歌を詠む者には、それらの知識がなければ詠めないし、それだけでなく、周囲の人々も知識がないと味わえない。そこで、人々は源氏物語を読んで、知識を共有することが必須となる。このようにして、源氏物語は古典となっていく。そして、必須となると、人々が源氏物語を知るために注釈が求められるようになる。藤原俊成は、自身の歌人のとしての権威を高めるために、他の歌人と差別化するために、和歌の新しい定義を提案したものが、結果として古典の成立に至ったことになる。実際、彼の子である藤原定家は、源氏物語などの古典の校訂を盛んに行い、異本の発生による乱れを正すことに努めた。
 おそらく中世になって、このようなことが行われるようになったのは、武士に政治の実権が移り、朝廷や貴族の権威を文化的な優位性を保とうとしたためと考えられる。権力と権威が分離し、権力を握った武士が権威にあやかるため固定公共圏に接近をはかろうとする。それで古典が権威となっていく、そこで和歌の古今伝授のような権威が形になっていく。一方、古典に近づくためのマニュアルでもある注釈のニーズが高まり、このニーズに応えたのが宗祇のような連歌師たち。近世になると古典の受け入れ層が拡大する。それは経済発展により町人が台頭し、印刷出版の発展に伴って、印刷された古典が広範囲に浸透する。この頃が古典の最盛期といっていい。しかし、明治維新の近代になると、富国強兵による近代化推進の役に立たないとして古典は顧みられなくなり、一方、四民平等社会で古典的公共圏が解体する。
 この著作で注目されるのは古典的公共圏という古典を古典たらしめるシステムを提示したことで、それがどのように成立し、成長して、近代に解体していったかという変遷を、従来の文学史の作者と作品が書かれたのを列記するのと別に、古典がどのように受容されてきたかを構造的に語ったところにある。
 ただし、最初の問いかけである古典を学ぶことの意味を問うということは、途中でどこかに飛んで行ってしまって、最後にとってつけたような回答をしている。そこだけ余計だと思う。現在で古典を学ぶことの意味と古典的公共圏は、どこで繋がってくるのかは説明されていないこともあって、その関係は分からない。かりに関係があるとしても、近代以降は古典的公共圏が解体してまったのだから、古典を学ぶ意味もなくなったということになると思う。つまり、この著作全体は、現在に古典を学ぶことに意味がないことを、そもそも古典とは何かから論証したものと私には読めてしまうのだ。

2022年12月22日 (木)

國分功一郎「スピノザ─読む人の肖像」(6)~第5章 契約の新しい概念

 スピノザは『エチカ』執筆の途中で、これを一時中断して『神学・政治論』を執筆し刊行する。これには事情があったようだが、ここでは『神学・政治論』を見ていく。ただ、『神学・政治論』の大胆な内容は、いわゆる行間を読むことで分かるような書き方になっていて、これは当時の社会情勢から慎重さを迫られていることもあるだろうが、読む人としてのスピノザが、自身の著作の著述にも反映している、言える。
『神学・政治論』の大部分は聖書の分析に充てられている。スピノザによれば、聖書が目指しているのは神への服従であり、実質的には隣人を愛することに尽きる。信仰とは神について何かを思うことであるが、単に何かを思うことではなく、それを知らないと神に従う気持ちが失われてしまうような内容を思うことである。信仰は服従という行いをもたらす限りで有効であり、行いから切り離されてしまえば意味がない。人が真に信仰を持っているかは、その人の行いからしか分からない。考えていることが他の信者たちとは違っていても、行いが良ければ信者なのだ。このような信仰の要点は次の7点だ。①神は存在しており、まともな生き方の手本となる。②神はただ一つである。③神はどこにも存在する。④神は至高の権利をもって万物を支配している。⑤神への崇拝や服従とは、もっぱら正義と隣人愛を内容としている。⑥神に従う人はみな救われる。⑦悔い改めるならば神はその人の罪を許す。
 このような聖書の読解は大胆といえるが、その始まりは迷信の批判であり、スピノザは聖書の読みに歴史の物語を見出す。スピノザを読んでいる対象の中に矛盾を見出すと、それを手がかりに整合的な解釈を提示してみせるのだが、ここでも預言や奇蹟も歴史物語の解釈というかたちで遂行される。それは単なる聖書の矛盾を批判するのではなく、潜在的な聖書の教えを導き出そうとする。例えば、創世記のアダムの林檎の話について、神が食べてはいけないと定めたということは、神が絶対であるならば、アダムが破ることは不可能なはずだ。そこでスピノザは、神は木の実を食べると災いが降りかかるとしただけだという。現代の「人を殺したものは罰せられる」という法律のようなことだという。信仰者各個人が、ひとつひとつの歴史物語を読む、というのがスピノザの聖書との向き合い方だ。各人が自分の理解力に合わせて自分なりの仕方で歴史物語を読むとき、その物語は読む人がそれぞれ自然に受け入れられる教えを与えられる。
 このような信仰の定義から、信仰は国家にとっては有益どころか欠かせないものであるとスピノザは言う。宗教については迷信と歴史物語と信仰の3項が核心だったのに対して、政治では法と権利と契約の3項が核心である。きまりには自然の必然性、つまり物事や人間の本質に基づく法則と合意による取決め、つまり人をある生活様式に縛りつけている約束事でこれに従うか否かは本人次第で、スピノザは前者を法、後者を権利と区別する。この両者について、スピノザの時代以降に明確に区分して認識されるようになった。それ以前は両者は一致していたので区分される必要がなかった。両者が区分されたことで明確に意識されるようになったのが自然権という考え方だ。この自然権の考え方からホッブスの社会契約という思想が生まれた。スピノザもこのことを否定しない。この契約は、これに従った方が利益が大きい、つまりより大きな善いことを得られるという。それが契約の履行ということになる。この契約の相手方である至高の権力は自然権を委託されたのだから、何をしてもよい。それが契約の履行になる。これは神への服従に重なる。ただし契約は、理性による利益計算で大きな善いことを得られないのであれば契約更新を拒否することができる。したがって、至高の権力が理不尽にことを行なうことについて規制することとなっている。

2022年12月21日 (水)

國分功一郎「スピノザ─読む人の肖像」(5)~第4章 人間の本質としての意識

 『エチカ』第1部は総合的方法により神の観念を構築した。著者は、このまま宇宙や自然に著述をすすめれば物理学になっただろうと想像する。しかし、スピノザが目指したのは倫理学であった。スピノザの考える倫理学とは、人間精神の何たるか、その最高の幸福の何たるかを教えてくれるものだ。第2部から、そういう方向に傾いていく。その論述の立脚点となるのが次の定理であると、著者は指摘する。
観念の秩序および連結は物の秩序および連結と同一である。
 これは、第1部の総合的方法により導き出された神(実体)の観念に基礎づけられた定理だ。この実体(神)は複数(無限に多くの)の属性を持っていて、そのそれぞれが完結したリアリティを構成している。一つの唯一的実体はそれが有する各々の属性において存在している。したがって、恣意の属性の観念の秩序と延長の属性の延長の秩序は同じだということになる。これが思考と存在の同一性であり、並行論と呼ばれる。
 第2部は「精神の本性および起源について」というタイトルからも分かるとおり精神を主に論じている。スピノザは精神を身体との関係で捉えていて3つの原理を定理として述べる。第1は、あらゆる存在には、人間に限らず、それに対応する観念がその存在の精神として存在しているということ。第2および第3は、人間精神は身体を対象とする観念であり、この観念の対象である身体に起こるすべてのことが精神によって知覚されるということだ。ところで、身体というのは本性を異にする多くの個体から組織されているという複雑なもので、同時に多くの動きをなし、また働きを受けることができる。このような複雑さは精神の複雑さの根拠になるとスピノザは見ている。人間精神とは身体の観念であるわけだが、このような複雑な身体を精神は最初からすべて知る(認識する)ことはできない。人間が身体の観念を有するのは、例えば腕が何かにぶつかれば刺激がある。指が動くだけで筋肉に刺激がある。そのような身体に差異(これをスピノザは変状という)が生じるという経験の積み重ねの中で次第に身体を認識していく。つまり、精神が身体について認識するのは身体に起こることだけである。さらに、精神は身体の観念であるということは、認識から進んで、身体の変状を認識した観念についての観念であるので、認識とはべつだという。観念の対象である身体に起こるすべてのことが精神によって知覚されると精神は身体をすべて認識しないということについて、身体の変状とは身体が何らかの刺激を受けて、一定の形態や性質を帯びることだが、その際、身体がどのように変状するかは、身体の特徴と与えられた刺激の特徴によって変わってくる。精神が、身体のみならず外部からの刺激の特徴をすべて認識はできない。精神に与えられるのは変状という結果だけだからだ。そのことからスピノザは自由意志の否定というテーゼを導き出す。精神は変状という結果のみを認識できるが原因は認識しきれない。それで、どうして自由に意志により変状を起こすことができるのか、というのだ。意志という変状の後付けの説明のようなものだということになる。このように意志を認識するのが意識というものだとスピノザは言う。だから意識には転倒、ある意味では虚偽が内包されている。
 意識については第3部で本格的に論じられるので、第3部を見ていこう。第3部は「感情の起源および本性について」とタイトルされていて、倫理という言葉が示している人間に生き方について、望ましいあり方の一端が示される。
 感情とは身体の変状であり、また同時にその観念である。例えば怒りという感情は精神のなかの怒りの観念としても、身体上の反応としても考えることができるが、それらは同一物が異なる秩序において、異なる質として表現される。一定の状態にある身体に何らかの刺激が与えられる。それは太陽光のような外的で物理的なものでもよいし、精神の中で描かれるある人物の表象でもよいが、その刺激が身体に変化をもたらす。つまり、身体を変状させる。ところで、人間の身体は一人一人異なる。同じ人間でも、時と場合により刺激の受け方は異なる。それについて、スピノザは各々の人間の身体には固有の力が作用していて、その力と刺激の組み合わせが身体に次々に変状をもたらし、感情が変化すると表現する。この力をコナトゥスと呼ぶ。スピノザは、このコナトゥスが本質であるという。これは従来の形相のような本質の概念とは違う独自のものだ。そうなると、力としての本質の概念はそれぞれの個体がもつ特性への注目を求める。コナトゥスは刺激に応じて変状をもたらすのだから、個体の特性は変状する力の違いということになる。
 さらに、人間のコナトゥスには、もう一つ考慮しなければならないことがある。それは人間精神が自己のコナトゥスを意識しているという点である。コナトゥスは精神のみに関係する時は意志と呼ばれ、精神と身体に関係する時には衝動と呼ばれる。この衝動が意識されている場合は、つまり意識を伴った衝動は欲望と呼ばれる。欲望が人間の本質として位置づけられる。人間とは自らを突き動かす力を意識しているものなのだ。
 これまでの準備の上で、倫理、つまり、人間の生が目指すべき方向が見え始める。それが能動性ということだ。能動とは、自らがある出来事あるいは行為の妥当な原因であるときに能動であるという。妥当な原因とは、我々自らの本性により理解されうる。つまり、自らが自らの行為の原因になっている。これは、総合的方法についての論述に重なるではないか。

2022年12月20日 (火)

篠田英朗「集団的自衛権で日本は守られる─なぜ『合憲』なのか」

11112_20221220214501  以前に読んだ『集団的自衛権の思想史』の著者による新著。基本的なところは、前著と変わらないが、ロシアによるウクライナ侵攻が起こった今、NATOという集団的自衛権を共有していないウクライナは侵攻を受けて、NATOに加入していたポーランドやバルト三国は受けなかった。そこに集団的自衛権のありがたさが改めて明らかになったとして、本書の執筆の動機となったという。
 そもそも近代のヨーロッパは列強と呼ばれる大国が主権国家とみなされ、そういう国々は自分で自分の国を守るものとされた。明治維新の日本が、そういう国々に一人前の国家として認められるためにいかに苦労したかということだ。国際社会は、そういう主権国家のバランス・オブ・パワーで成り立っていた。今のロシアが日本をアメリカの傘下にあるから自立した国家とみなさないのと同じだ。その場合に、国の防衛は個別的であるのは当たり前だった。これに対して、アメリカ合衆国がイギリスからら独立したのは、「代表なき所に課税なし」といった13のステイト、つまり国家がジョージ・ワシントンの司令部のもとに共同で独立戦争を戦った結果だった。この共同してイギリスから防衛したというのが集団的自衛のルーツとなったという。これはヨーロッパのバランス・オブ・パワーとは一線を画すものであった。なぜなら、単独では守れないイギリスとの戦いを13の小国家が集団となって戦ったからだ。そこから、小国が協力し合って集団となれば、強国から攻められても、自国を守ることができる。これは、ヨーロッパの大国にとっては都合が悪い。そこで、ヨーロッパの大国から集団的自衛をする小国を守るために不干渉を宣言したのが、合衆国のモンロー宣言だったという。これは、教科書で習ったモンロー宣言の意味とは違う。これは、ヨーロッパにとって都合の悪いこととなるので、ヨーロッパの学者は都合のよいように読み替えて、それを日本の学者が学んだからだという。今でも、憲法学者などには、その傾向が強く残り(ドイツ国法学の影響)、そのため集団的自衛権がどういうものかを理解していないという。日本がアメリカと安保条約で繋がっているのは集団的自衛権そのものなのだから。集団的自衛権を憲法違反とする解釈には、だから最初から無理があった。
第2次世界大戦は大日本帝国のポツダム宣言受諾をもって終わったとされ、日本の無条件降伏と言われている。しかし、ポツダム宣言は無条件降伏を要求したものではなく、降伏の条件を列挙した文書であった。9月2日に戦艦ミズーリで調印されたのは条約締結と同じ契約行為で、そこには日本の降伏の条件が決められていた。日本軍を武装解除し解体するのは、その条件の一つで、これは日本軍が違法な戦争を行った組織だったからだ。一方、連合国はポツダム宣言の内容の履行として日本の占領を進めなくてはならなかった。それは、日本に平和的傾向を有しかつ責任ある政府を樹立することだった。日本の占領は、このような政府が樹立されたことで終了し、サンフランシスコ講和条約で日本政府が平和的傾向を有しかつ責任ある政府であると認められた。このような敗戦後の占領の意味づけは、無条件降伏による屈辱とみる右翼や戦後の民主主義と平和の始まりとみる左翼とも違う、新たな視点だと思う。たしかに、右翼にも左翼にも、どこかに無理があるが、この視点には無理がないと思う。この視点に従えば、平和的傾向を有しかつ責任ある政府が認められた時点で、占領軍が日本から撤退し、日本が軍隊を持つことはできた。そこで、米軍が駐留を続け、日本軍を作らなかったのは政策的判断だったという。なお、押付け憲法を主張する人々はアメリカから戦力不所持を押し付けられたと説明するが、マッカーサーは占領終了後は日本が再軍備することは認めていたという。日本国憲法の平和条項の平和主義は1914年の戦争を違法行為とする不戦条約に由来するものだが、実際のとこ不戦条約を締結し批准した国には、みな軍隊がある。右翼は日本は皇国で世界の中で特別の存在であるという意識から、左翼は戦前の軍隊へのルサンチマンから軍備を持たない平和国家であると主張するのは同じ穴のムジナである。自国は守るが、自国と密接な関係にある他国は見捨てていいというのが一国平和主義。これも同じように戦前の独善的なものを継承している。と著者は言う。また、この一国平和主義での集団的自衛権は、前述のモンロー宣言に由来する集団的自衛権とは意味が違う別物で、最初から違憲な形態としてつくられた概念で、ここにもガリバーとしての日本があるという。
 全体に、著者の書きようが挑発的で、同じ論述が何度も現われるなど、論理展開が整理されていないとこが感じられる。そこが、陰謀論の誤解を受けてしまうかもしれないと思うが、上述の内容は戦後の見方として、とても新鮮に思う。

國分功一郎「スピノザ─読む人の肖像」(4)~第3章 総合的方法の完成

 これまで、スピノザはデカルトの分析的方法に対して総合的方法を提示し、前章では、そのための準備をみてきた、そして『エチカ』の神の観念を扱った冒頭部分で総合的方法の基礎を完成させた。少々煩雑になるが、著者はそのプロセスを見ていく。
 『エチカ』の冒頭は8つの定義が提示されるが、これは『知性改造論』が定式化した発生的定義とは違って見える。これらは、神が到達すべきものとして置かれていて、発生的定義は然るべき手順を踏んで構築されなければならない到達点であるが、この定義は、そのような発生的定義の獲得を目指す出発点にあたる。この定義に用いた論述のルールを、続く公理が示したのち、定理が提示されて、論証に入る。ただし、神についての論証は定理11から始まる。この場合の証明とは、定義あるは観念から対象の諸々の特質を導き出す作業で、対象が然るべき仕方で定義されると、その定義から対象のすべての特質が導き出されるという総合的方法が具体的に実行される。しかし、それ以前の定理10までの、定理11から始まる論証の準備としてあるもので、定理11以降とはあり方を異にする。つまり、帰結すなわち特性から遡るように組織されていて、遡行的性格があり、神を出発点とする証明とは異なる手続きに基づいている。これらの定理は、①名目的な定義を用いた一種の背理法を用い、②実体と属性を巡る仮定を扱いながら、③帰結より遡る遡行的な仕方で神すなわち実体の発生的な定義へと辿り着く、その後の定理11以降の証明が神からの無限に多くの事物や観念の発生を辿るものだとすれば、これらの定理はその発生の根源に向かって遡行しながら、その成り立ちを分析するものとなっている。と著者は指摘する。これは、帰結を論理的に分析することで原理に辿り着こうとする点で、デカルトの分析的手法に似ている。こちらは原因から結果へと進む総合的方法の出発点を獲得するための手続きであり、つまり、総合的手法は分析的手法を準備の過程として含み込んでしまっている、と言うことができる。著者は、これがスピノザによるデカルトの脱構築だという。そして、総合的手法の準備は、ここで整った。
 このようにして、論述は神の観念を提示し、その存在を肯定する定理11へと至る。この定理は定理1~8でなされた実体の構成要素としての実体的属性の諸規定と定理9~10のそれらを統合する原理としての複数の属性を持つ唯一の実体の規定、この両者の総合として現われる。ここから神の存在構成を明確にする仕方で、その存在の証明が始まる。
 そして、神の観念からは無限に多くのものが無限に多くの仕方で生じる。このように生じたものこそが、実際に自然を構成している諸々の個別なのだ。総合的方法の出発点として得られた神の観念から、神は無限である。無限ということは外部がない。これに対して人間などの神以外の存在者には外部がある。有限な存在者は外部から影響を受ける。人間は空間的には外部環境から影響を受けているし、時間的には生まれたのは生まれる前があったからである。神には、そのようなことはありえず、自身以外から影響を受けることはない。だから、神が存在する法則は不変である。すべて在るものは神のうちにある。したがって、在る者の法則、例えば自然科学の法則は不変であり続ける。

2022年12月16日 (金)

黙食はよくないことか?

 ウィルス対策で学校の昼食が黙食を続けていることについて、食事の楽しさとかマナー、あるいは食育などの面から批判があったり、子供はかわいそうという意見があるようだ。食事について、このように言われるようになったのは、いつからだろう。私の小学校の頃、給食で言われたのは、好き嫌いすることなく、残さず食べるだった。むしろ、食事中にお喋りしていると、だって食べろと言われたことを覚えている。私の親の世代にそういうところがあったが、戦争中や戦後の食糧事情が悪い時期を経験していて、食べること自体がありがたいということを言われた。話の中で兄弟で奪い合うようにものを食べた。その時に会話などしていたら、食べ物を奪われてしまう。そのことをもっともらしく言うと、食べ物は尊いものだから、会話などよそ見をするのは失礼で、食べることに集中すべきだ、ということになる。食事中にお喋りしていると、唾がとぶから、汚いとも言われた。
 話は変わるが、以前は食事で喜ばしいのはおいしいのは第一ではなかった、それより大事だったのは満腹すること。だから、ごちそうというのは美味しいものより、沢山食べさせてくれることだったと思う。キリスト教の7つの大罪は暴食で過度に食べることで美味を追求するものではない、ということは、食べることの贅沢においしいはなかったからだ。
 楽しく、美味しく食事するというのは、ある意味で、食べることそのものについて二次的なもので、そこに頽廃的なものを感じ取ることも可能で、豊かさがその前提にあることは忘れてはいけないと思う。

2022年12月15日 (木)

國分功一郎「スピノザ─読む人の肖像」(3)~第2章 準備の問題

 前章でスピノザは、デカルトが分析的方法を重視したのに対して、スピノザは総合的方法の゜実現を目指していることを明らかにした。ただし、スピノザは総合的方法には準備が必要であるという。そこで、準備という観点から『知性改善論』と『短論文』を読んでいく。
 著者は『知性改善論』は何らかの本論を準備する方法論として書かれ、そこには準備をめぐるスピノザの考えを読み取ることができると指摘する。そこで論じられている準備とは、総合的方法の出発点となる原因の認識にたどり着いて、そこからうまく論述を進めていくための支度だ。この準備を行うためには、準備を間違えないものとするためのもう一つの別の準備必要になる。つまり、あることをうまく準備するためには、準備をうまく行うための準備が必要になるということだ。すると、空に、そのための準備が必要となる。というように準備のだめの準備が無限に繰り返されるという無限遡行が発生する。これでは、いつまでたっても準備が完了しない。これは方法の探究にも同じことが言えるのだが。
 そして、スピノザは方法に置き換えて、無限遡行をいかに回避するかを検討していく。そのために3つの形象に言及する。ひとつめは「道具」であり、道具を用いるには、道具を作る道具が必要という無限遡行に陥るのだが、スピノザは単に無駄だといって深く言及しない。二つ目は「標識」である。確実な知を得るためには、それに照らせば知が確実であることを確認できる標識が必要で、デカルトなら明晰判明という基準を提示した。その場合、標識が真の標識であることを確認するための標識が必要になるという無限遡行に陥る。それに対して、スピノザは「知るためには知っていることを知る必要はない」ということを言う。確かな知を求めるなかで、それに照らせば確かであると確認できる標識を求めていたとしたら、実のところ、確実に知るために自分の知っていることを知ろうとしていた。つまり、既に得ている知識を標識に照らして確実であることを確かめようとしていた。スピノザの「知るためには知っていることを知る必要はない」には知ることにとっての標識はあり得ないことを示している。それは、認識の外側に真理の基準を設けることはできないということである。認識が真であるということは、認識することそのものの内部で、認識すると同時に確かめられるべきことなのである。すなわち、真の観念の保証とは真の観念を持つことそのものである。それが意味していることは、真理であること確かであることを人が知るのは、ただ、その人が自ら、真の認識、確実な観念を得た時だけで、それを他者に自分は真実を知っていることを証明することはできない。そうなると、標識は意味をなさないので無限遡行は発生しない。三つめは「道」だ。観念が適切な順序で獲得されていく道である。これも正しい方法を獲得するための方法という無限遡行に陥ってしまう。スピノザは、然るべき出発点から、然るべき順序で観念が導き出されて行くならば観念を獲得していく行為それ自体が、観念の獲得を指導し、制御していくという。真である保証は観念の獲得そのものに内在しているので、あらかじめとられた方法が正しいからではない。道は隔年の獲得の前にあらかじめ存在するものではなく、観念を導き出す行為と一体のものなのだという。それは、こういうイメージだ。つまり、それ自体真である観念から別の諸々の観念が導き出され、それらの真であることが次々に理解されて行く、そのような連鎖が「道」であるということだ。
このような方法は、単に観念を獲得するためのものであるだけでなく、それを真であると理解する方法である。スピノザは、それを反省的認識と呼ぶ。だから、物事を理解することは、結果として自己の能力の認識をもたらすことになる。そうなると、問題はどうすれば、この方法が実現するかだ。問題は二つあり、一つ目は出発点である真の観念はどのように得られるか。このように、この章の問題に戻る。すなわち、総合的方法が出発点とすべき原理である。そこで著者が持ち出すのがこの原理に向かうための出発点としての定義の問題である。定義は然るべき仕方で形成されたとき、その対象の本質そのものを描き出す観念となる。その場合定義は事物の内的本質を明らかにするものである。例えば、円の定義は中心から円周に引かれた距離が等しい図形というのではなく、一方の端が固定されて他方の橋が運動する線分によって描かれた図形ということになる。事物の内的本質を明らかにする定義とは、線分の運動という円を描くという円という図形の発生そのものを描き出す定義なのだ。このような定義は「道」を含んだものと言える。 
 ここに大きな難点が見つかる。このような方法とか真理の獲得は一般的なものでなく、各個人が自らの経験として獲得するものだ。それを一般化しようとしても無理がある。そのへんところは『エチカ』を待たねばならない。
次に著者は『短論文』を取り上げる。そこで著者は神の証明について、デカルトとスピノザとの違いを分析する。そこから認識という行為は外部の刺激により発動される受動的なものだということを指摘する。

2022年12月14日 (水)

千々和泰明「戦後日本の安全保障─日米同盟、憲法9条からNSCまで」

11112_20221215161401  戦後日本の安全保障政策について、日本の平和だけを、周辺や世界がどうであっても、自らの手を汚さずに守るということによって世界の現実とズレてしまったこと、一度その場しのぎのありあわせで作った仕組みが、後も残り、情勢変化の中で独自な意味を持ってしまい、逆にその仕組みに縛られるようになってしまった、という特徴を明らかにする。これを読むと、政治や防衛のリーダーたちや、野党やマスコミあるいは憲法学者たちが、いかに原理や戦略的な思考を放棄し、無定見に情況に流されてきたかが分かる。著者は、戦後の安全保障のキーとなる日米安全保障条約、憲法第9条、防衛大綱、ガイドライン、NSCをとりあげる。
 端的に言うと、日米安保条約は、もしもの時にアメリカは日本を守り、その代わりに日本はアメリカに基地を提供するというもの。アメリカがこの条約を締結したのは、日本に二度と愚かな戦争をさせないためとどこかで聞いたことがあるが、そんなことはなく、日本の敗戦により東アジアの覇権が空白になってしまい、そこにソ連が付け込まないように極東にNATOのような体制をつくろうとした一環だったという。そのため、日米安保は韓国や台湾などとセットで、いわば集団防衛体制で考えられていたものだった。そこに日米のズレがあった。それが表われているのが極東条項という日本に駐留するアメリカ軍は極東の平和と安全に寄与するという内容で、冒頭に示した条約の内容と矛盾するばかりでなく、戦後の日本の防衛の原則である一国平和体制、個別的防衛に反する。そこで、日本政府は、そのボロを隠すために無理を重ねた。
 憲法第9条はどうだろうか。憲法第9条成立の背景についての一般的なイメージは、戦後の日本人が抱いた二度と悲惨な戦争を繰り返さないという決意と、戦後の平和国家への希望というものだろう。しかし、憲法に戦力不所持を条文として明記した直接の理由は、アメリカの占領政策として日本軍国主義を戦争の元凶とみなし、その根絶が必要と考えていた。そのために天皇制廃止が真っ先に考えられた。日本側は国体護持は必須だとして、それに代わるものとして戦力不所持により軍国主義が解体されるというバーター取引が採用されたのだったという。現実的には、ソ連の侵攻があったときには沖縄を核兵器を備えた要塞として備えた(沖縄の基地問題はここに淵源する)。そして、憲法第9条の解釈として知られる集団的自衛権については、警察予備隊から自衛隊となって軍隊としての体裁に変わったときに、憲法の戦力不所持に違反するのでしないかという批判に、「自衛のための必要最小限」という説明で答えようとしたが、最小限では曖昧で基準がはっきりしない。その説明として集団的自衛権と個別的自衛権という説明だった。つまり、集団的自衛権が違憲だという独立した解釈というよりも自衛隊が合憲であるというための理屈として作られたものだった。そもそも、集団的自衛権と個別的自衛権の違いは、一国で防衛するか二カ国以上で防衛するかの違いでしかなく、例えばNATO条項では締結した国に対する攻撃に全締結国が対抗するというもの。それを、日本が直接攻撃されていないにもかかわらず武力を行使すると言い換えて、あたかも自発的な攻撃をするかのように見せて、自衛隊はそんなことはしないから専守防衛の範囲内だと見えてくる。当時の日本はアメリカに守ってもらうしかなく、日本の防衛力で自衛権を行使することなど考えもできなかったので、このような解釈をしても政策上の実害はなかった。だから、集団的自衛権の行使が立憲主義に反するという議論はピント外れであると著者は言う。
 いま、政権で防衛計画の大綱の見直しを進めようとしていることがニュースで大きく取り上げられている。この防衛大綱は日本の防衛の基本方針のように一般に考えられている。しかし、自衛隊の最初から防衛大綱が作られていたわけではない。防衛大綱は5か年防衛力整備計画(通称「○次防」)を防衛庁が作りたくないので、その代わりとして作られるようになったものだ。「○次防」は防衛力整備のために5年で総額いくら費やすという計画で、提出すると大蔵省(いまの財務省)にボロボロにされ、5年計画といっても予算は毎年のことなので、毎年の予算折衝で計画を無視されたかのように予算を削られた。防衛庁では、そういう苦い経験を避けるために防衛大綱が作られるようになった。「○次防」との大きな違いは、「○次防」が脅威論、つまりソ連が攻めてきたときに国民を守るための備えという考え方で防衛力を整えるというものだったが、冷戦が終わってデタント、その後のソ連の崩壊となるにしたがって、ソ連は脅威でなくなっていった。脅威がなければ防衛力はいらないということになってしまう。そこで、代わりに基礎的防衛力という日本の防衛として常にこれだけは備えなければならない。そして、防衛力整備は5年という中途半端な期間でなく長期的なものだというのが防衛大綱で、予算請求の際に5か年計画という縛りがなくなり、脅威がなくなっても予算請求できる。それが防衛大綱だった。
 日米安保条約の下での具体的な防衛協力について定めたガイドラインをめぐっては日米同盟における指揮権のあり方が両国で見解が相違して、日米で並立するという統一的な行動がとれない(日米のそれぞれの軍がそれぞれに指揮をとる?)ことになっている。
 最後にNSCが安全保障の司令塔ともいえるのに、複雑というより煩雑で、必ずしも合理的に設計されたものではなく、緊急時の対応が間に合わないのではないか、という危惧を抱かされる。それは文民統制確保のための慎重審議という吉田首相とその反対勢力の間の確執の末に駆け引きと妥協の結果である内閣安全保障機構の設置趣旨に影響されている。
 このように戦後日本の安全保障の仕組みは、戦後のゼロからのスタートから、先々を見通し、脈絡をつけた上で合理的に組み立てられたものではなかった。
 歴史の裏話の蘊蓄で、「実は・・・」という話は興味本位で歴史小説のネタになったりするが、こういう内部的な視点で見えてくるのは、身も蓋もないもので、でもその反面で「こんなものかもしれない」と諦めにも似た思いにとらわれることもある。考えてみれば、会社での仕事の決まりといったものはルールとなったりしているが、もとをたどれば、案外似たようなものではないか思うので、この著作に書かれたことに限られるわけでもなく、歴史もそうなものかもしれない。冷静な視線は必要だと思う。

 

2022年12月12日 (月)

ジョージ・A・アカロフ/ロバート・J・シラー「アニマルスピリット─人間の心理がマクロ経済を動かす」

11112_20221212213201  経済システムを動かしているのは「見えざる手」のような相互の利益になる取引なら何でも応じるというような合理的な経済動機だけではなく、それ以外の考え方や感情を律する思考パターン、つまり、アニマルスピリットなのだ、という主張。例えば、アダム・スミスは人々が合理的に自分の経済利益を追求するという前提で経済理論を構築した。そこでは、人々は経済以外の動機でも行動しているという事実が考慮されていない。つまり、不合理だったり、時には誤ったりすることは考えない。ところで、アニマルという言葉はラテン語の用法では「心の」とか「活気をもたらす」という意味で、基本的な心的エネルギーや生命力を表わす。このことから経済学では、経済の中で不穏で首尾一貫しない要素、人々が曖昧さや不確実性に対峙する時の関係を表わす。それは、人々を麻痺させたり誤らせることもあれば、リフレッシュして新たな活力を与えてくれるものでもある。
 アニマルスピリットがどういうものかとして、著者が、第一にあげるのは「安心」。経済学者は安心を均衡という意味合い、つまり合理的な予測に基づく合理的な意思決定として捉えているが、一般的には信頼とか完全に信じるという意味で、経済学者は信頼の部分を考慮していない。人が合理的な意思決定をしても、その通りに行動するとは限らない。この根底には信頼とか安心がある。それが崩れたとき、人々は不合理な行動、例えばパニックに走る。逆に信頼は、合理的な範囲を超えて信じることもある。
 また、「公平」も重要だ。経済学者は、例えば交換において交換される価値が公平ということを考える。しかし、実際の交換の場では、主観的な評価、例えば取引する双方の社会的地位が高いか低いかといったことも含まれる。取引の一方が投入するものが相手の産出する価値と等しいとしても、双方の地位が同じでなければ、低い地位の人には等しいと受け取れない。この場合、等しくするためには、高い地位の人より多くを提供しなければならない。
 次に「腐敗と背信」がある。経済的な変動の原因を腐敗の普及度とその容認度の変化にも求めることができる。著者は事例として2001年のエンロン事件や2007年のサブプライム危機をあげる。人々が薬に喜んで金を払うなら企業は薬を売る。でも、偽薬にお金を払うのなら、それを売る。それは資本主義経済が人々が本当に必要とするもの自動的に作りだしてはくれず、人々が必要だと思ったものを作るから、そういう欺瞞を自動的に妨げることはできない。
 そして、「貨幣錯覚」。例えば、賃金が増額となっても、物価がそれ以上に値上がりしたら、実質的に賃金が目減りしたという、実質賃金の減少を名目賃金の増加で賃金上昇と考えてしまうことだ。しかし、経済学では、合理的な行動には貨幣錯覚などなく、価格格付けや賃金決定は、費用や価格にのみ影響されると考える。
 このような事例をみていくと、アニマルスピリットは合理的に最適な選択をするのを邪魔するもので、そんなものがあるから人間は合理的になりきれない、たとえば、額面の価値に捉われず実質的な真実の価値をちゃんと認識しない、そういう実例を著者は提示する。著者は、そのような指摘で経済学を批判した。しかし、そのアニマルスピリットをどのように経済学に取り入れて理論化するという提案まではしていない。どこか批判のための批判という印象を拭いえない。

 

2022年12月11日 (日)

國分功一郎「スピノザ─読む人の肖像」(2)~第1章 読む人としての哲学者

 著者はスピノザを徹底して読む人であった、と最初に定義する。彼は、自らが受け取った知識を批判的に検討し、そこに矛盾を見出すと、その矛盾を手がかりにして整合的な解釈や考え方を作り出すことができた。彼は幼いころから青書についての徹底した教育を受けたが、その教えに対して距離を取り、批判的に検討し、その中にある矛盾を手がかりにして、整合的な解釈や自らの考え方を組み立てたのだった。そして、聖書を別にすれば、彼が最も力を注いで呼んだのはデカルトの哲学だった。それゆえ、著者はスピノザ哲学の出発点を『デカルトの哲学原理』に示されたデカルト読解に求める。
 デカルトといえば「コギト命題」、つまり、「私は考える、故に私は存在する」という第一原理である。スピノザは、この第一原理を取り上げ、根本的な矛盾を指摘する。「コギト命題」は第一原理であるから、この前提となる命題はありえない。しかし、「私は考える、故に私は存在する」という文章を見ると、結論を導くための「故に」という接続詞によって二つの節「私は考える」と「私は存在する」がつながれている。これは三段論法のかたちで、別の命題が隠されている。これはどういうことか、三段論法とは、「すべての人は死ぬ」(大前提)、「ソクラテスは人間である」(小前提)、「故にソクラテスは死ぬ」(結論)という形をとる。「コギトの命題」の二つの節は、三段論法の小前提と結論そのものだ。したがって、大前提「考えるためには存在しなければならない」とか「考える者は存在している」があるはずで、デカルトはそれを隠していると、スピノザは指摘する。しかし、スピノザは、このことでデカルトを批判し、拒絶しているのではなく解説している。つまり、整合的にデカルトを解釈しようとしている。そこで、スピノザは「コギト命題」を大胆に書き換える。「故に」という接続詞があるから三段論法になってしまうからだとして、「故に」を取り去り、「私は考えつつ存在する」と書き換えたのだった。
 ところで、デカルトの方法的懐疑について、デカルトは明証性を追求するために有効な手段として方法的懐疑を選択したのではなく、好むと好まざるとにかかわらず懐疑の泥沼に足を踏み入れてしまい、そこから抜け出そうして「コギト命題」に出会ったのがほんとうのところだという。だから、第一原理を発見した後も、デカルトは懐疑に囚われて論証を脱線させてしまいがちになる。スピノザのデカルト解釈は、そのたびに明証的な論証に戻すための解釈を施してゆくのだった。その際、スピノザは自分の思想にしたがってデカルトを書き換えようとしたのではなく、あくまでもデカルト哲学のなかの矛盾を論理的に指摘したのだ。
 スピノザは「コギト命題」を書き換えたことによって、三段論法の命題から確かな事実に変わった。それにしたがって、第一原理からの論証を進める方法も、デカルトは分析的方法を重視したが、スピノザは総合的手法をとるべきだと考えたのだった。分析的手法は結果を分析して原因に至るという方法で、デカルトの哲学的方法は、原因についての認識をする以前に、まず結果についての認識を有している。例えば、私は、私が存在していることの原因を知るよりも前に、自分が考えるものとして存在していることを知る。原因を明晰判明に認識するためには、まず、自分がその中にいる結果を明晰判明に認識しなければならないというのである。これは、スピノザから見れば、それでは、私が存在しているという第一原理から公理がどのように発生するか、それは哲学体系がどのように発生するかが明らかにされないことになる。そういう、結果の分析からでは原因の真の認識は得られないのであって、それよりも、原因を認識し、そこから結果へと進む総合的認識こそが哲学的方法であると考える。このようにして、スピノザはデカルトを読みながら、哲学体の向かうべき方向とそれが従うべき方向を見定めていった、と著者は指摘する。

2022年12月 9日 (金)

國分功一郎「スピノザ─読む人の肖像」

11112_20221209214801  西洋哲学史のなかで流派とか学統といった山脈から離れた、独立峰のような哲学者が何人かいる。20世紀ではウィトゲンシュタインがそうだろうし、スピノザも、その一人だと思う。伝記をみても師匠の姿は見えず、学校で学んだわけでもない。独学だったのではないか。それだけでなく、スピノザの哲学は異例性としか呼びようのない不思議な独自性を備えている。
 この著作のサブタイトルにあるように、著者はスピノザを読む人として提示する。彼は読み取ったものを批判的に検討し、そこに矛盾を見出すや、その矛盾を手がかりにして整合的な解釈や自らの考え方を組み立てようとした。彼が最も力を注いで読んだのはデカルトだったが、その読み込みのなかで不徹底や矛盾を見出し、そこから哲学体系の潜在的なもの、明るみに出なかった構造を取り出すようにして、自らの哲学を構築した。
 著者は、スピノザの著作をとあげて、彼がデカルトの矛盾をどのように見いだし、それを整合的にしていくことでデカルトの命題を書き換えていき、そこから彼自身の哲学を組み立てていったかを具体的に示していく。それを追いかけていくと、そんなことに気づいてしまうのか!という驚きを禁じ得ない。
 これは、スピノザが自身の哲学を表わそうとするときに、従来の概念、例えば、精神と身体とか意識とか善と悪とか、が独自の意味内容となって、読む人に徹底的に言葉の意味を読み込むことを通して、読む人のものの見方を転換させようとさせる。新書で400ページというボリュームで、伝記などの人物紹介は最小限にして、ほとんどがテキスト読解に費やされ、具体的内容は盛りだくさんなのだが、そこで表わされた内容よりも、スピノザの哲学のポテンシャルの深さというのが迫ってくるように分かる。ただ、スピノザについて全く知らない人が、いきなり、この著作を読むのは少しキツイかもしれない。

 

2022年12月 4日 (日)

青柳いづみこ「ショパンコンクール見聞録─革命を起こした若きピアニストたち」

11112_20221204182301  ピアニストによるショパンコンクールの新書1冊をまるまるのレポート。入賞者がそれぞれ、どのような演奏をしていたのか、その特徴を言葉にしてくれているのがありがたい。新聞やニュースのレポートは、入賞者について演奏そのものよりも、伝記的なエピソードの紹介ばかりで、それと違って、この著作のレポートはピアノの音が聞こえてくるようだった。
 そして、今回のコンクールの特徴として挙げられている事項が興味深い。そもそも、ショパンコンクールは、19世紀の過度にロマンチックだったり名人芸的なショパン演奏に対して、著しく歪められたショパン演奏を本来のあるべき姿に戻す趣旨で創設されたものだったという。当初の本来あるべきショパン演奏は、コンクールが始められた20世紀はじめの新即物主義の影響をうけて、楽譜に忠実というのが基本的な姿勢だった。しかし、今回のコンクールはショパンの従来からの本来あるべき演奏に変化が生じたという。その理由として二点をあげている。ひとつは、同じ会場で前に開催されたショパン国際ピリオド楽器コンクールの影響をあげる。ショパンの生きていた18世紀は今とは異なる演奏がされていた。例えば、ショパン自身が書いた「ピアノ奏法」の草稿や直弟子のメモに書かれた内容は今のスタンダードな演奏法とは違ったものだったということ。例えば、ショパン自身は良い趣味をものなら楽譜を自由に変えてもいいとしていたという。また、18世紀のピアノは20世紀のピアノとは違うものだった。例えば、20世紀のピアノではダブルアクション機構により多彩な音の表現が可能となるが、18世紀のピアノはシングルアクションで、そのため指先でコントロールするフィンガーテクニックが中心となる。それで現れてくる演奏は楽譜にない装飾的パッセージが聞こえてきたり、ルバートもメロディと伴奏のタイミングがずらして弾かれたりしたという。そういうピリオド楽器コンクールの出場者や審査員が、ショパンコンクールにも参加している。そして、ふたつ目の理由は、コンクールの動画配信と録音による予備審査が行われたことだ。まず、コンクール会場でしか演奏に触れられなかったのが、全世界の人々がユーチューブで演奏を聴き、多数の人が感想を書き込むことができるようになった。そこで、審査員が会場で限られた聴衆と共に実演を聴いて評価したことに対して、ネットを通じて全世界の人が、意見を言えるようになった。意見の中には、従来の伝統にとらわれない多様なものだった。そのことは、審査員による審査に影響が生じた。
 実際に、今回のコンクールの優勝者をはじめとする上位入賞者には、従来の演奏の伝統を重視するタイプのピアニストではなく、それぞれの個性にしたがって演奏するタイプばかりだったという。なお、審査委員長のダンタイソンは、そういう個性的な演奏に寛容な人だったことも、原因のひとつではないかとも指摘している。ダンタイソン自身は、それほど個性的な演奏をする人ではないのに、それが面白いところかもしれない。
でも、一番読みごたえがあったのは、入賞者の演奏を具体的に、この人のマズルカはこうだったというように書いているところだった。

 

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