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2022年12月27日 (火)

ベアトリーチェ・ラナ「バッハのゴルドベルグ変奏曲」

11113_20221227211501  まず、アリアのかすかな弱音で柔らかく、そっと始まるのと、耳に優しく、弱音でもグレン・グールドのような尖った音に比べて、おやすみミュージックとして作曲されたこの曲の目的に沿っていると思う。しかし、この演奏の面白さは、左手で弾かれるバスの部分にあると思う。バスの部分が何かしら語りかけるように聞こえてきて、右手で弾かれるアリアのメロディより注意がそっちに向いてしまう。バスの落ち着いた低音で、動きの少ないパートが、独りごとの呟きを耳にするような、それで心が落ちくような、その一方で、右手のパートが繊細に弾かれていることもあって、メロディというより装飾的に聞こえる。次の第1変奏でも、バスのパートが短いフレーズを繰り返して躍動的なリズムを刻んでいくのだが、この人の演奏は、この繰り返しに変化を加えて、例えば最初は弱めの音で繰り返しのたびにだんだんと音量が増していく。そうすると、このリズミカルな変奏に劇的な要素が加わり、まるでベートーヴェンのソナタのスケルツォを聞いているような感じになる。全体として、バスの動きが生きいきとした息吹きのような印象となって、独特としかいえない抒情を聞き手に感じさせるものとなっていると思う。とはいってもロマンチックではない

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