三谷博「明治維新を考える」(3)~序章 明治維新の謎─社会的激変の普遍的理解を求めて
このような著者の考え方を導いたのは、著者が維持維新に感じた3つの大きな謎を解決しようという考察からだったという。その維持維新の3つの謎とは次のようなものだ。第一の謎は身分制度、とりわけ武士の身分の廃止だ。ヨーロッパの近代革命では不満を持った下層身分が上層身分に挑戦し、その特権を解体しようとした。いわゆる階級闘争だ。明治維新は、これに当てはまらない。明治維新を起こしたのは武士階級の人たちだからだ。その彼らは、彼らの属している武士階級の特権を放棄する施策を、政策の最初に実行した。これを身分的自殺と著者は言う。ここでは唯物史観の階級闘争のモデルは当てはまらない。著者の考えたのは間接的アプローチがとられたためだということ。間接的アプローチとはある目標Aを達成しようとするとき、反対が強い場合は、より受け入れられやすい目標Bを提示し、そこからAに漸近を図るという方法のことだ。例えば、版籍奉還は、まず薩長土肥の4藩から奉還の上表を提出させ、他の大名の追随を誘うというやり方をした。幕府時代に徳川将軍が代替わりすると各大名は統治認可書を返上し、新将軍から改めて認可書を下されるという慣行があった。王政復古に際して天皇にこれと同様のことをするという体裁をとったので、大名の抵抗感を抑えたのだったという。第二の謎は明治維新の明確な原因を見つけ出すことができないことだ。幕末の時点において幕府政権を転覆させるほど不満が高まっていたわけではなかった。それは、武士以外の人々の動向に明らかだ。これについて、著者は複雑系の方法を提示する。第2章でくわしい説明をしている。第3の謎が明治維新は文明開化という西洋文化を導入して近代化を推し進めた。しかし、維新政府のスローガンは「王政復古」、つまり「復古」という大義を掲げていた。政府は大義と正反対の政策を公然と進めたのだった。現代の我々は近代の革命や改革を進歩というキーワードで見る。そこからは明治維新の「復古」というスローガンには違和感がある。しかし、幕末の19世紀の日本では根本的な改革を構想するとき、その正当化に「復古」という象徴を用いていた。近世の日本では、各種の政策決定は必ず蓄積された先例に則っているとして正当化するのが慣例だったが、大規模な改革を提唱する際には、近例ではなく、最も古い先例を持ち出したからだ。なお、この「復古」という象徴が有力だったのは、書かれた歴史が存在し、人々がそれを好んでいた社会だったからで、それだけ歴史が尊重されエリートの教育の核に組み込まれていたと言えるのではないか。
最近のコメント