三谷博「明治維新を考える」
2015年に読んだ本の再読。著者は日本近代史を専門とする歴史学者で、本書は講義や一般向けに書かれた文章を集めたもの。明治維新について、一般的な考え方とは異なる著者の視点や問題意識をストレートに開陳している。この視点は、私には一般的に通説とされているものよりも納得できる。ここでは、議論を進める過程で、著者の視点から見えてくる明治維新の興味深い事実に目を奪われて、そこに興味が集中していったので、そういう印象しかない。例えば、明治維新は幕府という権力者を打倒し、武士という階級の支配を終わらせた大きな社会変革を伴う変動だったにもかかわらず戊辰戦争はあったものの、武力闘争の少ないものだったということ。これは、フランス革命やピューリタン革命と比較すれば、死者の数が桁違いであるという事実が証拠として示される。しかし、本書で読み取ることのできるのは、明治維新を静止画のような捉えることへの批判だろう。それは、本書の後半で遠山茂樹への批判で具体的に語られているが、明治維新を五カ条の御誓文とか文明開化とか富国強兵といった新政府の目指したものや憲法発布のころの達成したものを明治維新像としてとらえて、それをどうのこういう歴史の見方だ。その場合、一元的な見方(マルクス主義による唯物史観による明治維新は革命か否かという論争がこの典型例)だったり必然的なものととらえたり政治的な権謀術数やヒーローの活躍としてとらえたりというものだ。そうでなくて、明治維新は様々な動きが、その時その時の場面でその個々の歴史の分岐点でそれぞれに選択がされていたというプロセスと著者は考えようとしている。例えば、鳥羽伏見の戦いで錦の御旗を立てた官軍に幕府はコテンパンに破れ慶喜は大阪から密かに逃亡したことになっているが、実際は鳥羽伏見の戦い直前は慶喜が圧倒的な優勢にあり、薩長は起死回生のイチかバチかの賭けとして鳥羽伏見の戦いで薄氷の勝利を得たということを著者は指摘する。そこでは、様々な偶然ともいえる事実の積み重ねが官軍という流れを作り出したものと言える。そのダイナミズムを革命か否かという視点では明治維新の特徴を捉えられないのではないかと著者は主張している。その方法論として複雑系という概念を提示する、このような考え方はなにも明治維新に限らず日本の近代史全般に当てはまるのではないかと思う。とくに昭和初期の満州事変から日米開戦に至るプロセスは、幕末のペリー来航から明治維新に至るまでのプロセスと、著者の言う複雑系という点でとても似ていると、私は思う。その点は、先日読んだ加藤陽子の「戦争の日本近現代史」で、歴史とは単に出来事=事件の連なりではなく、そのほかに問いがあり、それは出来事=事件に埋没していて、それを掘り起こすのが歴史家なのだという。その問いとは、歴史的な事件の背後には時代の中で人々の認識や行動のパターンの大きな変化があり、人々が実際に行動を起こす源は何かということ。彼女は、それを歴史のケースとして、明治以降の日本が戦争へと至る中で、為政者や国民が、いかなる歴史的経緯と論理の筋道によって、「だから戦争にうったえなければならない」、あるいは「だから戦争はやむをえない」という感覚までも、もつようになったのか、そのような国民の視角や感覚をかたちづくった論理とは何なのか、と問いを提示した。そのことと本書で明治維新について述べている歴史の見方には共通の土台があるように思える。
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