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2023年2月 8日 (水)

モリス・バーマン「神経症的な美しさ─アウトサイダーが見た日本」

11112_20230208211001  書名の「神経症的」については、著者は日本は二重苦に見舞われたことによる結果だという。この原因となった二つの大きな衝撃とは、いずれもアメリカによるものだ。ひとつは1853年の黒船来航。この衝撃から日本は明治維新から一世代で西洋に追いついてしまった。イギリスが250年もかかったところだが、そこには当然無理があり、日本人の魂にねじれを生んだとしても無理はない。例えば夏目漱石の小説にあるような自我の分裂あるいは空虚さといったもので、これを著者は神経症的という。もうひとつは、1945年からの占領政策で、無知からアメリカ式の押しつけにより日本の伝統が否定され、日本人は従わざるを得なかった。そこにある種の意識の分裂、分裂症が生じたという。
 このように、著者の指摘にはアメリカが悪役として顔を出す。アメリカ人である著者は、母国であるアメリカに対してアンビバレントな思いを持っているようで、そのはけ口として日本を捉えているように見える。書名の「美しさ」にはアメリカは美しくないという思いが潜んでいて、アメリカでないもの、反対の極として日本を捉え、それを美しいとし、その美しさにはアメリカにより痛めつけられ神経症のようになったゆえのものという、日本を語りながら、その裏返しとしてアメリカを語ろうとしている。結構ボリュームのある著作で、そこに具体的な事例も数多く紹介されているが、私には、それらがどこか表面を撫でているような印象で、著者が語っている日本は、難しげにもっともらしくはあるが、アメリカについての隣の芝生に閾を出ていないのではないかと思われる。そこに、割り切れなさを感じた。
 では、著者の考えるアメリカとは、この著作の中で直接語られているところは少ないが、それらを拾ってみよう。アメリカの独立とは伝統的なヨーロッパの否定にあった。そこには否定的同一性というべきものが基礎にあった。ナショナリズムが外敵への対抗で強固になるように、心理的な境界を強固にし、自我を強化するというメリットがあった。しかし。その反面、自分を肯定的に語れない。だから、強固に見えて、実は脆弱なものであったのだ。だから、アメリカ人にとって正義はつねに「ここ」にあり、悪は「外」にある。アメリカ人は選ばれし国民で、先住民は野蛮だったし、イギリス人から独立し、その後つねに外に力を向けて拡大をしようとした。「辺境(フロンティア)」がそれである。現代でも、イランや中国への姿勢に、その傾向は顕著だ。これは、個人のレベルでは個人主義という国民性だ。彼らにとっては、人生は共同体への奉仕ではなく、財産をめぐる競争とのその勝利となる。独立独歩で自力で成功するというのがアメリカンドリームなのだった。要は、中心に脆弱さ、著者は空虚さだというが、を抱えて、その弱さをハリネズミのように外皮を武装して、つねに外に対して攻撃的に棘を立てて強く見せているのがアメリカ人の姿というわけだ。
 このようなアメリカの対する鏡像として、著者は日本を描いてみせる。日本文化というのは外国から輸入によってつくられたものといっていい。古代の文化が中国や朝鮮の模倣から始まっているのは正倉院の御物に明白だし、仏教はインドのものだ。日本オリジナルを探しても見つけるのは難しい。そこにはアメリカの場合とは別の空虚さがある。それを著者は「無」という。そこには、劣等感が伴うが故の不安定さ(時には狂気に駆られ、その極端な例が15年戦争ということになろうが)、日本人の創造性の源にもなっているという。そもそも、日本は神経症に罹りやすい素養もあるということだろうか。そして、アメリカによる二度目の衝撃から、一時はアメリカを模倣しエコノミック・アニマルなどと呼ばれ、経済的な競争の勝利に奔走していた日本は、バブル崩壊後の経済低迷を続け、アメリカ文化の呪縛から解かれつつある、つまり、神経症を癒しつつあり、アメリカ・モデルとは異質の幸福な社会のモデルを意識しないまま作りつつあると著者は主張する。「経済力を示すことが国家の仕事だとすれば、日本はぶざまに失敗している。だが市民の雇用や安全を保証し、経済不安から守り、より長生きさせるというのが国の仕事であるならば、日本はさほど滅茶苦茶になっているわけではない」。経済停滞に適応と感応する、オルタナティブを日本は想像しようとしていると言う。しかし、これは、日本が意識してやっているわけではないし、反面として社会の閉塞感などのマイナス面を見ていないので、アメリカではないものを日本に投影していると、私には見える。

 

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