Doors「Doors」
ドアーズが1967年にリリースしたファースト・アルバム。当時は、ベトナム戦争の泥濘化にたいする反戦運動や人種差別を糾明する公民権運動、学生運動などの動きにロック・ミュージックがシンクロして、とくに西海岸のサン・フランシスコを中心としたいわゆるシスコ・サウンドとわれるバンドが盛り上がっていた。例えば、ジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッド、クイック・シルバー・メッセンジャー・サービスといったバンドたち。彼らは程度の差があれ、政治的な反体制運動にコミットしたり共感したりして、政治的な主張を音楽の中に込めていた。これに対して、ドアーズは、同じ西海岸でもロス=アンジェルスを活動の中心にして、ウィリアム・ブレイクの象徴的で内省的な詩に影響を色濃く受け、自己の内面、とりわけ暗黒の部分に沈潜するような世界を歌った。シングル・ヒットした「ライト・マイ・ファイヤー」は「ハートに火をつけて」という邦題のイメージとは違って恋愛で燃え尽きた心の虚ろさを歌ったものだったし、大曲「ジ・エンド」は「終末」を歌い、父を殺し、母を犯すというギリシャ悲劇のオイディプス王を現代に再現する内容だった。このような作品を体現していたボーカルのジム・モリソンは、地を這うような低音の声質で、歌うというよりは呪文を唱えるように響いてくる。だからといって重苦しくて、聴くに堪えないかというと、レイ・マンザレクのクールなオルガンは、ジム・モリソンにたいして鏡が左右反対の姿を映すように独特のポップさを帯びている。このことで、カルト的に陥りそうなジム・モリソンのボーカルにバントのサウンドは距離をおいて、クールな視点を加味し、客観的な広がりを与え、聴きやすいものとなっている。ドアーズ自身の音楽世界は、そういうクールなもので、そして、当時の時代状況でも盛り上がっていたシスコ・サウンドとは一線を画していた。言うなれば、クールな反抗者だったのではないだろうか。彼らのアルバムの中でも、この作品と、次の「まぼろしの世界」が、自己に沈潜するジム・モリソンと、ポップに広がっていこうとするバンドのサウンドが絶妙のバランスを保っていたと思う。
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