三谷博「明治維新を考える」(4)~第1章 ナショナリズムの生成─「内外」峻別、「忘れ得ぬ他者」の力学
ナショナリズムというトピックについて日本の経験を素材として他の社会の理解も可能にするような歴史解釈の一般モデルの試み。
幕末の日本には、西洋列強の進出と支配に対抗するため、内外を峻別し、内部の大改革を実行しようとする様々な政治運動が現われた。そのうち、もっとも影響力があったのは尊皇攘夷運動だった。これは、個々の大名の分国体制から天皇を中心とした集権国家にした秩序を構想し、日本を世界の中心と見なすというイデオロギーだったが、決して幕末政治のすべてを左右したわけではない。天皇や日本の中心性を強調しない人々も少なくなかったが、日本という国家を最優先の枠組みとし、その外部への抵抗と内部の統合を志向する点では共通していた。この点でナショナリズムがあったと言えるだろうが、これは西洋近代の国民国家の土台としてナショナリズムとは異なるものと言わざるを得ない。例えば、ドイツは中世から諸侯による分国体制でフランス革命の影響で勃興したといえる。これに対して、東アジアの国々には古代からの国民始源の神話があり、まとまりはあった。だからといって、列強からの進出に対して、中国ではナショナリズム的な動きは起こらなかったし、日本でも庶民には黒船は物珍しい見物だった。著者は、当時の日本にはステイティズムが成立していたという。中国の人々には中国という枠の発想がなかった。これに対して、日本では庶民に至るまで日本という枠で内外を区別して見る発想があった。だから、黒船を外から来たもの異分子として見ることができた。それを武士は危機感と見て、庶民は珍奇と見ただけの違いだ。中世までの日本は中国という大国の圧迫にさらされ、それに対抗するというネガティブなまとまりの意識はずっと為政者たちは持っていた。その裏返しで、江戸中期に水戸学や国学のような日本を強調するイデオロギーが生まれた。それが江戸の大衆社会で民間の学者(当時は芸人と同じような在り方をしていた)を通じて民間に浸透する。そこに来た黒船は中世までの中国を置き換えたものと意識できた。したがって、明治維新では外からの脅威と、それに対して内である日本を強くするという統合をすることができた。それを著者は「忘れ得ぬ他者」と呼ぶ。考えてみれば、これは、戦前の対米、対ソ連で軍国主義を進めた大日本帝国にも言えることだし、現代でも、中国やロシアについては、国民国家のナショナリズムより、この説明の方がしっくりとくる。
最後に著者は次のように一般化する。第一に、外部への差別と内部の同一視が同時に発生する。第二に、その場合、外部の差別視が内部の均質に優先する。第三に、近代ナショナリズムでは内部の均質化の実践が特徴的である。第四に、外部への差別は排除と支配の両面がある。第五に国家を単位とする内外の差別という知的慣習は段々と流動化してきている。
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