加藤陽子「戦争まで─歴史を決めた交渉と日本の失敗」(2)~第1章 国家が歴史を書くとき、歴史が生まれるとき
著者は、歴史家の視点というのは、例えば、山登りの準備過程をすっ飛ばし、富士山を登り切った時、山頂から見える景色や風景、と象徴的に語る。具体的には、長いスパンで見る。長い時間のものさしを使いながら時代や社会を見ていく姿勢だ。
本書では、太平洋戦争に至るまでに、日本と世界の間で交わされた政治・外交交渉の過程を追っていくが、まずは、現在の政府の公式見解である平成27年の総理談話を取り上げている。著者は、そこで書かれていないことを探す。それは、日清戦争などの中国との関係であり、文化や芸術であると指摘する。印象的だったのは、幕末の西洋列強と日本との差異を技術力(軍事力がその最たるものだろうが)に一元化されているということ。ここで考える必要があるのは、西洋諸国が高い技術力を備えていたのは、背景として産業革命の達成はむろんのこと、国民の力を最大化しうる国内の体制、例えば、憲法典の編纂や議会制度の整備、近代的な経済システムや金融制度の整備が不可欠だった。日本を含め、当時のアジア諸国には、そのような政治的経済的文化的な基礎がなかった。このようなことに触れずに技術力で劣っていたとまとめてしまうと、そういう背景が見えなくなってしまう。これは、太平洋戦争に負けたのは、技術で負けたからとか、物量に負けたといった決めつけにも通じている、と著者は指摘する。
また、談話では、植民地帝国を早くから築いていた西欧列強が世界恐慌に際して、いち早く経済のブロック化を進めたのに対して、遅れてきた帝国主義国であり、経済的に脆弱な資本主義国であった日本が、経済的な打撃を受け、打開の道を侵攻に求めたとしている。しかし、当時の各国がそれぞれの植民地への輸出を調べてみると、イギリスは巨額で、植民地帝国であることが分かる。それが世界恐慌を機に、イギリスの数値は急降下する。日本は1937年の日中戦争の頃から輸出額が急伸する。そのことから、世界恐慌の影響で経済の収縮が厳しかった英国と、あまり打撃のなかった日本という対照的な傾向が読み取れる。そうすると、談話の内容とは違うことが分かる。この談話では日本とその植民地の関係が隠れる、と著者は指摘する。それは、植民地帝国としての日本を過小評価することになる。日本と台湾・朝鮮など植民地との関係性は、経済的な側面からすると、英仏とその植民地との関係性よりも、ずっと密だったという。
そもそも、日本の国家の成り立ちについて、著者は言う。学校の歴史の授業では、3世紀ごろの古代、流れの速い河川が狭い平野を流れる村落では、大規模な治水工事が必要となる。そこで、集約的な農耕を必要とした日本では、そのような技術を管掌する王権が発達したと。しかし、現在の見解では、緊迫した朝鮮半島の軍事情勢への対応から一気に国家としてまとまったという。当時の中国は三国時代で、呉が日本と連合するのを警戒した魏が金印を与えて牽制するようにしたことから国家が整備されたという。
また、歴史の始まりは、最初の歴史書というのは古代ギリシャのヘロトドスの「歴史」やタキトゥス「戦記」であり、戦争の記述だった。とくに、タキトゥスは「戦記」を書く際に、5W1Hに従って簡潔に出来事の流れを記述し、戦争の深い原因、国家の心理的な対立に踏み込んだ。しかし、心理的な対立は5W1Hでは書けない。そこで、各ポリスの政治家や軍人たちの演説の言葉から、争点を抽出したのだった。この心理は、個々の人々ではなく、国家の意思決定に携わるエリート、つまり支配階級の人々の知性だったと言える。ローマ帝国では皇帝、中世では王や貴族、近代になると人々が登場する。つまり、国民が主人公になる。そのように移り変わった際に、それぞれ分岐点があった。現在は、その分岐点のひとつではないかと著者は主張している。
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