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2023年3月 5日 (日)

佐藤彰宣「〈趣味〉としての戦争─戦記雑誌『丸』の文化史」

11112_20230305182801  中高校生のころ、田宮模型の35分の1「ミリタリー・ミニチュア・シリーズ」やレベル社などの72分の1の航空機のプラモデルに親しんだ身としては、「丸」という雑誌は何度も手に取った思い出がある。いわゆるミリタリー雑誌というイメージだったが。1960年代、いわゆる平和教育で教条的に「戦争はいけない」と語る大人たちに違和感や反発を抱いた少年たちが、教師や保護者が語らない戦争の真相を求めたのに応え、彼らの戦争への関心を国際情勢や歴史を把握する道筋を用意する働きをした。あるいは、1970年代には、軍事や兵器を語ることが決して好戦的でも保守でもなく、軍事を知らねばそれを抑える術も分からないとして、軍事の知識を得ることで社会や平和について考えた。あるいは、戦中派の戦後世代の若者に対して「(戦争を)体験していないから分からない」という彼らの発想が、ちょうどウラハラに、既定の所与として与えられた状況だけに、ベッタリと実感的に密着している、ということに気づいていない。体験したことしかわからぬ者に、現在の自分を取り巻く状況以外、何が分かると言うのか。戦中派の体験固執をわらう彼らが、現状況への実感ベッタリというのでは自己矛盾ではないのか。という声を載せたり、それは他方で、同世代の安易に戦争体験を語りノスタルジイにしてしまうことにも「生き残って冥福を祈るというのは生者の傲慢であり、偽善でしかない」と返す刀で切る発言を掲載した。もちろん、ミリタリー・オタク向けの兵器情報も載せていたわけで、戦争や軍事について、雑誌の「雑」にふさわしい総合的な議論の場でありえたという。
 それは、とても興味深いことだ。

 

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