貞包英之「消費社会を問いなおす」(5)~第4章 さまざまな限界
消費社会の大きな限界となるのが、消費にかかわる自由の配分である。消費が人々がモノを選択し手に入れる自由を保証するが、そのためには当然、貨幣による支払が必要となる。しかし、貨幣は均等に配分されているわけではない。そこには格差がある。ただし、格差はすぐに消費の自由を台無しにしてしまうわけではない。前にも述べたように、格差の拡大は商品の価格低下や多様化を促すことで、消費のゲームをにぎやかにもしてきた。しかし、格差の拡大が、その消費のゲームに参加さえできない者を増やすのであれば、それは問題となる。不公平が生じる。
この不公平の是正を担当するのが国家である。20世紀後半には福祉国家が税金を投入して国民の生活を維持することを目標に掲げていた。これは一定の成果をあげている。ただし、別の問題も生じている。その一つとして、格差の縮小が脱商品化されたサービスの提供によって実現されていることだ。例えば、医療施設や福祉施設の設立や運営を国が直接行い、利用者が貨幣を支払うことのないサービスを提供していることだ。これは、結果的に市場を圧迫し、流通している商品の量と質を縮小させてしまうおそれがある。そのことが、競争をなくしてしまい供給者がサービスを施すという上から目線に陥ってしまう。それゆえ、利用者のニーズから外れていってしまう。この場合、利用者には選択する自由は、結果として、失われてしまうことになる。
このように消費のゲームに関わる不公平は、十分に対処されているとは言えない。それは、構造的な無理があるためだ。というのも、格差を是正するために、国家は私的消費の権利を取り上げざるを得ないからだ。つまり、格差を是正するには、私的消費を制限せざるをえないのだ。
そしてまた、環境問題も消費社会を限界づける問題である。例えば、二酸化探査排出量の制限はエネルギーの使用の制限につながる。対策として再生可能エネルギーへの切替は、たしかに二酸化炭素排出量を減少させることになる。ただし、再生可能エネルギーへの転換は消費のリバウンドを招く恐れがある。つまり、環境に優しいとして「賢い」または「正しい」消費を動機付け、消費拡大を招くことらなる。結果として、二酸化炭素排出量が相対的に少ないエネルギーでも総体として使用料が増加すれば、総体としての二酸化炭素排出量は減少しない。だからこそ、気候変動のための規制は、皮肉なことに経済成長を根本的な目標とする新自由主義的国家にも受け入れられつつある。それが無経済成長の起爆剤となることに加え、そもそもきせいそのものが新自由主義的国家にとって経済と政治を支配する重要な手段となるからである。
つまり、いずれもが、国家の拡大と不自由を生むリスクを生じてしまう。
« 貞包英之「消費社会を問いなおす」(4)~第3章 私的消費の展開─私が棲まう場所/身体という幻影 | トップページ | 井筒俊彦「ロシア的人間」 »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 川田稔「日本陸軍の軌跡─永田鉄山の構想とその分岐」(7)~第6章 日中戦争の展開と東亜新秩序(2023.03.23)
- 川田稔「日本陸軍の軌跡─永田鉄山の構想とその分岐」(6)~第5章 2.26事件前後の陸軍と大陸政策の相克─石原莞爾戦争指導課長の時代(2023.03.22)
- 川田稔「日本陸軍の軌跡─永田鉄山の構想とその分岐」(5)~第4章 陸軍派閥抗争─皇道派と統制派(2023.03.21)
- 川田稔「日本陸軍の軌跡─永田鉄山の構想とその分岐」(4)~第3章 昭和陸軍の構想─永田鉄山(2023.03.20)
- 川田稔「日本陸軍の軌跡─永田鉄山の構想とその分岐」(3)~第2章 満州事変から5.15事件へ─陸軍における権力転換と政党政治の終焉(2023.03.19)
« 貞包英之「消費社会を問いなおす」(4)~第3章 私的消費の展開─私が棲まう場所/身体という幻影 | トップページ | 井筒俊彦「ロシア的人間」 »
コメント