加藤陽子「戦争まで─歴史を決めた交渉と日本の失敗」
7年前に読んだ本の再読。
主に高校生を対象とした連続講義を本にしたもの。高校生に向かったのは、高校生というものが有限の時間の中で選択を迫られている存在だからという。例えば、進路という将来を左右する重大な選択がその典型だ。現代の社会では、人々に、選択困難な問題を日々投げかけてくる。その困難さというのは、選択という行為が真空状態でなされるのではなく、さまざまな前提や制約下に為されているという点にある。
著者は、そういう視点で歴史を見ようとする。選択という行為が真空状態で為されるのではなく、様々な制度の制約を受け、国際環境や国内政治情勢の影響下でなされる。そうであれば、国や個人が選択を求められる場合に重要なのは、問題の本質が正しいかたちで選択肢に反映されているか、だ。それは、当時のジャーナリズムが誘導した見せかけの選択肢ではなく、世界が日本に示した本当の選択肢のかたちと内容を明らかにしつつ、日本側が対置した選択肢のかたちと内容を再現することで、世界と日本が切り結ぶ瞬間を捉えようとする。
ここで取り上げる事例は、太平洋戦争前において、世界が日本に、選択を真剣に迫った交渉事であった3つの事例だ。すなわち、満州事変についてのリットン調査団の報告への対応、日独伊三国軍事同盟、太平洋戦争の開戦直前の日米交渉。これらについて、教科書に記述されている一般化され、単純化された記述とは、異なった風景が見えてくる。その発見の興味深いところもある。
しかし、この著作の面白いところは、そこではない。例えば、日米交渉のアジェンダの一つとして「外来思想の跳梁を許容しない」というのはファシズム、つまりナチスのヒトラーに対抗するか否かという交渉と加藤が説明していたのを、高校生が「外来思想」には共産主義もあるうるのではないかという解釈に、加藤が、そこで、その可能性に気づくというのが記されている。加藤はあとがきの中で、「中高生の集団を前に話し続けることで私の中に化学変化というべきものが起き、歴史を説明する際の私の姿勢が、より原初的な、根源を掴むものへと変化していったことにあります。─(中略)─結果として、これまで私の中に頭で線でしかつながらなかった歴史事象が、突如、面となって立ち上がってくる稀有な体験をしました」というのが生々しく伝わってくるドキュメントだというもの。それは著者である加藤陽子という人が優れた歴史家であるが、それ以上に教育者でもあるゆえのもので、もともと多面的に考えさせる要素のあるこの人の著作も、この人のこのような開かれた性格によるもので、このような著作はこの人ならではのものだと思う。
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