川田稔「日本陸軍の軌跡─永田鉄山の構想とその分岐」(4)~第3章 昭和陸軍の構想─永田鉄山
永田はヨーロッパで第1次世界大戦を経験し、衝撃を受けた。そして、永田は、大戦によって戦争の性質が大きく変化したことを認識していた。戦車・飛行機などの新兵器の出現と、その大規模な使用による機械戦への移行。通信・交通機関の革新による戦争規模の飛躍的拡大。それを支える膨大な軍事物資の必要。これらによって、戦争が、兵員のみならず、兵器・機械生産工業とそれを支える人的物的資源を総動員し、国の総力をあげて戦争遂行を行う国家総力戦となったとみていた。そして、今後、先進国間の戦争は勢力圏の錯綜や同盟提携などの国際的な関係強化によって、世界大戦を誘発すると想定していた。そこから、永田は、将来への用意として、国家総力戦遂行のための準備の必要性を主張した。永田は戦時に限らず、平時から国家総動員のための準備と計画が欠かせないという。例えば、人員の動員では女性労働力の活用とか、産業動員では軍需品の大量生産に適するように、産業組織の大規模化・高度化を提唱し、それは経済の国際競争力の強化にもつながるものだった。
永田は、これからの戦争は、長期持久戦となる可能性が高いため、経済力が勝敗の鍵を握ると指摘する。それゆえ、例えば、中国やロシアのように現在弱体と考えられている国でも、潤沢な資源を持ち、他国から技術的経済的援助を受けることができれば、徐々に大きな交戦能力を発揮するようになりうる。しかも、交通機関の発達や国際関係の複雑化により、随所に敵対者が発生することを予期すべきだ。すなわち、それまで陸軍は主にロシアを仮想的としてきたが、今後は、同盟・提携関係の存在を前提に、例えば国際関係や戦局の展開によって、ロシアだけでなく、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツななどの強国も敵側となる可能性がありうる。仮想敵を特定できないということは、提携関係におけるフリーハンドを意味している。このように世界の強国との長期持久戦を想定するならば、日本の版図内の国防資源はきわめて貧弱であり、近辺に資源を確保する必要がある。この不足資源の確保・供給先として、永田は満州を含む中国大陸を念頭に置いた。また、軍備の機械化・高度化を図るには、それららを開発・生産する科学技術と工業生産力を必要とする。日本の現状は列強に比べて貧弱と言わざるを得ない。そのためには、国際分業を前提とした対外的な経済・技術交流の活発化によって工業生産力の増大、科学技術の進展を図り、さらに国力を増進させなければならないと認識していた。永田は、国防に必要な資源について、国内にあるものは保護に努めて、国内に不足するものは対外的に確保することが肝要だが、自給自足が理想だとしている。それゆえ、平時では工業生産力の発達を図るために、欧米や近隣諸国との国際的な経済や技術の交流が必須だと考えていた。この点で永田は国際協調を否定しなかった。
他方、原敬や浜口雄幸といった政党政治家も国家総力戦の認識はあった。しかも、そうなった場合、日本は極めて困難な状況に陥ることも理解していた。それゆえに、彼らは国際連盟に積極的に関与し、各国と様々な条約を結び、国際協調による戦争抑止に努めた。
これに対して、永田はヨーロッパの状況から戦争の原因は除去されておらず、次期大戦は不可避と考えていた。
国際連盟に対しても否定的に評価していた。国際連盟は、国際社会を「力」の支配する世界から「法」の支配する世界へと転換しようとする志向を含むものである。これは、理念として国際社会における原則の転換を図り、国際関係に規範性を導入しようとする試みであると、永田は国際連盟の意義を理解していた。しかし、永田は国際連盟の定める実行手段が、紛争国に対して、その主張を枉げさせることができる権威をもたない。したがって、国際連盟の行使できる戦争防止手段は実効性と効果が疑わしい。したがって平和維持の保障とかなりえない、と永田は考えていた。
もちろん永田も、戦争を積極的に欲していたわけではなく、平和が望ましいと考えていた。しかし、国際連盟は戦争を抑止できず、戦争は不可避と見ていた。そこで、もし世界大戦が起これば、列国の権益が錯綜している中国大陸に死活的な利害をもつ日本も、否応なく巻き込まれることになる。したがって、日本も次期大戦に備えて、国家総動員のための準備と計画を整えておかねばならないと考えていた。これは、後の統制派幕僚に大きな影響を与えていくことになった。
さて、国家総動員の事態となれば、各種軍事資源の自給自足体制が求められることになる。しかし、永田の見るところ、帝国の範囲内の国防資源はきわめて貧弱で、自国領の近辺で必要な資源を確保しなければならないと考えていた。この不足資源の供給先として、満蒙を含む中国大陸の資源が強く念頭に置かれていた。永田にとって、中国問題は基本的には国防資源確保の観点から考えられ、満蒙および華北・華中が、その供給先として重視された。とりわけ満蒙は、現実に日本の特殊権益が集積し、多くの重要資源の供給地であり、華北・華中への橋頭保として枢要な位置を占めるものであった。
その場合の中国資源確保の方法として、同盟・提携関係による方法は、当時の中国政府の排日姿勢では難しいので、場合によっては、軍事的手段など一定の強制力により自給権の形成を想定していた。そのあらわれが、満州事変であり、その後の華北分離工作であった。
ちなみに、宇垣も自給自足の確保については同じ認識を持っていたが、米英からの輸入を確保する、そのため米英との衝突は避けなければならないと考えていた。それゆえ、中国に対しては米英と協調してあたるべきと考えていた。これに対しては、永田は、それでは日本は独自の立場、自主独立を貫けないと考え、それゆえに、宇垣派や政党政治が米英協調を基本姿勢とした国防方針に批判的であった。
このような永田の構想が満州事変以降の昭和陸軍をリードしていくことになる。
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